夢の在処<



「何か食べる?」
 2階の自室から降りてきた同居人の少年に、サンジはそう問い掛けた。
「……食べる。」
 今年が高校受験のゾロは、サンジが保護者の代わりをつとめている、とても大切な存在だ。
「少し待ってて。」
 そう言ってソファを立てば、ゾロは空いたそこにぽすんと腰を下ろす。
「勉強ははかどってる?」
「まぁまぁ…」
 そんな事を言いながら、ゾロが悪い成績を取ってきた事など一度もない事を、サンジは知っている。
 ゾロの父親の海外勤務が決まった時、ゾロは日本に残りたいと言った。
 その頃、ゾロは幼い頃から続けていた剣道で全国大会で1位を取っており、剣道を続ける為には日本にいるのがいい事だと判断したのだろう。
 親と離れてでも剣道を、と決めたゾロだったが、中学生を一人で住まわせる事はできず、いずれはまた日本へ戻る為に、住まいを処分する事もできないと、ゾロの世話と家の管理を任されたのが、近所に住んでいた親戚のサンジだった。
 サンジは、ゾロが産まれた時からずっと、ゾロの世話をするのが好きだった。度々家を訪れては、仕事で忙しいゾロの両親の代わりに、ゾロの面倒を見てきていたサンジならばと、ゾロにもゾロの両親にも異論はなく、ゾロはこの家で、サンジと二人で暮らしている。
 ゾロが学校の勉強を疎かにしないのは、そんな自分の状況を、悪く言われない為にとの気持ちがあるのだとは、サンジにもわかっていた。
 ゾロをよく知る近所の人々や、友人達は、ゾロの事を悪く言う事はないが、それでも生活が乱れれば、『やっぱり両親がいないから』という言葉を聞く事になるだろう。
 ゾロにとって、それはきっと不本意な事であろうし、サンジにとっても不本意な事だ。
「サンジ、後で、英語見てくれるか?」
「いいよ。」
 たっぷりの湯でうどんを茹でながら、薄味のダシの中に、油抜きした油揚げとネギを入れて軽く煮る。
 夜食を作ってあげるのも、最近増えてきた。試験が近付くと、夜遅くまで勉強するようになったからだが、半分くらいは、夜食を食べる事が楽しみなんだろうとサンジは思っている。
 更に、食べ盛りの少年である上に、夕食後、勉強を始める前に、体力作りだと言ってランニングに出掛けているのだ。帰ってきて2、3時間勉強をすれば、お腹も空いて当然だ。
 丼にうどんを入れ、ダシを注ぎ、油揚げとネギを乗せ、柚子の皮を削る。
「お待たせ。」
 ソファに座るゾロの前まで運んでいけば、ゾロは嬉しそうに笑ってソファを下りて、ローテーブルの前にぺたりと座る。
「きつねうどんだ。」
 ゾロの好きな夜食の一つであるそれを見て、ゾロは更に笑みを深くし、早速箸を取って口に運んでいく。
 そんなゾロの背中を見ながら、ソファに座って問い掛ける。
「剣道で、推薦を取れそうなんだろう?」
「うん。でも、そうすると、剣道部に絶対入らなくちゃいけないんだってさ。」
 そこで好成績をおさめる事を期待されて入学するわけだから、それは当然の事として、ゾロの口からそんな事を聞くとは思わなかった。
「剣道部に入りたくないの?」
「剣道は続けるけど、道場であんまりいい雰囲気じゃないって聞いたから。」
 スポーツで有名な高校の名前を、先日の三者面談で聞かされたのだが、確かにその時も、ゾロはあまり乗り気でない顔をしていた。
「1年でレギュラーになれるかどうかわからないって。」
 せっかくなら、全国大会に出て、沢山の強い選手と戦いたいと、ゾロは思っている。
「でも、あまり弱い学校でも大変だろう?」
「うん…」
 部自体のやる気がないところで、ゾロ一人だけが必死になっていても、ゾロの力にはならないだろう。
 学校では適当に、帰ってきて道場に通う、というのでは効率が悪い。
 うどんの汁をすすりながら、ゾロは小さくため息をつく。
「だから、どこでも入れるくらいの成績取っとかないと。」
 今、良さそうな剣道部を探してるところ。とゾロは言い、ぱちん、と手を合わせる。
「ごちそうさま。美味しかった。」
 満足そうに笑って言われれば、何よりも嬉しい事だと思う。
「ここで見てあげるから、ノート持っておいで。」
「おう。」
 ゾロが丼を下げようとするのを止めて言えば、ゾロは大きく頷いて2階へ上がっていく。
 本当に、いい子に育ったな、とサンジは思う。その中の幾らかは、自分が受け持っていると思うと、尚更に嬉しくなるのだけれど、何か我慢をしてはいないかと心配もある。
「我侭の一つも言ってくれればね…」
 心配の尽きないサンジではあるが、ゾロに言わせれば、我侭を言う間もなく、サンジが全部先回りしてくれるのだ、という事だとは、知る由もないのだった。

 
 
 


07番のちょっと前のお話。大人のサンジさんとゾロ。

簡単きつねうどんは、学生時代の私の休日の昼食に度々登場しましたが、今ではさっぱり登場いたしません。うどん茹でるの面倒でね…。冷凍うどんを使うと早いのだが、冷凍庫に隙間がないのだ。

(2006.6.18)




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