漁夫の利



「調べたい事があるんだ。手伝ってもらえないか?」
 そう言って彼が電話を掛けてくるのは、それ程珍しい事ではなかった。
 特に切羽詰まったような声ではなかったから、おれは呑気に彼への土産なぞ手にドイツへ足を運んだ。これまでに彼から呼び出された事も何度かあったが、その時の様子によって危険度は違っていたのだ。今回も、大した話ではなかろうと、おれは思ったのだ。
 彼はいつもと変わらない黒いコートを着て空港にあらわれた。その様子もやはり急いでいる空気は感じられず、おれは自分の判断がそれほど間違っていなかったと思った。
「わざわざ呼び出してすまなかった。」
 礼儀としての言葉には半分程度は本気も含まれているようだった。そんな様子の彼は珍しく、おれは彼も少しは丸くなったものだと感心し、首を振った。
「いやいや、気にするな。」
 あまり誰かに頼ろうとしない彼が手助けを求めるのならば、喜んでそれを受けてやろうじゃないかと思う。というよりも、首を横に振って一人で無茶をされるのも困りものだ。という部分はある。平和主義者のように見えて、彼は意外に思い切り良く事を運んでくれる節があるから、放っておいて一人で傷だらけ。というのは、考えられない事ではないのだ。。
 彼はおれの先に立って歩き出し、俺はスーツケース片手にそれを追った。
「調べたい事ってのは、なんだい?」
「最近、行方不明事件の頻発している村があるとかで、気になって調べに行ったんだが、奥が深いように見えてな。」
 おれたちの言う『奥が深い』は、結局のところブラックゴーストが関わっていそうだ。という事だ。
 行方不明事件の原因が、ブラックゴーストの人集めかもしれないという事だろう。おれは、彼の様子と違って、事が面倒なのだと、その時やっと理解した。
「他のやつらには、声を掛けているのか?」
「まだだ。あんたと調べてからでも遅くないだろう。」
 そう思う程度には切羽詰まっていないという事なのかと、おれは少々彼の様子を不思議に思いつつも、それにあまり突っ込んだ質問をする事は控えた。彼にしたって、わからないからおれを呼んだのだし、何もかもが説明がつく方がおかしいと言えばおかしいのだから。
 
 
 
 
 
 それは、酷く無気味な感じのする風景だった。
 グレート・ブリテンは、車を降り立って、目に入ったその景色を心の中でそう表した。
「ここかい?」
 古城と呼ばれるに相応しい場所であるそこは、人の手が入った様子は見えず、それどころか、酷く荒れ果てていた。
「ああ。無人であるはずのここで、明かりを見たと言うんだ。随分強い閃光だったとかで、様子を確かめに行った人間が戻ってこなかったそうだ。」
 暫く前だが、ハインリヒが自分そっくりのロボットと戦ったとのも、古城であったと、グレートは聞いていた。彼も、その辺りの事を思い出して、それが気になったという事なのだろう。グレートはそう思いつつ、隣に立つ彼を見遣った。
「で、防護服を着ろ。って事か。」
「何があるかわからないからな。」
 相手がブラックゴーストならば、問答無用で攻撃してくるだろう。そんな時にもたもた着替えをしている間はない。もし、彼等ではなかったとしても、まともな人間であるはずもないし、少々目立つこの格好でも、お互い様と言って笑って済ませられるに違いない。
「んじゃ、参りますか。」
 気は乗らないが、面倒はさっさと済ませるに限る。終われば、彼は自分に気を使って、酒でも奢ってくれる事だろう。そんな事を考えて、グレートはその石組みの中へ足を踏み入れた。
「二人で並んでても仕方がない。お前さんはそっちから回ってくれていいぞ。」
 多分、彼は戦闘主目的で作られているわけではない自分を気遣って、隣にいてくれるのだろうと思い、グレートはそう言って、自分の進行方向とは別の通路を指差した。
「何かあったら、呼んでくれ。」
 脳内通信という手があるのだ。声の届かない範囲にいたとしても、呼び掛けるのは簡単だとの判断から来た提案だったのだが、それが後々面倒を引き起こすと、彼は気付く由もなかった。
「わかった。気をつけてくれよ。」
 彼はそう言って、背中を向けて歩いていき、グレートはその後ろ姿を見送ってから、その通路を進んでいった。
 
 
 
 カツン、と音がした方向を見たグレートは、そこに転がる石を見て大きく息をついた。
「驚かしてくれるなよ……」
 そうごちて、グレートは通路の向こうに見えた姿に足を止めた。
「ハインリヒか?」
 もう、一回りして来たのかと、驚きつつ声をかけると、その人影は突然こちらへ向かって駆け出した。
「グレート、避けろ!」
 反対側から叫び声が聞こえ、彼は反射的にその場を飛び退き、石を削る音を聞き、先程まで彼が立っていた場所を銃弾が撃ち抜いていくのを見た。
「ぼけっとしてんなって!」
 いるはずのない人物の声が聞こえる事にも驚き、身動きを取れないでいるグレートの視界に、見慣れた赤茶の髪が入って来た。
「聞こえてんのか!?」
 叫ぶ彼の向こうに、それもまた見慣れた銀髪が揺れ、その右腕がこちらに向けられた。
 呆然とする彼を嘲笑うようにその口の端が持ち上げられ、ゾッとする程の表情が作られた。
 それは、ずっと以前に彼がよく浮かべた笑みと同じで、そして、それよりも数段、冷たいものだった。
「グレート!」
 脇をマシンガンの銃弾が掠め飛ぶ中、赤茶の髪の見慣れた青年は、グレートの腕を掴み、抱えるようにして飛び上がった。
 わけもわからず下から撃たれるマシンガンの銃弾を避け、上の階であるらしい床へ下ろされた彼は、腕を振り払うようにして足を止めた。
「逃げなくちゃヤバいって!」
 駆け出そうとしていた足を止めて振り返った彼に向け、グレートはスーパーガンを構えた。
「ジェットか?」
「俺が、他の誰かに見えるって言うんだ?」
 呆れたように問いかける彼を眺め、それが自分の記憶にある彼と違わない事を、グレートは確認した。
 だが、先程まで自分が共にいた人物も、自分の記憶にあるハインリヒとは変わらなかった。
「さっきのは、ハインリヒだったな。」
「あれは、偽者だよ。見ただろう?俺たちに向かってマシンガンぶっ放してたの。」
 一歩自分に向かって進む彼に向け、グレートはスーパーガンのトリガーを引いた。真正面に位置している彼は、それを大きく避け、驚いたように見返して来た。
「…お前の言う通り、あれが偽者だとしても、お前が偽者じゃないって証拠もない。」
 どちらも自分の記憶とは寸分変わる事のない姿をしている。確かに、ハインリヒはあそこまで冷たい表情を浮かべる事はなかったが、それは、その対象が自分達ではなかったから、感じ方が違うだけかもしれない。
 ならば、目の前で呆れたような表情を浮かべる彼が、自分の知る彼でないとしても、おかしくはないではないか。
「俺が、あんたを油断させる為に助けたって言うのか!?」
 グレートの言い分に声を裏返して、彼は両腕を天に向けた。
「そう考えるのも、当然だと思わないか?タイミングが良すぎる。」
「そんな事しなくたって、あんなにぼさっとしてりゃ、その場で殺しちまった方が早いだろう?」
 どうして自分を信じないのか。とばかりに、彼はそう言ってグレートを見返す。
 その言葉とは違う真剣な目は、彼の見せる姿の特徴的な部分だ。グレートは、彼の言う事は本当だろうか、と少し彼を容認する方向へ気持ちが傾いた。
「それじゃぁ、どうしてここにいる?」
「ハインリヒに呼び出されたんだよ。調べたい事があるから付き合えって。」
 むっつりと不機嫌を露にして彼は答え、床を蹴った。
「ここに来てみれば、あいつがいて、突然襲い掛かって来てさ。ハインリヒが冗談でそんな事するわけねぇし、応戦してたんだけど、ドジ踏んで、壁の下敷き。それで俺を仕留めたと思ったのか、瓦礫から抜け出してみりゃ、姿は見えねぇし。」
 話している内に腹が立って来たのか、彼は仇でもとるかのようにガンガンと石床を蹴りつけて話し続ける。
「で、城中探してたら、あんたが見えて、さっぱりあいつが偽者だって気付いてねぇみたいだから、声掛けたってわけだ。」
 ご理解頂けましたでしょうか?と、彼はグレートを見据えて首を傾けた。そのポーズを取る彼を、フランソワーズやハインリヒが遠慮なく殴りつけるのを、グレートは何度も見た事があった。それも、記憶の通りの姿だ。
 それは、彼にしては良くできた、嫌味な様子だった。但し、同じ事をハインリヒやフランソワーズがやると、あまりに恐ろしくて反論を封じられると言う状況に追いやられるのだが。
「お前さんが、本物だって証明は?」
「………こういう時は、何言ったって、信じねぇんだろう?」
 呆れたようにそう答えた彼に、それは彼にしては上手すぎる返答ではないかと、グレートは戸惑った。やはり、これは偽者かもしれない。そう思った時、彼が更に言葉を重ねた。
「ハインリヒなんて、俺が何回ホントだって言っても信じねぇし。」
 ああ、これは本物だ。と、グレートは思った。ここで、ハインリヒの話題を出すような馬鹿は、ジェットに違いない。これが偽者だと言うのならば、騙されてやってもいいのではないかとさえ思った。
「どうやら、本物みたいだな。」
 グレートがスーパーガンを下ろすと、ジェットは安心の表情を浮かべてそちらへ歩み寄った。
「あれが、話題の偽者ロボットってなら、やっぱ、倒しとかなくちゃまずいとおもうよな?」
「そうだな。放っておいて、他の奴らを呼び出されるのも面倒だ。」
 グレートはジェットに同意し、そう言えば、彼はどこにいるのだろうかと、辺りへ目を向けた。
「……静かだな…」
「ああ。」
 見失うはずもない程、彼等は一直線にここへ逃げて来ている。もしや、すぐそこで様子を伺っているのだろうか。そう考えて、直ぐさまそれはあり得ない事を理解する。
 先程の向かい合っている場面など、後ろからまとめて撃ち抜けばあっさり事は終わるのだ。わざわざ、こちらが協力するのを待っている馬鹿はいないだろう。
「とりあえず、バラバラになるのはまずいよな。」
 別れてあの状況に陥ったのだから、グレートとしてもジェットの提案を拒否するわけもなかった。
「さっきの場所へ戻るのも嫌だな。」
 相手がその場で待ち構えているような事があるのならば、さぁ、撃って下さいと、のこのこ現れるのは大馬鹿もいいところだ。飛んで上がって来たから、階段で降りる。と言っても、この城にどれだけの階段が存在しているかはわからない。
「さっきまで歩き回ってて見つけたんだけど、城の回廊沿いに回って行くと、開けた場所に出る。そこなら、戦うのにもいいと思うんだ。」
 向こうは、こちらを狙っているのだから、待っていれば来るだろう。ならば、それをどれだけ上手く迎え討てるかと考えて行動するのが得策だろうと、ジェットは提案をし、グレートは頷いた。
「……しかし、あそこまで似ていると、どうしても一瞬は戸惑うな。」
「まぁな。」
 もしかして、今度こそ本物なのではないかと思って、攻撃を躊躇ってしまいそうな気になる。ハインリヒがここに呼ばれていないという保証はないわけで、仲間同志での相打ちを狙っているようならば、そういう事もあり得るかもしれない。
 事実、グレートはジェットに向けて銃を構えて撃ったのだ。そういう事も、考えておかなくてはならない。
「けど、一発撃たれるの待ってちゃぁ、俺たちが死んじまうかもしれないし。」
 マシンガンなら未だしも、ミサイルを打ち込まれれば、さすがに厳しい。直撃を受ければ、行動不能に陥るかもしれない。フランソワーズがいれば内部を透視してくれる事も可能かもしれないが、生憎彼女はここにはいない。彼が本物なのかどうか、確かめる術はないのだ。
「………本物ならば、こちらから一発撃った程度で、さ程ダメージも受けないだろう。」
 こうなれば、先手必勝しかない。意見の一致を見て、彼等は頷き合って歩き出した。
 そこは、確かにジェットの言う通り、動き回るに充分な広さを持っていた。欲を言うならば、天井がもう少し高ければいいが。と、グレートは上を見上げて思った。
 隣に立つジェットの得意分野と言えば空を飛ぶ事で、上と横からと言う二方向からの攻撃を仕掛ければ、たとえ相手が戦闘のみを特化したようなロボットでも、隙は見つかるはずだ。
「………ん?」
 グレートは、見上げている天井から何かが落ちて来たのを見て首を傾げた。
「どうした?」
「何か落ちて来たんだが…」
 そこへ足を向けようとした彼から視線を外したジェットは、天井に亀裂が入るのを見た。
「グレート!」
 名前を叫ぶのが精一杯だった。
 逃げろと言うのか、避けろと言うのか、何と言っていいかわからない間に、天井から瓦礫が降り注ぎ、彼等は戦う事すらできずにそれに押しつぶされるしかなかった。
 
 
 
 
 彼等は、そこにあるはずの車がない事を確認し、呆然と何もない空間を眺めていた。
「………って…おい……」
 瓦礫の下から這い出した彼らが見つけた事実は、既に敵の姿はどこにもなく、この目立つ服装で帰らねばならないという事だった。
「ハインリヒを呼んでみるか。」
 この事態を仕掛けた人間の良心なのか、運良く転がっていた携帯電話を拾い上げて、グレートは登録されている彼の番号を呼び出した。
「そのまま帰れ、とか言われそう……」
 横でぼやくジェットを眺めつつ、グレートはコール音が途切れて聞き慣れた声が聞こえてくるのを待った。
『はい』
「ハインリヒか?」
『グレート?』
「ああ。実は、色々面倒に巻き込まれて、ドイツに来ているんだが、足がない。迎えに来てもらえないだろうか。」
 説明を始めたグレートは、電話の向こうでドアチャイムの音が鳴ったのを聞いた。
『すまない。少し待ってくれるか。』
 こちらの返事も聞かずにハインリヒはその場を離れたらしく、足音に続いてドアを開ける音が聞こえてくる。
「来てくれそう?」
「客が来たみたいだ。」
 すぐに済む用であってくれればいいが。そう願ったグレートは、足音が二つ戻ってくるのを聞き、絶望の予感を感じた。
『客が来たんだ。すまないが』
 そこで、電話はブツリと切れ、グレートはあっけに取られて手にしていた携帯電話を眺めてしまった。
「グレート?」
「嫉妬深い客らしい。迎えに来れないとさ。」
 片眉をあげてそう言ったグレートを見て、ジェットは大きくため息を着いた。
「このまま帰りますか……」
 有り難い事に、片方は長距離移動手段がある能力持ちだ。
「イギリスまで送ろうか?」
「よろしく頼む。」
 グレートは防護服を着ていた良かったんだと思う事にして、ため息を着いた。
 スーツケースごとなくなってしまった彼の衣装は、もう帰ってこないと諦めるしかないだろう。そこに入れられていた、ハインリヒへの土産と共に。
 
 
 
 
 
「ノイ、お前!」
 ハインリヒは、横から伸びて来た手が電話器のフックを押したのを見て声をあげた。
 彼が、自分が他の誰かといる事を好まないのは知っていたから、仲間からの助けを求める声にも断りを入れようとしていたのに、まさか、ここまでするとは思わなかった。
「………」
 怒られる事すら不服そうに膨れている彼を見て、ハインリヒは小さくため息を着いた。
 グレートには悪いが、こちらから電話を掛け直す事も許されそうにないと諦めて、ハインリヒは受話器を置いた。
「………アルト、これあげる。」
 暫くどうしていいのかわからないようにしていたノイが、そう言って手に持っていた袋を差し出した。
 ハインリヒは、もう怒っていないと示すようにそれを受け取って、袋の中を覗いてそれを取り出した。
「……紅茶?」
 深い緑色のその缶は、ハインリヒも何度か見た事のある物だった。
「貰ったから。あげる。」
「……ありがとう…」
 そうは言っても、あまり紅茶は飲まないのだが…と思いつつ、ハインリヒはそう返し、嬉しそうにしているノイの顔が汚れている事に首を傾げた。
「……お前、シャワー浴びてこい。なんだか、埃くさいぞ。」
「うん。」
 彼は頷いて背中を向け、ハインリヒは紅茶の缶を持ってキッチンへ足を向けた。





60000HITの申請がなかったので、泣きついた藤空子さんから頂いたリクエスト。
『002と007が偽の004と戦う話』
物凄く微妙ですね。殆ど戦っていません。戦ってるのは002と007です。ちょっと、私の頭の中で変換された時に違う方向への何かが閃いた様子です。  
うちの偽者と言えばノイ。彼はハインリヒしか見えてません。だから、ジェットが邪魔で、何とかしようとして、その手段にグレートさんを選びだした様子。でも、手を組んじゃったら面倒だからとっとと逃げ出して本命さんの元へ。もちろん、手土産持って。そんなわけで、漁夫の利。

(2002.11.12)


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