日本のホッキョクグマ飼育に関する年表です。まだ未完成ですが、これから少しずつ更新していきます。

凡例: [繁殖失敗]または[死亡][移動]または[新展示][誕生]または[輸入][その他]


2011年

2011/5/27[死亡] ズーラシアのチロ死亡。死因不明の突然死。

2011/4/27[移動] 「ホッキョクグマ繁殖プロジェクト2011」に基づき、釧路市動物園のクルミが男鹿水族館に移動。

2011/3/8[移動] 「ホッキョクグマ繁殖プロジェクト2011」に基づき、豊橋総合動植物園のキャンディが円山動物園に移動。展示開始は3/9から。

2011/3/6[移動] 「ホッキョクグマ繁殖プロジェクト2011」に基づき、おひびろ動物園のキロルが浜松市動物園に移動。浜松到着は3/7。展示開始は3/13から。

2011/3/5[死亡] 徳山動物園のホクト死亡。死因は老衰。1984年カナダ生まれの、推定27歳だった。

2011/3/2[移動] 「ホッキョクグマ繁殖プロジェクト2011」に基づき、浜松市動物園のバフィンが天王寺動物園に移動。同日到着。

2011/3/2[移動] 「ホッキョクグマ繁殖プロジェクト2011」に基づき、円山動物園のピリカが旭山動物園に移動。同日到着。

2011/2/18[その他] 日本動物園水族館協会種保存委員会の「ホッキョクグマ繁殖検討委員会」が、各園と連名で「ホッキョクグマ繁殖プロジェクト共同声明」をプレス発表 [円山動物園のHPより]。繁殖をめざし、8園間で5頭のホッキョクグマの移動を決定。


2010年

2010/12/25[誕生] 円山動物園でララが出産。12/27に発表。双子の可能性もある。

2010/12/5[繁殖失敗] 姫路市動物園で双子の赤ちゃん誕生する。12/5の10時10分に来園者が1頭目(メス:570グラム)の出産を発見。11時50分に2頭目(オス:780グラム)を出産。人工哺育はせず、自然哺育を選択。しかし、12/7の11時半頃に1頭(メス)の死亡を発見、12/7の13時20分にもう1頭(オス)が死亡。いずれも母乳を飲んだ形跡なく衰弱死。

2010/11/11[その他] 日本動物園水族館協会(JAZA)の種保存委員会内に 「ホッキョクグマ繁殖検討委員会」が設立[旭山動物園のHPより]。同時に第1回会議が開催。委員会の目的は、(1)これまでの繁殖に関わる基礎データを整理し、飼育および健康管理のための情報と技術を向上させて共有していくこと、(2)種の保存を目的としたブリーディングローンなど個体の施設間移動を伴う繁殖計画の立案と実行などをスムーズに進めていくこと。

2010/10/3[死亡] 阿蘇カドリードミニオンのトウチャン(オス)死亡。死因は肝不全。1979年生まれ、31歳で、死亡時国内最高齢。

2010/7/28[死亡] 旭山動物園のコユキ(メス)死亡。死因は肝不全。1975年(推定)野生生まれ、34歳で、死亡時国内最高齢。

2010/7/17[死亡] 徳島動物園のシロー(オス)死亡。老衰。 1979年12月3日 旭山動物園生まれ、31歳。別府ラクテンチ、徳島と渡り歩く。別府ラクテンチで、 1994年クーニャとの間に2頭(ララとルル)を儲ける。

2010/6/4[その他] 北海道4動物園による「道内ホッキョクグマ飼育4園共同声明にかかる中間報告」発表[円山動物園のHPより]

2010/3/29[新展示] 静岡市日本平動物園の猛獣舎299オープン。旭山を意識した行動展示スタイル。

2010/3/4[移動] 道内ホッキョクグマ飼育4園共同声明に基づき、BLで釧路動物園に移動していた円山動物園のデナリが帰還。

2010/2[死亡] 香川県レオマワールドのクーニャ(メス)死亡。別府ラクテンチで、1994年シローとの間に2頭(ララとルル)を儲ける。最後は、レオマワールドの運営問題に翻弄され、死亡が確認できない状態が半年近く続いた。

2010/2/22[移動] 道内ホッキョクグマ飼育4園共同声明に基づき、おびひろ動物園のピリカ、一時預託契約で円山動物園に移動。

2010/2/21[移動] 道内ホッキョクグマ飼育4園共同声明に基づき、円山動物園のイコロとキロル、一時預託契約でおびひろ動物園に移動。

2010/2/18[死亡] 浜松市動物園のジェイソン(オス)が死亡。1992年12月8日 イギリス・メルトン動物園生まれ、17歳。1994年7月6日に浜松市動物園入園。

2010/2/9[移動] 道内ホッキョクグマ飼育4園共同声明に基づ き、円山動物園のサツキ、BLで旭山動物園に移動。

2010/1/28[その他] 北海道4動物園による「道内ホッキョクグマ飼育4園共同声明」発表[円山動物園のHPより]。繁殖をめざし、4園間でのホッキョクグマの移動を決定。


2009年

2009/12[移動] BLで2006/12からとべ動物園に移動していたホクト、徳山動物園に戻る。

2009/10/13[誕生] 南紀白浜アドベンチャーワールドで、メス1頭誕生。ミライ。出産直後に人工哺育に切り換える。

2009/5/22[死亡] 17時30分頃、京都市動物園のポール(オス)死亡。34歳5ヶ月で死亡。時国内最高齢。これにより、京都はホッキョクグマ展示をやめる。ポールは1974/12/9カナダ・アシニボイネ原生動物園生。1975/11に京都市動物園に入園。ポールの母親は、カナダの動物園で2008/11/17に世界最高齢の42歳で死亡したDebby。

2009/3/31[移動] 1月26日のホッキョクグマ繁殖検討会議を受け、円山動物園のデナリ、BLで釧路市動物園に移動。

2009/1/26[その他] 北海道4動物園によるホッキョクグマ繁殖検討会議開催。ツヨシ、ピリカの性別誤認問題の後始末について話し合われた模様。


2008年

2008/12/9[誕生] 午後10時50分頃、円山動物園で双子の赤ちゃん(オス)誕生。イコロ、キロルと命名。翌年3月20日まで展示舎を閉鎖し育成を優先。

2008/9/9[死亡] 平川動物園のユキ(メス)死亡。

2008/7/9[輸入] 静岡市日本平動物園にロシア・サンクトペテルブルグ・レニングラード動物園より、ロッシー到着。2007年11月27日生まれのオス。所有権はレニングラードが保持したままの、預託契約。

2008/5/29[死亡] 釧路市動物園のコロ(メス)死亡。


2007年

2007/7/15[死亡] 旭山動物園のハッピー(オス)死亡。

2007/7[移動] おびひろ動物園のサツキ、円山動物園へ移動。ピリカとの交換。

2007/5/4[死亡] 日本平動物園のピンキー(メス)死亡。死因は老衰。日本平には1974年6月11日来園(当時2歳)で、32年10ヶ月間在住。死亡時国内 最高齢(推定35歳)

2007/2/2[移動] 円山動物園のピリカ、おびひろ動物園へ移動。サツキとの交換。


2006年

2006/10/18[繁殖失敗] 八景島シーパラダイスで、ユキヒメが1頭出産するが、失敗。

2006/5/29[輸入] 八木山動物園のカイ、レニングラード動物園より入園。カイは2004/12/2生で、父はメンシコフ、母はウスラーダ。

2006/4/16[輸入] 大阪市天王寺動物園に、ロシアのペルミ動物園からオスのゴーゴ到着。551で有名な蓬莱が寄贈。

2006/4[死亡] 熊本市動植物園のミニー(メス)死亡。

2006/3[その他] 雑誌BRUTUSのNo.589「動物園に来てみない?」発売。動物園ブームに火をつける。


2005年

2005/12/15[誕生] 午後10時50分頃、円山動物園で赤ちゃん誕生。ピリカ。当初はオスと思われていたが、2008年6月にメスと判明。

2005/10/29[輸入] 八木山動物園のポーラ、セルビア・パリック動物園より入園。ポーラは2004/12/5生。

2005/12[死亡] 福岡市動植物園のユキ(メス)死亡。これにより、福岡はホッキョクグマ展示をやめる。

2005/1/22[移動] 円山動物園のツヨシ、釧路市動物園へ転出。


2004年

2004/10/12[死亡] みさき公園のシロ(メス)死亡。これにより、みさき公園はホッキョクグマ展示をやめる。

2004/9/19[死亡] 旭山動物園のカンゾウ(オス)死亡。1973年生まれの野生個体だった。

2004/9/1[死亡] 八木山動物園のホクト(オス)死亡。1983生まれ(推定)。1985年に推定1歳6ヶ月で来園。

2005[移動] 別府ラクテンチのポール、とくしま動物園へ(とくしまでは愛称シロー)。また、クーニャは香川のNewレオマワールドへ移動。

2004/5/2[死亡] 天王寺動物園のユキコ(メス)死亡。老衰。1979/11/19 米国オクラホマ州タルサ動物園生まれの25歳。父Nanook、母Snowball。双子の姉妹CecilleはドイツOsnabruck動物園に移動、死亡。1980年に天王寺動物園入園。1995/3/25に死亡したユキオ(旭山動物園生)との間に、1986/11/10に3頭(翌日までに全部死亡)、1987/11/16コユキ(岡山市池田動物園に移動、死亡)、1990/11/30みゆき(王子動物園に移動)、1993/11/27ゆきみ(円山動物園に移動、死亡)、1995年11月に宝塚ファミリーランドから転園したネボスケ(2001/2/20死亡)との間に、1998/11/25ゆきすけ(天王寺動物園に移動、1999/12/3死亡)を出産した。


2003年

2003/12/11[誕生] 円山動物園でララが2頭を出産。1頭はすぐに死亡するが、1頭は成育。ツヨシ。当初はオスと思われていたが、2008年6月にメスと判明。

2003/7/14[移動] 2003/5の宝塚ファミリーランド閉園時に行き先の決まっていなかった、ホッキョクグマのオリーブをズーラシアが引き取る。しかし、半年後に飼育ミスにより死亡(外傷性ショック死)。

2003[死亡] 東北サファリパークのジュン(オス)死亡。これにより、東北Sはホッキョクグマ展示をやめる。


2000-2002年

2002/12/16[繁殖失敗] 円山動物園で12/16に2頭誕生するも、同日2頭とも死亡。自然哺育を選択。

2002/9[新展示] 旭山動物園にほっきょくぐま館オープン。プールに飛び込むホッキョクグマの水中ダイビングを見せるもぐもぐタイムで一躍有名になり、その後の行動展示の原型となる。

2002/7[新展示] 仙台市八木山動物園に猛獣舎オープン。ホッキョクグマ展示はランドスケープと行動展示を併せ持つ。

2002/1/21[死亡] 日本平動物園のジャック(オス)死亡。肝臓に腫瘍。1974年6月11日に日本平に入園。28年間日本平にいた。

2002/1/11[繁殖失敗] アドベンチャーワールドで1/11に2頭誕生するも、同日1頭、1/13にもう1頭死亡。人工哺育を選択。

2002/12/21[繁殖失敗] 円山動物園で1頭出産するが、生育失敗。

2001[死亡] とべ動物園のバール(オス)死亡。

2001[繁殖失敗] 浜松市動物園で、バフィンが1頭出産するが、成育失敗。

2001/2/20[死亡] 天王寺動物園のネボスケ(オス)死亡。1995年11月に宝塚ファミリーランドから転園し、ミユキとの間に、1頭子供を儲ける(ユキスケ)。

2000/10/12,13[繁殖失敗] アドベンチャーワールドで10/12に1頭、10/13に1頭出産するが、生育失敗。

2000/6/12[移動] 岡山池田動物園のユキオ(オス)、上野動物園に移動。池田動物園はホッキョクグマ展示をやめる。

2000/5/15[死亡] 上野動物園のマイ(メス)死亡。飼育期間6年11ヶ月。

2000/2/2[繁殖失敗] アドベンチャーワールドで2頭出産するが、生育失敗。


1999年以前

1999/12/2[誕生] 愛媛県立とべ動物園で、ホッキョクグマの赤ちゃん誕生。2頭出生したが、1頭は出産確認の2時間後に死亡。残る1頭(ピース:メス)を人工哺育に切り替え、飼育員の高市敦広氏の献身的な育成により繁殖成功。人工哺育の最初の事例となりJAZAの繁殖賞を受賞。

1998/12/17[繁殖失敗] 12/17に旭山動物園で2頭誕生するも、12/19に2頭とも母親の食子により死亡。自然哺育を選択。


1945年以前

1936年[新展示] 大阪天王寺動物園で、現在のホッキョクグマ舎完成。2011年春に上野動物園がリニューアルするため、現存する最も古いホッキョクグマ展示舎となる。

1928年[新展示] 上野動物園で、現在のホッキョクグマ舎完成(2010年6月まで使用)。その後のモート型展示の原型となった。2011年春には新展示舎開設予定。

1902年[輸入] 上野動物園が、ドイツのハーゲンベック動物園からホッキョクグマを輸入。ここから日本でのホッキョクグマ飼育が始まる。