おまえの心と氷室の雪は いつか世に出てとけるだろ



 サンジにとって、あの場所を出る事は、きっと何もかもをなくすのと同じ程の、大きな変化を突き付けられる事だったんだろうと、今になってやっとゾロはわかるような気がしていた。
 あの場所は、サンジにとって居心地の良い場所であったろうと思う。
 本人に直接尋ねれば、きっと馬鹿を言うなと否定するだろうが、問い掛けた人間がいなくなれば、懐かしく思いを馳せるに違いない。
 そんな事は確かめるまでもない事だ。問いかける方が野暮と言うものだろう。
 ただ、サンジにとってあの場所は、ただ幸せな場所というだけのものでもない。
 罪悪感が半ば以上を占めていたに違いない。
 多分、サンジにとって、誰かに尽くす事はそれほど苦痛を感じるものではない。むしろ、尽くす事を許されるのは喜びだろう。あれは、誰かに必要とされる事、認められる事で、自分の足場を固める人間だ。
 そんな人間が、その至福の場所を離れる事に、どれほどの不安を抱えていたのかと、思う事がある。
 あの船は賑やかだったし、すぐに大きな騒動に巻き込まれたから、そんな不安を感じる間もなかっただろうが、あれがすぐに出ていけなかったのは、そんな不安もあったからではないかと思う。
 サンジは驚く程懐が広い。大抵の事は受け入れる。拒否をする事は少ない。人当たりもいい。無駄な事も沢山する。それでも多分、憶病者だと思っている。
 周り中が煽って煽って、振り返りながらやっと踏み出す人間だ。
 そんな様子は僅かも見せないが、一応、上辺しか知らぬ相手でもないから、なんとなくわかる。
 不思議だと思ってきた。何故あんなに躊躇っていたのかと。自分の夢に向かって踏み出す事が、そんなに難しい事だろうかと。自分やルフィと何が違うのかと思っていた。
 今になって思い至るのは、サンジにとって、別れとは、完全な別離だったのだということが関係しているのではないかという事。
 家族の存在のない船での生活。その船から放り出された遭難。
 サンジにとって、傍を離れる事は、二度と会えない事と同意義だったのだろう。
 そう考えれば、躊躇う理由もわかる。いずれ帰ると思っている人間には、その躊躇いはわからない。
 もしかしたらあの時も、二度とは会えぬと思って出てきたのかもしれない。そうだとしたら、馬鹿な奴だと言ってやりたい。
 相手が死んでいなくならない限り、二度でも三度でも会える。会いに行けばいいのだ。
 自分は会いに来た。会いに来いと言われたから。
 臆病な奴は、あの時も、二度とは会えないと思っていたのかもしれない。
 進歩のない奴だ。仕方のない事かもしれないが、いい加減に学んだらいいと思う。
「ゾロ、何飲む?」
 振り向きもせずに問い掛けて来る背中に笑みがもれる。
「酒」
 さぁ、振り返れ。その青い目でこちらを見るがいい。
「お前ね…」
 呆れたようにぼやきつつ振り返ったサンジは、こちらを見て固まった。
「出掛けるぞ。」
 旅支度は済んでいる。と言っても、持っていく物など然してないが。
「……え…」
「ちんたらしてると船が出る。急げ。」
 お前も行くのだ、と示してやれば、サンジはぎこちなく口を開いた。
「店だってあるんだぜ?」
「いいから急げ。」
 拒否は許さないと言い切れば、やっとしぶしぶ動き出す。
「何処に行くんだよ。」
「行けばわかる。」
 もうそろそろ、その頑なところをどうにかしてもいい頃だろう。
 そうして俺を、もう少し楽しませればいい。

 
 
 


おまえのこころと ひむろのゆきは いつかよにでて とけるだろ
老人です。老人書きやすいんだな、としみじみ思います。
私の書くサンジは、結構卑屈。でも、懐は凄く広い。ゾロとは違う系統で。
ゾロは、案外心が狭く、自分の理想とするところに相手がいないと、結構不服。
だから、なんとかして自分の理想に近付けよと脅してみたりする。
そんな感じです。
サンジの心もゾロの心も、世の中に出てやっと、解けていくのではないかと思います。

(2008.3.2)




都々逸TOP  夢追いの海TOP