上海日記♪2002

(2002.10.29〜2001.11.03 上海て)






上海の朝

日が昇り
故郷の大地に照らし
道路と高層ビルの果てに
空の半分が赤く染まっていた

日が昇り
瞳を通し、肌を通し
細胞と細胞の間に光を送り
血が加熱され
魂が感光の痛みで蘇った時は
上海の朝だった…





10月29日 帰国

〜お持ち帰り優しさ〜

朝9:30家を出て、バスで吉祥寺まで行き、吉祥寺駅

のロンロンで母親の好きなケーキを買った。お持ち帰り時

間と聞かれた時、上海までと言ったら、販売員の女の子

は「これは生ものなので、だめです。クッキーにしてく

ださい。」と言った。ちょっと感動した!もし上海だっ

たら、せっかく箱に丁寧に入れたケーキは例えだめでも、

こんな自分を面倒かけることを言わないでしょう。日本人って、お客さんに誠実

ですね。それから、空港で手荷物検査の時、若い女性検査員は慌てて私が検査台

に乗せたケーキを取り、「ケーキですか?食べ物はここを通らないほうが良い。」

と言ってくれました。日本の良さを味わいながら、私はケーキと一緒にボーイン

グ777に乗って上海に旅立った。

〜ママとネズミ〜

夜7:30に、やっと家についた。母親は沢山の料理を用意し

て待っていた。美味しい夕飯を食べ終えて、親子はお喋りを始

めました。「最近、この辺はネズミの楽園になっちゃったのよ。

」。"ネズミ"を言うとき、母親の顔の筋肉はちょっとけいれんし

た。「三日前の夜、私はテレビを見ているとき、突然、南の部

屋から変な音がなり始まった。誰か走り回って、ときにはどん

どん叩いているようです。大変!ネズミが入った。でも見に行くのが怖くて、その晩

はずっと布団の中でその音を聞きながらどきどきして、全然眠れなかった。次の朝、

勇気出して南の部屋のドアを開けると、私は愕然とした:入り口の周りは木の屑が

雪のように散らかっていた、よく見たら、ドアには小さな穴が掘られてしまった。花

瓶は床に落ちて、花が噛まれ、あちこち散らかっていた。一つのソファの真ん中には

オシッコをされた、もう一つソファにはあちこちウンコだらけでした、カーテンもめ

ちゃくちゃ…ショックのあまり私の身体が動かなくなった。暫くしてから、私はあ

なたのお父さんが買ったネズミ捕りを探し出して、この部屋に置きました。それから

出かけて、お昼頃また戻りました。ドアを開けると、一匹大きなネズミが必死に籠の

中でもがいている!捕まった。でも籠に近づくのが怖いから、一階に走っていて、ビ

ル警備の叔父さんにネズミを連れ出すように頼みました。「今度

お好きなタバコを買ってくるから」と何度もお願いして、やっと

部屋まで来ました。けっこうこわごわやっているから、やっぱ

りおじさんも怖がっているみたい…母親の指示通りに、おじさん

は籠を持って道路の向こう側にある母親の友人のところに着きま

した。母は友人にネズミを処分するうに頼んだら、「ネズミ!」

その女性が飛び上がって、わめきながら逃げってしまった!途方に暮れた母親と家

に帰れないネズミが苦難同士のように落ち葉の街角でさまよう…最後、ひとりの「

民工」(地方から来た建築現場などの仕事をしている人)がやってきました。「俺に

任せてください。」と言い、沸いたばかりのお湯を持ってきて、籠の上から注ぎ、

ネズミにシャワーを浴びさせた。「こんな大きなネズミはお湯でこんな小さくなっ

た…」母はそのサイズを手まねしながら、顔の表情がやっと落ち着きました。帰国

の初日はネズミの話で終わり、一日の疲れで、私はすぐ夢に入り、「もう寝たの?」

母親の声が遠ざがっていた...



10月30日 (二日目)

〜外婆家〜

二日目に、さっそく「外婆家」を尋ねました。母親のお母さんは「外婆」(wai4po2)

と呼びます。私は幼い頃「外婆」と一緒に暮らしていたので、かなり親しいです。

親しいだけではなくて、怖がるほど「外婆」を尊敬しています。昔、よく男の子

と殴り合って、帰ったら「外婆」に殴られてしまったから。「外婆」は顔色が良

くって、とても元気そうでした。母親は「外婆」の指示通りで料理を作っている

うちに、私は「外婆」といろいろな話をしていました。「外婆」の一生は波乱万

丈で、いろいろなことを経験したので、私はいつかそれを小説にしたいと思って、

「外婆」と話するとき、いつもメモを取っています。話の途

中で、「外婆」は何回も私の手を握り締め:「早く戻ってら

っしゃい!今回日本に行ったらすぐ荷物をまとめて戻りなさ

い!約束してね。」それを聞くたびに、私は言葉を失ってし

まいます。台所にいる母親は「とりあえず外婆に"はい"と言

えば。」と言っていた。幸い「外婆」は耳が遠いので、母親

の言葉が聞こえていなかった。「昼ご飯は上海蟹、塩茹でとろとろ枝豆、ミシ(

日本にない野菜)の炒め、セロリとイかの炒め、イシモチの蒸し物、トマトと卵

のスープ。三人で紹興酒を飲みながら美味しく食べました。「外婆」は紹興酒を

スプライトで割って美味しそうに飲んでいた。私はひとりで蟹二匹も食べてお腹

がパンパンでした。食後、みんな昼寝をしました。幼い時に馴染んだ「外婆家」

の布団の匂いを嗅ぎながら、私はぐっすり4時間も寝てしまった。日本での昼寝

はいつも10分位で目が覚めるのに…「外婆家」を出るとき、「外婆」は後ろで

「今度帰ったらもう絶対に日本に行かないでね、早く向こうの部屋を片付けて。

一人で本当にかわいそう…」と何度も何度も言いました。



10月31日 (三日目)

〜町でグルメ〜

三日目、雨にもかかわらず、母親を引っ張り出して、賑やかな町に出た。上海市

中心部にある第一百貨店の向こう側の店で、「外婆」の赤いセーターを買った後、

上海料理の名店「上海人家」に足を運びました。平日の昼間にもかかわらず、「

上海人家」は大勢のお客さんで賑わっていて、ほとんど満席でした。料理二品、

鍋一つとご飯一杯を注文しました。本格的な上海料理の味で、なかなか美味し

かった。



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上海人家

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<<青菜炒面筋>>

「青梗菜と面筋の炒め」は典型的な上海家庭料理です。

「面筋」は麩で作られ、暖かいうちは風船みたいに膨

らんでいて、まん丸な形にしている時もある。すべす

べて滑らかな食感が特徴です。また、冬の青梗菜は甘

くてもちもち、なんともいえない美味しさでついつい

食べてしまう。





<<水晶河蝦仁>>

「水晶河蝦」はちょっと高級な料理です。中国で

は、海の蝦に比べて、河蝦のほうが味がよく、珍

味と思われるから。口の中に入れるとぷりぷりで

「蝦に」が生きているような感じです。ちょっと

お酢をつけて食べれば、さらに上品な味になる。




<<月奄 篤 鮮>>

「月奄」はお塩に漬けてから干した豚肉(肉の"干物")

、「鮮」は新鮮な豚肉。それに竹の子などを加え、じ

っくり煮込んだスープは<<月奄 篤 鮮>>である。本

番の上海料理の珍味です。「鮮」の香り、「月奄」の

味の深さ、竹の子の独特な美味しさが渾然一体になり

、飲んでも飲んでもまた飲みたい、この四人分ぐらい

の鍋は母親と二人で全部食べ尽くしてしまった!




11日1日 (四日目)

〜公園の朝〜

朝、早起きして、近所の「楊浦公園」を尋ねました。久々の中国の朝の公園で、

人々の熱気に圧倒されてしまいました。





<<小橋流水>>

小さい橋と流れる水、この美しい風景は中国の

公園の基本構図とも言えます。樹木はもう秋の

色に染まり、風が河の水面に細波を立てながら

、吹いて来た。公園の朝が始まった…





<<現代の"花木蘭">>

「中国木蘭拳」の赤い旗は風と共に舞い上がる。「木

蘭」は中国古代有名な女英雄で、年配のお父さんの代

わりに、男装して、戦場で戦い、大きな戦功を立てら

れました。戦後、家に帰り、女装に戻った時、昔の戦

友たちはみんな信じられなかった。何で勇猛な男性は

綺麗なお嬢さんになったの?長年一緒に戦ったのに、

誰も知らなかった。この「木蘭拳」は男性の勇猛さと

女性の美しさを一体化し、現代女傑の英姿が見られます。





<<将棋、トランプ熱戦>>

ここは何をしている?公園の一角の石テーブルを囲ん

で、将棋、トランプの熱戦が行われている!みんな真

剣な顔で、戦局に夢中です。観戦する人もけっこうい

るようで、しかし…女性がいない。なぜ?やっぱりテ

ーブルを囲んで戦うのが男性の特権かしら?



<<児童楽園>>

まだ朝九時頃なのに、「児童楽園」の前にはもうこん

な長い列!子供たちは色鮮やかな服を着て、並びなが

ら楽しそうにお喋りをしている。これは「秋遊」かし

ら?私が小学生の時は、「春遊」しかなかったのに…

その時いつもおばあちゃんから「二角」のお金をもら

い、椰子パンを買って持って行った。子供たちと一緒

に外で食べるのがとっても美味しかった。



<<亭子と獅子>>

中国の公園で、「亭子」(東屋)と石獅子は

よく見られます。歩き疲れたら、「亭子」

の中で一休みも良いですね。









優しい朝日の中で、白い服を着ているお医者さんが

血圧を測るサービスを始めた。これも公園の中です。

生活環境が良くなり、医療水準も高くなる一方で、

人口「老齢化」の問題も深刻になりました。「老人

病」を研究するお医者さんが年々増えているそうで

す。





朝の公園を出て、バスに乗って市の中心部に向かい

ました。福州路の「書城」に入り、2時間ぐらい立

ち読みした後、三冊の本を買いました。それから南

京路の「沈大成」という有名な老舗でもち米で作っ

た点心を三つ買って食べました。この賑やかの町で

歩きながら食べるのが久々ですね。なんともいえな

い幸せが心に湧いてきて、大満足です。



11月2日 (五日目、帰る前日)

〜朝の市場〜

今日は上海での最終日です。夜、弟たちもやってくるので、一家

「大団円」の日です。朝早く、母親と二人で大きな市場にやってきました。




<<鳥と鴨>>

鳥と鴨肉は日本よりも中国のほうがずっと美味し

いです。品種もけっこう違いますけど、もう一つ

大きい原因は中国人は「活き」に拘りがある。そ

の場で選んで、その場で裁いてもらい、その日に

調理して食べる。見てごらん、こんなに活きのい

い肉が美味しいのは当たり前ですね。





<<河魚たち>>

海の魚の漁が限られているので、「河魚」の養殖

が大繁盛!「海鮮」、「河鮮」が大好きな上海人

は「河魚」をよく食べます。養殖と言っても味は

全然落ちません。しかもお値段が大変安いです。







<<新鮮野菜>>

食欲の秋に、野菜も種類豊富です。どれも色鮮や

かでみずみずしい。中には、その朝、自分の畑か

ら野菜を取ってきて売っている人もいます。大地

の恵みをいっぱい頂きましょう。





午後、弟と甥が早くやってきたので、近所の体育館で

「兄弟卓球」をやりました。二人とも凡凡の技でした

が、夕飯のために、お腹を空かせました。



〜最後の夕飯〜



左:上海蟹  右:とろとろ枝豆 





左:「窩笋」の炒め
右:蝦と「マコモダケの炒め





左:豚足のトロトロ煮
右:イかとセロリの炒め





左:「扁魚」の醤油煮
右:「胖頭魚」と「粉皮」のスープ。

「胖頭魚」は川魚の一種です。身よりも頭のほうが美味しいです。
ゼラチン質のねっとりした目玉の周りの肉ががいっぱい入ってい
るので、好きな人はもう堪らない。「粉皮」は春雨と似たような
味で、形は「皮」みたいになっている。





桂圓

中国の南方の果物、身はライチみたいな半透明です。水分が沢山
含まれ、甘くて香りがいい。ライチよりも繊細な味わいです。



11月2日 (六日目、日本に帰る)

〜帰りの朝〜

楽しい日々は過ぎるのが早い!あっという間に辛い日がやってきました。帰りの

朝、父親は五時前に起きて、私の為に荷造りをし始めた。母親は台所で水餃子を

茹でていた。逆に、私は何もする事がなくなり、不安と寂しさが襲ってきた…

〜親愛的上海がに〜

その朝、父親は

湿ったタオルで4匹の元気な上海がにを包み、私の手荷物に入れました。「ちょっと

臭いかもしれないけど、ビニール袋に入れたら、息ができなくて、死んでしまうから、

我慢してね。」と言いました。上海浦東空港に着き、トランクを預け、出国検査を済

ませ、最後の手荷物検査に参りました。手荷物を検査台の上に乗せ、私は「身体検査

アーチ」を通り、向こう側で手荷物を取ろうとしたその時、「小姐、中に蟹が入って

いる。生きていますか?」と検査員に聞かれました。「えっ、一晩冷蔵庫に入れてた

ので、死んでるかもしれない…」と私はごまかそうとしていた。「じゃ、開けて見せ

なさい、生きているなら、持ち込みは禁止です。」

あー、おしまい…「配達ならできるかもしれない、

航空会社のカウンターまで戻って、聞いてみてく

ださい。」私は急いでカウンターまで戻り、そこ

は人の山でした。誰に聞いても「ここではない、

そっちです。」といい加減な答えばっかり。搭乗

時間が近づき、私は瀕死のあがきをしている上

海がにのように絶望に陥ってしまった。まあー、捨てるしかないわと諦め、手

荷物検査のところに戻りました。気持ちはだんだん寂しくなり、母親が一所懸命かに

を選ぶ姿、父親が朝五時前に起きて、かにを包む姿が頭に浮かび、涙が出そうだった

。一瞬、上海がには親の愛に置き換えられた。イイコ、負けてはいけません!親の愛

を守らなきゃ!親を思うと妙に勇気とアイデアが湧いてきた。私はジャケットを脱ぎ

、カにを片手で持ち、そのジャケットをかにの上に掛けて、戦士みたいな勇敢な表情

で、「身体検査アーチ」を通りました…やった!そうです、かには手荷物ではない、

親の愛は私の身体の一部であり、「身体検査アーチ」から通るべきだ!