1.野生のホッキョクグマ

ホッキョクグマの生息地域は、北極圏の5カ国(アメリカ、カナダ、ロシア、デンマーク領グリーンランド、ノルウェイ領スバールバル諸島)で、国際自然保護連合(IUCN)のホッキョクグマ専門家グループ(PBSG)による推計値によると、約2万〜2万5千頭が生息しており、その内の約60%がカナダに生息していると言われています。

地球温暖化に伴い、冬場に氷が張らず、彼等の主食であるアザラシの狩りが難しくなっていること、ホッキョクグマ生息域の南限が下がり、ヒグマ生息域の北限が上がっていることから、ホッキョクグマとヒグマのハイブリッド種が増え始めていること、海洋汚染に伴う食物連鎖により、ホッキョクグマのPCB等有害物質の体内濃度が高まっていること、人間によるホッキョクグマ生息地の環境破壊と無秩序な狩猟、などによる個体数の減少が危惧されることから、2009年にIUCNの絶滅危惧U類に登録されました。

この流れを受け、ホッキョクグマの生息国では、それぞれ保護法を制定し、狩猟の制限(イヌイットなど昔から狩猟を行ってきた少数民族に限り、かつ数量制限を設ける)や、生きた個体の海外への移動の制限(繁殖実績のない国・動物園への輸出禁止、ホッキョクグマの生育に適さない国への輸出禁止、飼育設備の基準を満たしていない動物園・水族館への輸出禁止)を行っています。

カナダのマニトバ州は、チャーチルに代表される野生ホッキョクグマ観察の聖地とも言われており、ホッキョクグマの保護にも関心の強いところです。2006年、マニトバ州では、今後、施設設備の基準を満たしておらず、飼育と繁殖の技術レベルの低い動物園にはホッキョクグマを輸出しない、という内容を盛り込んだホッキョクグマ保護法を制定しました。

2.飼育下のホッキョクグマ

上記の流れに伴い、世界の動物園・水族館でのホッキョクグマ飼育数が減少しています。特に、1995年以降は加速的に減少しており、1980年には199施設で633頭だったのが、2003年末では、160施設389頭、2008年末では134施設352頭にまで減少しました。

(データは、国内ホッキョクグマ血統登録担当者、旭山動物園獣医師 福井大祐氏執筆の旭山動物園サイトより引用)

これは、元々飼育下でのホッキョクグマの繁殖が難しい上に、ホッキョクグマを輸出する国がロシアに限られてしまったこと、そのロシアも「売れるものは高く売る」方向に向かい相場が跳ね上がったこと、自然保護団体の監視と反対運動の高まりにより国境を越えた個体の移動が減少したためです。

国別では、アメリカ合衆国が34施設66頭(2010年12月25日時点のISISのデータベース等による)で最も多く、次いで日本、ドイツが飼育頭数の多い国となっています。カナダやロシアは、自国内の野生個体の保護に力を入れており、動物園・水族館での飼育数はあまり多くありませんが、その飼育・繁殖技術レベルは高く、繁殖成功率もこの2カ国がリードしています。

3.日本のホッキョクグマ

日本は、1902年に、ドイツのハーゲンベック動物園から受け入れ上野動物園で飼育された個体が最初のホッキョクグマ飼育事例です。2010年11月4日現在、23施設44頭と、アメリカに次いで世界2番目に多くのホッキョクグマを飼育しています。血統登録調査の記録が残る1986年以降の数値によると、1995年の33施設67頭が最高で、それ以降は減少が続いています。

日本のホッキョクグマの繁殖成功率は、アメリカやヨーロッパの動物園に比べてやや低く、2010年12月7日時点で、これまでに157の出産事例があったのに対して、生育数(6ヶ月以上生存)は7施設で22頭と、成功率14パーセントに留まっています。最初の生育成功事例は、1974年の旭山動物園です。1970年代に1施設4頭、1980年代に4施設4頭、1990年代に4施設9頭と育成数を伸ばしてきたのですが、2000年以降の10年間では、札幌市円山動物園で4回5頭、アドベンチャーワールドで1回1頭(人工哺育)の計2施設6頭に減少しました。

2010/12/5 姫路市動物園の出産(12/7に死亡)までをカウント。

一方、この10年間で、海外からの輸入(無期限の貸与契約を含む)は8頭(内訳はロシア6頭、セルビア2頭)ありましたが、それでも個体数は減少し続けており、61頭から44頭へと、16頭減少しました。

MEMO:2000年代前半以前の輸入は、要精査。今後、日本動物園水族館協会年報などを確認のこと

今後、海外からの輸入がますます困難な状況になっていくことを考えると、いかに国内で飼育されているホッキョクグマの繁殖と育成の成功率を高めていくかが重要です。そのため、2010年11月11日に、国内ホッキョクグマ血統登録担当園である旭山動物園の働きかけにより、国内の動物園・水族館間での、ペアリングのための移動促進、繁殖技術の情報交換の促進に向け、日本動物園水族館協会(JAZA)の種保存委員会内に、ホッキョクグマ繁殖検討委員会が設立されました。

4.ミドリグマとウロウログマ (日本のホッキョクグマ飼育の危機的状況)

残念ながら、現在の日本の動物園・水族館で、幸せそうな顔をしたホッキョクグマに出会うことはあまりありません。動物園先進国のアメリカですら、幸せなホッキョクグマは殆どいない(「動物園にできること」川端裕人[1999])といわれています。

これは、ホッキョクグマの生息環境と行動特性、つまり、氷点下数十度の、ほぼ無臭、無菌、無音の世界に暮らしていること、一日に何十キロも歩き餌を探すこと、何キロも泳ぐこと、野生下では天敵がおらず、人間に対しても警戒心を抱かないこと、頭も良く社会性もあることなど、動物園の飼育・展示環境と野生生息環境との乖離が著しく、飼育下では、一日中ウロウロやクビ振りなどの常同行動をとっている個体や、無力感からか一日中寝ている個体を多く見かけます。

ホッキョクグマの社会性については、マニトバ州チャーチルのレポートを精査すること。犬と友達になった野生ホッキョクグマの例など、ホッキョクグマの行動事例がいくつかあるはず。

頭の良さについては、天王寺動物園のゴーゴの事例(霊長類のように道具の利用を学習している)について、カナダの研究者がレポートしていた。要調査。

以上のことから、日本に限らず、世界中の動物園では、ホッキョクグマは最も飼育の難しい動物の一つであるという認識で、改善には、飼育員の技術と経験、情熱と努力だけでなく、動物園全体、いくつかの動物園の集合体として一致協力して解決にあたる必要があるといわれています。

一方、動物園のマネジメント層からは、個体の購入費用と維持費用がそれなりにかかること、移動や治療の度に麻酔が必要であり時として麻酔の事故も起こること、出産と育成が難しく飼育員だけでなく獣医にかかる負担も重いこと、世界の自然保護団体の関心と圧力が強まっており、事故を起こした場合、過激な愛護団体の標的となる可能性がある、など、リスクとコストパフォーマンスの問題が無視できなくなっており、動物園によっては、今の個体が死亡したら、もうホッキョクグマはやらない、というところもあると聞きます。

これまでにやめたところ:京都、福岡、宝塚、みさき、東北サファリ、野毛山、別府*、栗林*、レオマ*、池田、遊亀の11園(廃園*を含む)、今後やめる可能性を示唆しているところ:徳島、浜松、熊本。

今年(2010年)、カナダの自然保護団体が、東海地方から西日本にあるいくつかの動物園でホッキョクグマの毛に藻が繁殖して緑色になっている問題を取り上げ、日本の動物園はただちにホッキョクグマの飼育をやめるべきだと勧告していました。また、2006年にはシンガポールのACRESという団体が、日本のホッキョクグマの飼育状況をチェックして回り、その調査結果を発表しました。これによると、日本の動物園・水族館でホッキョクグマの飼育に値する施設は殆どないと主張しています。

彼等の過激な論旨展開や行動様式には賛同できないものの、今のままでは、近い将来、ホッキョクグマも、クジラやイルカのように、外交レベルの問題に発展しないとも限りません。

また、今後、海外からのホッキョクグマの輸入がままならず、繁殖と育成も進まないようだと、2015年には日本のホッキョクグマは15頭〜20頭に減少し繁殖のためのペアリングも不可能になる、2040年には日本からホッキョクグマが居なくなる、というショッキングなレポートもあります。

それだけに、JAZAのホッキョクグマ繁殖検討委員会での議論にとどまらず、現在日本にいるホッキョクグマの飼育レベルと繁殖成功率を向上させるため、その専門家である飼育員に対する様々な支援策と、施設・設備の充実、他動物園との積極的な交流、個体の移動・交換といった、マネジメントレベルとしての課題解決を促進させ、動物園のミッションの一つである「種の保護と繁殖」に結びつけていく必要があると考えます。

5.日本の動物園・水族館に必要なこと(私論)

これまでに、国内23園45頭中、21園41頭のホッキョクグマを見てきましたが、特に関東以西にある動物園・水族館は、気温が高いこともあり、ホッキョクグマの飼育と繁殖は大変難しいと言わざるを得ません。これらの動物園は、「本当にホッキョクグマを(その場所で)飼育していく必要があるのか?」について、改めて考察すると共に、ホッキョクグマの、(展示だけでなく)飼育と繁殖に必要な施設とマネジメントのありかたについて真剣に検討して頂きたいと思います。

東海地方のとある動物園で、「北海道(の動物園)がうらやましい。出産・育児時期(冬〜春)の、温度、積雪、(人の声を含む)騒音の少なさ、外部からの(排気ガスなどの)臭気の少なさ、人の気配(入場者数)の少なさ、という繁殖に必要な条件が整っている。我々(現場の飼育員)がいくら努力しても追いつけない。」と、(同園での何回かの繁殖失敗の)思いを打ち明けられたことがあります。

この話は、単に地域や気候の問題だけではありません。例えば、札幌市の円山動物園では、母熊に出産の兆候が見られると、野生での母熊が雪に穴を掘って巣篭もりして子育てをするのと同様の環境を作り出すため、春までの間、母熊を温度、空調管理された暗室に入れ、しかもホッキョクグマ舎から半径100m以内を立ち入り禁止区域とし、入場者はもちろんのこと、飼育員すら近寄らなせいという徹底したマネジメントを行っています。

ホッキョクグマのプールへのダイビングで一躍有名になった旭山動物園は、今年(2010年)の11月、母熊に出産の兆候が見られたため、人気の高いこのアトラクションを毎日行うことを取りやめました。今後の状況によっては、円山動物園と同様の立ち入り制限も視野に入れているそうです。年間240万人の入場者数を誇る動物園のこの決定は、旅行会社や地元の観光協会から抗議もあったそうですが、動物園の方針は変わっていません。

このように、飼育と繁殖の成功に向けて重要なことは、施設や環境、飼育技術だけでなく、それ以上に動物園・水族館のマネジメントの決意と信念であると物語っているように思います。

また、日本は「市立」の動物園が最も多いことから「繁殖技術の向上や、思い切った施策が必要なことは、総論としては賛成だが、ウチの動物園でどうしても繁殖させたい。そうしないと市長や市議会が納得しない。だから反対。」という、一種の地域エゴに振り回されて、結果として、繁殖に必要な個体の移動や、飼育技術の情報交換が進まない、という現実もあります。

このような地域エゴを超えて、飼育動物の育成と繁殖を推進するため、欧米の多くの国では、動物園法を制定しています。例えば、アメリカでは、「法律に定められた運営基準を満たさない動物園は、廃園するか2年以内に改善するかのいずれかを、運営母体である州または市が決め、実行しなければならない」、「種の保存に向けた諸活動について、AZA(アメリカの動物園・水族館協会)の勧告に従うこと。従えない場合は、AZAに理由書を上申し、受理されなればならない」のように個々の動物園のマネジメントについても規定しています。残念ながら日本は、先進国の中で、唯一動物園法を持たない国です。このことも「日本は動物園後進国である」と欧米諸国から言われる由縁となっています。

動物園の飼育員が頑張るだけでなく、動物園の園長が頑張るだけでもなく、国としての指針の提示、つまり動物園法の整備に向けた活動も重要であると考えます。

6.今後に向けて

一個人ですので、動物園・水族館への経済的な支援は、(気持ちの問題ですので継続していきますが)あまり役に立たないと思います。平日は会社勤めをしていますので、ボランティア活動などによる工数提供も現在は殆どできません(老後はそうするかもしれませんが)。また、動物園・水族館組織の人間でもありませんので、自ら行動して変えていくこともできません。

そこで、ホッキョクグマ展示の訪問、観察と報告によって、動物園・水族館の外側から、改善に向けたメッセージを穏やかに発信していくことで、幸せなホッキョクグマを一頭でも多く、日本の動物園・水族館で育てていけるよう、国内のホッキョクグマの展示を通じて動物園・水族館のマネジメントポリシーへの考察と、飼育下の個体の状態についての観察を行い、私見ではありますが、これらについて報告していきたいと思います。

また、日本は動物園を所轄する官庁が明確でなく4省庁(農水、厚労、環境、総務)の狭間に位置しています。今後の立法に向けて、個人としてどのような提言や活動ができるのかについても考察して、ここに報告していきたいと思います。

それから、もちろんのことですが、私はホッキョクグマが好きですので、その愛すべき姿や行動についても、報告していきたいと思います。

2011年1月11日 管理人 アジア逃避行 (Asian escape & hideaway)