贅沢な時間



「今日は、ビーフシチュー作ってやるよ。最後だから、豪華にいこうぜ。」
 
 8カ月程前に兄になったサンジは、今朝、そう言って見送ってくれた。
 2週間前から、母は新婚旅行気分で父の海外出張に着いて行き、今日は両親不在の最後の日だ。
 流石に、普通に稼ぎのある人間を置いていくのに躊躇いはないだろうと思っていたが、父は充分すぎる程の食費を置いていったらしい。
 当然のように料理を受け持ったサンジは、毎晩、何かしら酒を持って帰って来ては、それに合う料理を用意していた。
 俺にとって、サンジの作る料理は朝食ですら、豪華に見えるのだ。それが夕食になると、更に豪華さを増して感じられる。
 それなのに、今朝の言い分からしてみると、今までのあれは普通だったという事になるわけで、それではサンジも父も、母の作る料理に物足りなさを感じていたのではないかという不安も感じる。
 けれど、振り帰ってみて、二人が不満そうな顔をしているのは見ていないし、どちらかというと、嬉しそうに食卓を眺めていたから、あれはあれでいいのかもしれないのだけれど。
 しかし、ビーフシチューというのは、そんなに豪華な料理だったろうかと思いつつ、俺は玄関の鍵を開けた。
 
 
 
 
「どうぞ、召し上がれ。」
 相変わらず、見事に飾られた夕食を眺めて、俺は暫く固まった。
「ゾロ?どうした?」
 不思議そうにサンジが問い掛けてきても、目の前に置かれた皿の中身に、視線が釘付けになってしまう。
 『ビーフシチュー』と、今朝、サンジは言った。
 俺の知っているビーフシチューは、色の違うカレーみたいなものだ。玉葱とじゃがいもと人参がごろごろと入っていて、肉は小さなのが申し訳程度に入っているようなものだ。俺は、この二十数年間、それがビーフシチューという食べ物だと信じて生きてきた。
 だが、今目の前にあるものは、到底それと同じものとは思えなかった。
 まず、何やらグラタン皿のような物の中にそれは入っている。サンジは、器が熱いから手で持つなよ。と言った。
 そして、その皿の中には、濃い茶色のとろりとした汁がごく浅く入れられている。それから、ブロッコリーと小さめに切られたじゃがいもと人参。
 そこまでは、何となく、自分の知るビーフシチューとそれほど離れてはいないと思う。スープの色は随分濃いが、プロの料理人の作った物と、市販の品を使った母親の作った物とでは違って当然だ。
 だけれど、何より違うのは、その皿の中心にどかんと居座って、存在を存分に主張している肉の姿だ。
 よく煮込まれたらしく、見るからに柔らかそうな雰囲気を醸し出しているそれは、俺の知るビーフシチューの肉とはまるで違う大きさを誇っている。
 以前に、サンジの働く店に母と父と出掛けた時に、ビーフシチューが肉料理の範疇にあるのを不思議に思ったが、今ここにあるそれを見れば、これはまぎれもなく肉料理だと思えた。
「ビーフシチューは嫌いだった?」
 美味しくできてると思うんだけど。と、サンジは心配そうに言い、俺は慌てて顔を上げて首を横に振った。
「驚いただけだ。」
「……そっか。」
 この8カ月と言うもの、料理に関しての差の大きさに驚く事も多かった為、サンジはこんな状況にも慣れてしまっているようで、ほっとしたように笑い、ソースに絡めて食べると旨いよ。と、フィトなんとか言う平打ちのパスタ(スパゲティがパスタの一種だというのを、俺はこの家に来て初めて知った)の皿を近くへ寄せてくれる。
「いただきます。」
 とりあえず、この濃い色のソースの味を見てみるべきだろうか、とも思ったが、やはり目の前の肉の誘惑には逆らい難く、この8カ月で随分慣れた、ナイフを使って肉を切り分け、ソースと共に口に運ぶ。
 肉は本当に柔らかく、ソースは驚く程濃厚な味わいだった。
 もう少し、ソースを沢山入れてくれてもいいのにと思っていたが、この分量が美味しく食べられる為の最適なものなのだと理解できた。
「旨い。」
 舌に慣れた味ではないけれど、これがとても手の込んだ料理なのだろうというのがわかるような気がした。
 そして、サンジが勧めたように、パスタを中に落としてそれを絡めて食べると、また違った美味しさのようなものを感じた。
「いいだろ?」
 問われてしっかりと頷き、サンジの注いでくれたワインを一口飲む。
「こんな贅沢していいのかなぁ…」
 玄関を潜る時は、ビーフシチューが豪華なのかどうか…なんて考えていたのに、サンジが豪華にしようと言ったのがよくわかる程、幸せな気分だ。
「お母さん達も、この2週間、吃驚する程、贅沢してたと思うよ。」
 帰ってきたお母さんが、どんな話をしてくれるか楽しみだよね。と、サンジは笑い、それを想像して思わず笑ってしまう。
「俺も、充分、贅沢してたと思うけど。」
 サンジがいてよかった。
 そう言うと、サンジは少し驚いたように目を見張って、それから、嬉しそうに笑った。
「感謝しろよ?」
「してる。」
 シチューの肉を口に運びながら、これをこうして食卓で食べられるのは何時頃までだろうかなんて事を考える。サンジだって、いずれ家庭を持てば、こうして自分達の為に食事を作ってくれる事などなくなるだろう。
「いつまで、お前の料理がここで食えるのかな。」
 思わず口に出してしまってから、変な事を言っただろうかとサンジを見ると、サンジは吃驚したように目を見開き、それから何故か赤くなって、手元のパンを引きちぎった。
「サンジ?」
「……お前が食いたいって言えば、いつでも作ってやる。」
 俺は、多分、ずっとこの家にいるから。とサンジは言い、俺は何故だかその返答にとても安心した。
「そっか。」
「そうだ。」
 サンジは何故か反り返ってそう答え、俺は楽しくなってワイングラスを空にした。

 
 
 


01と同じ義兄弟設定です。
先日の旅行で、友人の頼んだビーフシチューがそれはそれは美味しくて、これを豪華な食事のネタにしよう〜と思いました。
サンジさんはどうやら、弟さんがかなりお気に入りのご様子ですね。
ところで、シチューのスープ部分ってのは、なんて呼ぶのですかね。スープって言うと、薄そうな感じするし、かといって、シチューとも言わないとも思うし、汁とかタレとか言われても更におかしいよね。(ソースだとメッセージを頂いたので、ソースに直してみた。そう聞くまでは『汁』にしてみた。このゾロは物を知らんから)

(2005.07.15)




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