初めての味



 こんなはずじゃなかった。
 
 目の前で、うまそうにビールを飲むゾロを見て、サンジは思った。
 今日は給料日。
 だから、仕事帰りに食事に行こうってゾロを誘って、奢るから、ゾロの好きな店に連れていってよ、と言った自分が馬鹿だったんだ、と思う。
 確かに、テーブルの上の料理は旨い。
 
 生ビールは夏にはぴったり。
 餃子はもっちりした皮がカリッと焼けていて、たっぷり詰まった肉餡からは、噛めばじわりと肉汁が溢れ出す。
 チャーシューとキムチとネギの刻み和えも、ラー油と白髪ネギと合わさったメンマも、米粒がパラパラに出来上がった高菜のチャーハンも、ピリリとした辛みでビールを誘う。
 
 そして何より、目の前で旨そうにそれを食べるゾロの笑顔は最高だった。
 
 けれど、俺達は、単なる友達じゃなくて、つい先日、所謂恋人になったという間柄。
 それ以来、仕事が忙しくてなかなか会えず、やっと会える上に、給料日の俺の奢り。
 これは、ちょっと洒落た感じの店で食事をして、帰りには…なんて事を考えたって、バチは当たらないはずだろう。
 それなのに。ラーメン屋でビール片手に乾杯なんて…
 
 
 
「何、泣いてンだよ。」
 ぎょっとしたように目を見開いて、ゾロが問いかけてくるのにサンジは首を振る。
「鼻水が目から出たんだ。」
「……逆だろ。」
 ゾロの呆れたような声に、首を傾げて言い分の真意を目で問えば、ゾロはため息混じりに答えを返す。
「その鼻から垂れてんのが涙だ。」
 言われて、テーブルの上のおしぼりで鼻を拭って首を振る。
「垂れてねぇ」
「目の中には、鼻の穴が退化して残ってんだ。泣くとそこから鼻に涙が流れてくるから、鼻水垂れてるように見えるんだよ。」
 ゾロは言って、自分の手元のおしぼりでサンジの目元を拭う。
「………だって…」
 サンジがぽつりと呟くと、ゾロは箸を置いてサンジの言葉を待つ。
「ゾロと初めてするキスが、餃子の味なんて嫌だ…」
「はぁ!?」
 突然の告白に、どこからどこへ話が飛んだんだ、と、ゾロはサンジの頭の中身を本気で心配した。
「ビールも餃子も美味しいけど…」
 俺、給料出たから奢るって言ったのに、そんなに稼ぎがないと思われてるの? とサンジが呟くに至って、ゾロは自分の選択が失敗であった事に気付いた。
「だって、お前が好きな店に連れてけって言うから。」
 サンジはコックで、自分が普段作っているような料理なんて食べても、と思ったのだけれど、考えてみれば、サンジはそういうムードとかなんとか言うものを大事にするタイプの人間だった。
 ゾロだって、サンジと会うのは久しぶりで、食事をするなら旨いものがいいと思うし、気楽に話ができればいいと思うから、隣のテーブルがどんな話をしていたって、まるで気にする事のないこの店は、自分達にはなかなか合っていると思ったのだ。
 現に、サンジは餃子を食べて嬉しそうにしていたし、作り方が気になるような様子だって見せていたから、とりあえずは安心だと思っていたのだけれど。
「言ったけど…」
 サンジは言って、おしぼりで目元を覆い、ゾロはため息をついて、テーブルの上の料理を口に運ぶ。
「そんなに嫌なら、歯ァ磨いてからすりゃいいだろ。」
 何でそんな事が気になるのかわからないけれど、とゾロは思いながらそう言い、サンジは首を横に振る。
「歯ブラシなんて持ってない。」
「あるとこ行けばいいだろ。」
 キスして終いか。とゾロは吐き捨てるように言う。
「………え?」
 思わず顔をあげたサンジは、ビールを飲み干して口を拭うゾロを、ぽかんと眺める。
「阿呆か。」
 ばくりと一口で最後の餃子を食べて、ゾロは椅子から立ち上がる。
「帰る。」
 言い置いて歩き出すゾロを、しばらくぼんやり眺めやり、サンジは慌てて立ち上がると、伝票を握って後を追い掛ける。
「ゾロ、待って。」
 キスしてお終いなんて、そんなことあるわけない。
 レジで釣りを貰うのももどかしく、サンジは先を行くゾロを追い掛けて、店を飛び出した。
「俺ん家、行こう!」
 叫べばゾロは足を止めてサンジを振り返ると、仕方ねぇな、と呟いて笑った。

 
 
 


ラーメンと餃子が食べたかったのだ。
食べ物を美味しそうに書くのがこの10本の使命なのだが、回を重ねる毎に、何かが足りない感じがしてきます。
涙と鼻水の話は本当の事で、下瞼をべろっと下げた時、鼻に近い方にある小さな穴が、嘗て4つあった鼻の穴の退化した2つなんだそうな。先日テレビでやってました。

(2006.6.15)




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