「日本ってさ、自動販売機多いよな。」
ガコン、と音を立てて落ちてきた缶を取り出して、ジェットはそう呟いた。
「そうだな。」
その隣で買った煙草のフィルムを剥ぎ取りながら、ハインリヒは軽くそう返した。
視線を辺りに向ければ、幾つもの自動販売機。タバコ屋で煙草を売るおばさんの横にも、煙草の自動販売機。あれは一体何故なんだろうと、ハインリヒは常々思っていた。
自動販売機というのは、人手を使わなくて済ませる為に作られたもののはずだ。なのにどうして、すぐそこで、同じ目的の為に人手が使われているのか。
「俺のいた所なんて、店の中にしか置いてなかったぜ。」
あんな物が外に置いてあったら、次の朝にはバラバラにされて、中の金も商品も奪われてたに違いないと、ジェットは思う。
大体、街中にぽつんと銀行のキャッシュコーナーがあるのも驚く。監視カメラがあったって、顔を隠して金をせしめて逃げれば、すぐに追っ手が掛かるわけでもない。
日本って国は、よっぽど安全な国なんだなって、この溢れかえる自動販売機を見て思った。
「街頭になくちゃ意味がねぇだろ?」
ハインリヒは、ジェットの主張に首を傾げてそう問い掛けた。
「店員の目に届くところになくちゃ、盗んでく奴いるって。」
「店員がいるなら、店員が売りゃいいじゃねぇか。」
「……そうだけど…」
品物を取り出したりするのが面倒だから、あれはあるんじゃないんだろうか、とジェットは思い、ぼんやりと煙草をふかすハインリヒを眺めた。
「あんたの思ってる自動販売機って何の為にあるの?」
ハインリヒは、突然の質問に不思議そうな顔をしてジェットを見返し、煙草を手に持った携帯灰皿の中で揉み消した。
「販売員を使わない為にあるんじゃねぇのか?」
「俺は、店員が物を棚から取る手間を省く為にあると思ってた。」
ハインリヒはその答えを聞いて軽く頷き、ジェットはふと思って問い掛けた。
「ドイツの自動販売機って、どんなの?」
「……昔のしか知らねぇぞ。」
「うん。」
彼がドイツにいた頃、そこは『東ドイツ』と呼ばれる場所だったはず。今はもうこの地上に存在しない国。それでも彼が、執着を持っている国。
「一番世話になったのは、食事を売ってるやつだったな。1マルク入れてボタンを押すと、ドアが開いて、食事と釣りが一緒に取れるようになるんだ。」
「……食べ物、買うの?」
「ビールも売ってた。紙のコップが出てきて、ハンドル回すと、1杯分のビールが出てくる。」
重宝したぜ。と呟くハインリヒを見ながら、確かに、そういう物で生活してきたなら、店員を使わない為にあるんだと思ってもおかしくないと、ジェットは思った。
「販売員を使うと金が掛かるから?」
「人手が足りてなかったんだよ。」
圧倒的な労働力不足。それが、当時の東ドイツの現状だった。西側へ逃げていく者も多かったし、元より戦争で人が減っている。人を使おうにも使えないのだから、人を使わずに事を済ます手段を考える。
「……そっか……」
「母親が飯を作ってる暇がない、とか、奥さんが飯を作ってる間があったら働きに行ってるとか、色んな人がそこで飯食っててな。俺なんて親がいねぇから、夜は殆ど世話になってたな。」
近所の人々と挨拶をしながら、俺は今から仕事だとか、俺は明日は休みだとか、色々な話をして、いつもいるはずの誰かがいなければ、声を掛けに出掛けたり、そこはちょっとした集会所だった。
「楽しかった?」
「家で一人でいる時よりはずっとな。」
ハインリヒが、自分の昔を楽しそうに話すのは、これが初めてじゃないだろうかと、ジェットは思った。
元から、ハインリヒはあまり自分の事を話さないし、普通に話していても、あまり楽しそうにしている事はない。
だから、生きているのが辛い人なのかな、と思ってもいたのだが、そういうわけでもないのだと思った。
「子供の頃から、一人だったの?」
ジェットは、気付いた時には父親はいなかったし、暫くして母親もなくした。その代わりに、周りには色んな人がいてくれたけれど、ハインリヒもそうだとは思っていなかった。
「ああ。」
「……幾つの頃?」
「10かな……」
その答えに、前を通り過ぎていく車を眺めていたジェットは、驚いてハインリヒを振り返り、ハインリヒはその反応に驚いたようにジェットを見返した。
「どうした?」
「あ……ううん。……なんか、あんたって、親に大事にされてた人かと思ってたから……」
自分もその頃に母をなくしたと思う。もちろん、ずっと傍にいてくれるような、余裕のある生活はしていなかったから、母はいても、始終構ってくれていた記憶はないけれど。
「大事にはされてたさ。……戦争だったから、人が死ぬのは仕方ねぇ。」
「……そっか…」
自分が大事にされてたって事を、ちゃんとわかってる人なんだと思って、ジェットは安心して頷いた。
「帰るか。」
煙草をもう一つ買ったハインリヒがそう呟き、ジェットはそれに頷いた。
たまには、こうやって二人で出掛けてくるのも悪くないな、と思った。
東ドイツの自動販売機事情。一応、『ベルリン特派員』から得た知識と書いておきましょう。
人件費節約とかの金の問題じゃなくて、人手の問題としてそれを作ったという程に、あの国では労働力が重要だったのですね。必死に技術や知識を教え込んで、それでその労働力を隣へ奪われてしまえば、どれ程の打撃か、東も西もよく知っていたからこそ、壁が作られる事態に発展したのです。(2003.5.23)