雪になれば、迎えなど来ないだろうと思っていた。
いつもの通り、誘いは執事が手紙を運んできた。
『2月14日、聖バレンタインの日に、二人で時間を過ごしましょう。』
本当は、この前後に長い長い文章がついていたけれど、ゾロはそれは斜め読みで読み飛ばし、執事に返事を書いた手紙を渡した。
『了解した。』
その手紙は、本当にそれだけしか書かれていない。それでも彼は、一言も愚痴など言った事はない。
生来の性格か、育てられた性格かは知らない。けれど、彼は愚痴など一つも口にした事はない。
時折、文句の一つも言う事はあるが、それは殆ど、ゾロには理解不能なものだった。
曰く、『どうしてゾロは俺にも見せない顔を、そこらの人間に見せるのか』とか『もっと俺に笑ってくれてもいいと思うのだけれど?』とか。
ゾロにとってみれば、知らぬ者だから笑うのである。二度と会うかもわからぬ人間には、愛想よくしておかなければ、何処でどんな事を言いふらされるかも知れない。
彼のような、どんな誹謗も、僻として受け取られるような家に生まれた者はいいだろうが、足を引っ張ろうとする者の山といるようなゾロのような立場の人間は、そんなことまで気にせねばならないのだ。
時折、そういう彼の性格が羨ましくなる事はある。
好いた人間にだけ笑いかけて、二度と会わぬだろう人間の事など、壁と同じもののように思えたなら、日々の過ごし方も随分変わるだろうと思う。
ゾロがあまり外へ出ずに暮らしているのは、結局のところそれが本当は煩わしくて仕方がないからだ。
それでも、彼のようにはなれない。そんな自分を、ゾロはよく知っていた。
「若、北の方がお出でになられましたよ。」
「え…?」
居間でのんびりと寛いでいたところへ、執事が表れて言った言葉に驚き、ゾロは自分の形を見遣った。
「なんですか、そのお姿は!」
面倒だからとパジャマ姿のままでいた事を怒られて、更に約束を忘れていたのかと怒られた。
「……まさか、来るとは思わなくて……とりあえず、中へお入り頂いて、お茶をお出ししてくれ。」
出掛けるにしても、着替えるまでの時間、玄関で待たせておくわけにはいかない相手である。急いでそう指示をして、ゾロは居間を出て自室へ向かった。
まさか、雪の中をやって来る程、自分との約束を守ろうとするとは思っていなかった。
彼がなんと言おうとも、彼にとって、自分は遊び相手の一人であろうと思っていたから、積もった雪を見て何の疑いもなく、来ないものと思ったのだ。
本当に、彼は自分を特別なものと思っているのだろうか。
信じたいと思う気持ちがないわけではないから、そう考える事はゾロにとってはどこか幸せなものだ。
それでも、己の立場を考えるのならば、そうであってはならないとも思う。
のめり込むのならば、自分の方でなくてはならないだろうに。そう思って、ゾロは小さく溜め息をついた。
「雪の中をお出でくださったというのに、申し訳ありません。」
本当に申し訳ないという顔をして謝り、お茶を用意してくれる執事を見て、サンジは苦笑を浮かべた。
彼が守らなくてはならない人の一人である彼は、サンジにとってもどこか安心感を与える人物だ。
「この雪だから、余裕をもってと思ったら、少し早く来てしまったのです。気にしないで下さい。」
にこりと笑って言えば、彼は恐縮したように頭を下げ、そっと部屋を出ていった。
家の中へ通されるのは初めての事だ。
いつもならば、彼は待ち合わせの時間には家の前で待っている。だから、今日の雪を見た時、彼が家を出るより先に迎えに行かなければと思ったのだが、どうやら彼は自分が来ないと思っていたものらしい。
たかが雪で、自分が彼との約束を反古にすると思われていたとは、それはそれで悲しい事だが、彼に寒い思いをさせなかったのならば、それはよかった。
そして、彼の家の中へ入れたというのも、サンジにとっては嬉しい事だ。
サンジの座るソファも、その前に置かれたテーブルも、テーブルに置かれたティーセットも、部屋の中のどれもこれも、シンプルながらもよく手入れされたよいものだとわかる。
ロロノア家の性質によく似た調度だと思う。
こんな家で育ったから、あんなに真直ぐで飾り気のない人々が生まれるのだろうとサンジは思う。
愚痴も嫌味も言わぬ。陰口を何より嫌い、恥と思う人々。
サンジの周りには数少ない存在であった人々と同じ種類の性質を持った人が、あの家系には揃っている。
それがどんなに得難い性質であるかを、彼は気付いていないようで、サンジの好意をあまり信用していないところがある。
もっと人と交われば、どんなに自分が特別な存在であるかに気付くだろうと思うのだが、彼を自分一人の物にしておきたいと思うのも事実。
だからこそ、家で催すパーティーなどには誘わず、こうして二人で会う事だけにしているのだ。
自分の選んだ人は、こんなにも素晴らしいのだと叫びたいのに、それを知られるのが惜しい。
こんな気持ちになったのは、初めての事だった。
雪などものともせずに、家を飛び出してこられる程に、大切な人だと思うのだ。
「今日は、無理に出かけない方がいいんじゃないか?」
遅れてやってきたゾロは、空になったサンジのカップに茶を注ぎ、そう問い掛けてきた。
「……そうだな…」
窓から見える景色は吹雪の様相を呈してきて、二人で出掛けるにしても、車が動かなくなる可能性を考えると、少々及び腰にはなる。
「お前が楽しめるものがあるかはわからないが、うちにも一応、遊戯室はあるし、うちで過ごさないか?」
「俺は、ゾロがいれば、それで満足だけど?」
にこりと笑ってそう言えば、ゾロは少し呆れたような顔をして、変な奴だと呟いた。
このゆきに よくきたものと たがいにつもる おもいのふかさを さしてみる
【差してみる=物差しで測ってみる】
バレンタインで、雪が降る程寒かったので、こんな感じで。
WEB拍手に載せていた、貴族のお話です。
サンジは大貴族の遊び人。ゾロは小貴族の次男坊。
結局のところ、どっちも相手の事が結構好きなんですよ。(2008.2.14)