「なんかそれ、凄いな…」
驚いたように言われた言葉に、小さく頷いて同意を示す。
これは、俺の本意ではないのだ、と。
今朝、サンジが作って渡してくれた弁当箱の中身を、俺は疑いもせず、ごく在り来たりな物だろうと思っていた。
勿論、あのサンジの作る品である。彩りが鮮やかであろうとか、栄養バランスが考えてあるのだろうとか、そういう事は受け取った時点で考えたけれど、これは何と言うか、反則技だと思う。
「彼女でもできたのか?」
昨日までの俺の弁当が、夕飯の残りじゃないのかというような品等も詰められた、いたって普通の、味も素っ気もない物だった事を、向いに座って食堂の定食を前にした同僚は知っているのだ。
何せ、今俺の開けた弁当箱の飯の部分には、嫌がらせかと思うような、サクラでんぶのハートマークが描き出されている。
漫画やアニメなんかで見た、新婚家庭か付き合って間もない恋人の作る弁当のそれと同じだ。
こんな物、本当に持って来ている人間なんて俺は見た事がない。
「……そういうわけでも…」
ないわけでもない。が、その辺を語るのには憚りがある。
「でもそれ、おふくろさん作じゃないんだろ?」
「兄貴が。」
兄と言っても、同じ歳の異父母兄弟ではあるが。
「………嫌がらせかなんかか?」
喧嘩でもしたのかよ。と、笑って問い掛けられ、首を横に振る。
喧嘩はしていない。関係は良好だ。多分、普通の兄弟なんて目じゃないくらいに良好だと思う。
だからこれは、嫌がらせでなく、新婚か恋人かの気分で作られた弁当なのだ。
「まぁ……弁当に罪はねぇし。」
見てくれは何だが、味に問題があるはずはない。ハートの真ん中を切り裂くように箸を入れて、俺はため息混じりに食事を始めた。
大事な話があるのだと、仕事から帰って来たサンジは、何やら小さな箱を持ってゾロの部屋へやって来た。
「お前、多分、驚くと思うんだけど。」
サンジの視線は定まらず、うろうろと辺りに飛び回っていた。
「言ってみろよ。」
言われなくちゃわかんねぇし。と返すと、サンジはぎっと、真直ぐに俺を見据えると手に持っていた箱を差し出して口を開いた。
「結婚して下さい!」
「……は?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「……結婚?」
誰が誰と。と思ったけれど、この場にいるのは俺とサンジだけで、他には誰もいないし、今の言い方は間違いなく申し込みの意図を含んでいる。
「…実際には無理だけど、奥さんはゾロがいいなぁって…」
いや別に、ゾロがどうしてもって言うなら俺が奥さんでもいいんだけど、とサンジはぼそぼそと付け足し、困ったように手に持った箱を揺らす。
「それは?」
あまり聞きたくないような気がしたけれど、一応問い掛けてみると、サンジは箱を開けてみせる。
「ピアス?」
「ゾロ、穴は空いてるだろ?」
流石に職場には着けていっていないけれど、穴はまだ塞がっていない。その内塞がるだろうと思っていたから、サンジが気付いているとは思わなかった。
「空いてるけど…」
「指輪とかは、決まってから買いに行くんだよね?」
「……多分…」
こいつ、本気なんだ…と、思った。
サンジは店では女性客に声を掛けに行く事を楽しんでいる様子もあったし、二人で出掛けた時だって、女から声を掛けられれば嬉しそうにしていた。
だから、こういう展開は考えてもみなかったし、俄には信じ難いけれど、どうにも本気らしい。
では、自分だってちゃんと答えを返さねばなるまい。と思うが、考えた事もない事の答えを今返せと言われても困る。
「今答えろって?」
「あ…いや、早い方がいいけど、今すぐじゃなくていいよ。」
これ、本当は誕生日のプレゼントに買ったやつだから。とサンジは言う。
けれど、俺の誕生日はもう1カ月前に過ぎ去っている。という事は、サンジは1カ月も前からずっとこれを言い出そうと考えていたのだろうか。
「何がそんなによかったんだ?」
別に特別な事なんてなかったと思う。初めて会った時からサンジは友好的だったから、俺もこだわりなく家族のように過ごせた。だけれど、普通、家族に結婚してくれとは言わないだろう。
「一目惚れだと思うんだけど、飯食ってる顔が好きだとか、いちいち挙げてるとキリがないくらい。」
サンジが好きか嫌いかと言われたら、好きだと答えるのは当然だと思うけれど、結婚したいかと言われるとよくわからない。だからと言って、他に結婚したい相手がいるわけでもなく、この状況を不快だとも思わないのも確かだ。
「とりあえず、結婚を前提におつき合い。ってのでもいいけど。」
前提ってことは、問題がない限りは結婚するってことだけど、とサンジは慌てたように言葉を重ねる。
多分、明日になったら、今言ってる事の半分は忘れているか、自分の状況に落ち込むかのどちらかだろうなと、その落ち着きのない様子を見て思った。
それは、それだけ、サンジが断りを怖れているという事なのか、やぶれかぶれになっているという事なのか、一体どういう心持ちなのだろうかと、ぼんやり思う。
「結婚って言ったって、他の誰とも結婚しないって約束にしかならないと思うけど、色々あるだろ。」
実質的な夫婦生活を送ってみたい。という希望であろうと、サンジが言い難そうにしている事を察して驚く。
「それって、やりたい。ってことだよな?」
「……有り体に言えば…」
「わあ…」
驚きだ。女の恋人は大勢いたろうに、何を思って道を踏み外したやら。可哀想に。と他人事のように思ったけれど、相変わらず不快だとは思わず、これは、別に構わないのではないか、という気持ちの表れだろうか。
「結婚を前提にしたおつき合いと、結婚生活とは何か違いがあるのか?」
今だって一緒に暮らしているし、結婚を前提にして、とか言うのなら、やる気はあるのだろう。ならば、何も違わないような気もする。
「……ないね。」
サンジは暫く首を傾げて考えていたが、あっさりとそう返した。結婚までは清い関係で、とか言ってみろよ。と少々呆れた気分でサンジを眺め、これはこのまま放り出してはいけないんじゃないだろうかという気になった。
「じゃ、結婚って事でいいよ。」
どうにも合わなくなったら離婚な。と言ってサンジの手の上からピアスの納まった箱を取り上げると、サンジは驚きに目を見開く。
「ゾロ?」
「今と何が変わるのかよくわかんねぇけど。」
なんか嫌じゃないから。と答えると、サンジは手を伸ばして、俺の手首を掴んだ。
「絶対、幸せにするから!」
「…………よろしくお願いします。」
こんな答えでいいのかな、と思いつつそう返せば、サンジは大きく頷いて、飛びついて来た。
「結婚指輪は、今度買いに行こうな!」
何やら驚く程浮かれた顔をするサンジを眺めて、まぁ、別にこれでもいいや、と思った。
「とりあえず、家でやんのは止めろよ。」
今にもことに及ぼうとするサンジを抑えてそう言うと、ピタリとサンジの動きが止まった。
「なんで?」
「母さんが倒れたら困る。」
息子が嫁を貰う日を楽しみにしているような様子は見せた事はないが、男同士でしかも兄弟だなんて事を突然知ってしまっては、流石の母もショックを受けるかもしれない。
「いない時ならいいのか?」
「………まぁ…」
へこたれない奴。と思いつつも仕方なしに頷くと、サンジは俺の机の上のカレンダーをじっと見つめ、頷いた。
「とりあえず、1週間のお預けって事だな。」
「へ?」
「親父と旅行に行くってさっき言ってた。」
にっこりとサンジは笑い、浮かれた顔で立ち上がる。
「コーヒー煎れて来てやるよ。」
楽しみだな〜。と鼻歌でも歌いそうな様子でサンジは言い、足取りも軽く部屋を出ていった。
あんなに嬉しそうならまぁいいか、と思うという事は、まんざらでもないって事か、と自分が少し不思議になったけれど、あの笑っている顔は好きなんだ、とも思った。
01と同じ義兄弟設定です。
多分、出会って1年くらいでしょう。お兄さんは遂に思い切り、弟さんは見事に流されましたとさ。
初夜記念弁当ですね。多分。兄は浮かれ切っているものと思われます。
(2005.07.19)