蝉の死骸



 ことり、と、地面に落ちたそれは、暫くジリジリと動いた後、ぱたりと動かなくなった。
 動かなくなったと同時に、それの発していた命の気配が消えて、そっと近寄って手を伸ばした。
「………?」
「死んでしまったのね。」
 後ろから声を掛けられて、くるりと振り返ると、少しだけ、表情を曇らせた母が立っていた。
「死んじゃったの?」
「ええ。」
 これが、死ぬという事。
 動かなくなって、命の気配が消えてしまう事。物として存在する気配はあっても、生きている気配がない。
 それが、死ぬという事。
 そしてそれは、夜の庭での騒動で繰り返される事。
 あれは、誰かが死んでいるという事なのだと、その時やっと、気付く事が出来た。
「埋めてあげてもいい?」
「ええ。」
 人が死んだ夜は、父がどこかの土を掘り返す。そしてそこに、死んだ人は埋められるのだ。
「……どうして死んだの?」
 庭の隅の、木立の下を掘って、小さな蝉を埋める。
 それはいつか、土の中に紛れて、形をなくして、木の中に取り込まれていくのだ。
「蝉はね、長くは生きていられない生き物なのよ。」
 その短い間に、必死に鳴いて、命を繋いで死んでいく。
「どれくらい生きていられるの?」
「地上に上がってから、1週間だって、聞いた事があるけれど、お母さんは確かめた事はないわ。」
 それまでは、ずっと地面の中で生きているのよ。と、母は言い、家へ上がるその後ろ姿を追い掛けて、開け放した窓から家の中へ上がる。
「……イルカも、いつかは死ぬ?」
「ええ。母さんも、蒼牙さんも、いつかは死ぬのよ。」
 見た事もない誰かのように、生きている気配を消して、物になってしまう日が来るのかと、そう考えると、
少し悲しいような気もした。
「そうしたら、父ちゃん、埋めてくれるかな。」
 問いかけると、母は振り返って、腕を伸ばして抱き寄せてくれた。
「イルカは、母さんや蒼牙さんより先に死んだりしては駄目よ。イルカが、母さんを埋めてくれなくちゃ。」
「……そうしたら、イルカは誰が埋めてくれるの?」
 問いかければ母は少しだけ困ったような顔をして、それから答えをくれた。
 
 
 
 
 
 
 
「あなた、俺の事、埋めてくれますか?」
 ふと問いかけると、彼は驚いたように表情を強張らせて、じっと見返してきた。
「……イルカ先生?」
「俺が死んだら、俺を埋めてくれますか?」
 あの頃、両親を埋めると約束したのに、結局それは果たせなかった。
 保護されている間に全ては終わっていて、なんとかそれを果たす為に、こっそりと、庭の隅に両親の持ち物を一つずつ埋めた。
 あの時母が言ってくれたように、自分をここに埋めてくれる人を探さなくてはいけない。
「……俺より先に、あなたが死んだなら。」
「俺より先に死なないって、言ってくれたでしょう?」
 だから傍にいてもいいと思ったのだから。それならば、自分を埋めてくれるのはこの人がいいと思う。
「………あなたが死んだら、俺がここへ埋めてあげますよ。」
「忘れないで下さいね。」
 埋めてもらう為には、その人が自分より先には死なない事が絶対の条件。
 母は、子どもを自分より先に死なせたくなかったのだ。
「俺は、あなたが埋めるんですよ。」
 あなたも、俺より先に死んだりしないと、約束して下さい。
「はい。」
 そうしてくれたらその先までは望んだりしないから、それまでは、あなたは俺の傍にいて下さい。

 
 
 


蝉の死骸の話は、「いつか〜」に少し書いてあるのですが、この時期、蝉の死骸、山のように落ちてますね。踏まれたり、風化したりして、大変悲しい状態になってたり、蟻に担がれていたり……
死ぬってのは、ああいう事を言うのかなぁ…

(2003.8.28)

「文字書きさんに100のお題」の作品です。




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