特別 〜花見編〜



 彼に、何の意味もなく、手を伸ばして触れられるという事が、『特権』と呼ばれる事であったとしたら、今現在、その特権を手にしているのは、たった一人だけ。少なくとも、おれが彼を知って以来、それはたった一人にだけ与えられた特権だ。
 
 
 
 
 桜が咲いたから、花見をしよう。
 そんな連絡が回って来たのは、おれたちがバラバラになってから、2年程経った頃だった。
 最初の1年程は、そんな事をしているような余裕のある者がいなかったのか、皆、手紙などのやり取りはあったが、わざわざ誰かに会いにいったなんて話は、あまり聞いていなかったし、少なくとも、自分の所に来たのは、それ程離れて暮らしていない、ジョーやフランソワーズたちだけで、国へ帰ったハインリヒたちがやってくる事はなかった。
 それぞれ、なんとか生活していく体裁が整ったという事が確認できたことに安心したジョーが、提案したのだ。皆、それぞれ、気になってはいたのだろう。すぐに了承の言葉が揃い、そして、今日、ギルモア邸に皆が揃っていた。
 
 
 
「ハインリヒ、知らねぇ?」
 リビングでのんびりと紅茶を片手に本など読んでいると、幾らかつまらなさそうな顔で、ジェットが問いかけて来た。
「部屋にいるんじゃないかね?」
 2年も離れていたのに、彼のハインリヒへの気持ちに変わりはないのか、ここへ来てから、彼はいつもハインリヒの傍にいる。以前は、それを嫌っていた風に見えたハインリヒは、特に気に掛けている様子もなく、好きなようにさせていた。
 ブラックゴーストにいた頃、ジェットのハインリヒへの執着は、極限状態での気の迷いかと思わないでもない事だった。彼に問いかければ、それはないと答えたのは間違いなく、ジェットにその意識はなかったのだろうが、ハインリヒも、どこかで、そんな事を考えていたのではないかと思う。
 だが、こうして、それぞれの平穏な生活を得た後にも、傍にいたいと願うのならば、それは、本当の彼の気持ちなのだろうと、納得できる。ハインリヒも、そう思って、得に何も言わないのではないだろうか。
「いなかった。……外にでも出てンのかなぁ……」
 向いのソファにどかりと腰を下ろし、ジェットはつまらないと全身で示すように、足を投げ出す。
「そんな格好でいると、ハインリヒに叱られるんじゃないかね?」
「……いないから、いいんだよ。」
 以前もそうだったが、ジェットを嗜めるのはハインリヒの仕事で、他の誰かに返すのと同じように文句を言いつつも、ジェットはきちんとそれに従っていた。そんな姿を見るにつけ、嫌われたくないのだな。と、微笑ましく思っていたものだが、どうやら、彼はそうして嗜められる事も、それ程嫌いではなかったようだ。
「お前さん、ハインリヒとは会っていたのかね?」
 2年間、おれは彼等の事を知らないままでいたが、ハインリヒがあれまでとは違った態度を見せるという事は、この二人は、それなりに接触があったという事ではないだろうか。
「時々ね……ハインリヒも俺も、仕事が不定期だからさ、あんまり、沢山は会えないんだ。」
 あっさり認めた彼に、苦笑が浮かんだ。2年もずっと、一人だけがアプローチを掛けていれば、彼だって観念するだろう。ジェットの粘り強さは、よく知っているところだ。
「あんたは?」
「吾輩も、それほど暇ではなくてね。」
 気にはなっていたが、わざわざ会いに行く程、気になっていたわけでもなかったし、多分、他の誰かが気に掛けているだろうから、自分は別の方を気にしていればいいかと思っていた。
「そうなのか……」
 少し戸惑うような表情を浮かべて、ジェットがそう呟いた時、その頭に、コツリ、と軽く拳が下ろされた。
「みっともない格好をするな。ちゃんとしてろ。」
「はーい。」
 嬉しそうに笑って、ジェットは後ろを振り返って居住まいを直す。それを見て、彼は一つ頷くと、その隣へ腰を下ろした。
 以前なら、わざわざ、ジェットがここへ座れと示さなくては、彼はその位置には座ったりしなかった。その違いに、一瞬、戸惑いと驚きを感じたが、彼等はこちらには興味を示しておらず、ハインリヒが手に持っていた袋の中を覗き込んでいる。
 ハインリヒが、あんな風に、誰かに自分から触れる事は、稀な事だ。理由があってそうしたにしても、少なくとも、ジョーやピュンマにはしないだろう。年上になるおれたちにそんな事をするような性格でもないから、それだけで、ジェットは彼にとって、特別な存在なのだろうと思う。
「お前さん、どこかへ出かけていたのかね?」
「移動用の車を借りて来た。全員乗れる車がいいと言うから。」
 ハインリヒの持っている免許は、国際免許らしく、更に、仕事柄、大型の車を運転できるらしい。確かに、10人の移動となれば、レンタカーの方がいいのかもしれない。
「じゃぁ、今日は、あんたの運転なのか?」
「そう。」
「じゃ、あんた、酒飲めねぇってこと?」
「……まぁ、一応。」
 多分、飲むだろう。と、思える答えだった。別に、おれたちの乗る車が事故を起こしたとしても、被害を被るのは、ギルモア博士だけだろう。だが、それが他の車を巻き込んでいたら、お話にならない。
「吾輩が言うのもなんだが、飲酒運転は、やめたほうがいいのではないかね?」
「俺はアルコールなんて効かないぜ?」
 ハインリヒはそう答え、ジェットが横で頷いた。
「ハインリヒってさ、アルコールも水も同じ、単なる水分なんだってさ。」
「それは、勿体無い。」
「味はわかるさ。分解が早いから、酔ったりしねぇだけだ。」
 それだって勿体無い話だ。アルコールを飲むのは、それに依って、何らかの変化が起きるからいいわけで、味がどうこう言うのなら、何も、酒を選ばなくてもいい。
 そう言えば、彼は、時折酒を飲むが、よく考えると、コーヒーを飲んでいる事の方が多いのではないだろうか。
「でも、あんたの飲んでるコーヒーは、絶対、濃いよ。胃に悪そう。」
 ジェットがそう言って、ハインリヒが持っていた袋の中から、菓子の袋らしいものを取り出した。
「そうか?俺は、お前のいれるコーヒーは薄くて嫌だぞ。」
 ジェットがそれを開けるのを止める事もせず、ハインリヒは口の開いた袋に手を入れ、当然のようにそれを口に運び、ジェットも同じようにそれを口に運ぶ。
 彼等は、こんなにあけっぴろげにべた付いていただろうか。と、おれは内心で首を傾げた。別に、特別何をしているわけでもないが、それでも、以前の彼ならば、自分の買って来たものを勝手に開けたら怒ったろうし、ジェットだって、自分が開けたものに先に手を出されたら怒っていただろう。
「お前さんたち、随分、仲が良くなったんじゃないかね?」
「そうか?」
 心底不思議そうにジェットが答え、その横でハインリヒも同意するような表情を見せた。
 ああ、気付いていないのだな。と、思った。別に、何が悪いわけでもないから、軽く頷いてみせたが、この2年でどんなやり取りが繰り返されたのか、気になるところだ。
 そんな事を考えていたところに、ジョーが現われて、出かけようと声を掛けて来た。飛び出すようにソファーを立ち上がったジェットを見るハインリヒの口元が、楽しそうに笑みを浮かべたのを、おれは見逃さなかった。あんな風に彼が笑うとは、想像外の事で、おれは暫く立ち上がる事ができなかった。
 
 
 
 
 
 花見の場所は、人気のあまりない、山の中だった。それでも、見事に咲き誇る桜に、誰もが見愡れ、持って来た食事をつついたり、辺りを歩き回ったりと、久しぶりにのんびりした空気を感じる事ができた。
 一人、辺りを散策して戻ったおれは、桜の木の下でうたた寝するハインリヒを見つけ、思わず笑みをもらした。彼が、あんな風に無防備に眠る姿を晒すなんて、以前は有り得ない事だった。
 そっと近付いたおれは、その向こう側に寝転がって眠っているもう一人を見つけて足を止め、見つからないように姿を隠した。
 暫くした頃、ハインリヒがふと目を開け、辺りを見回してから、隣で眠るジェットを見つけた。そして、先程見せたのと同じ、柔らかい笑みを浮かべて、そっとその頭を撫でてやるのを、おれは呆然と眺めていた。
 何度か、優しい手付きでその頭を撫でてやった彼は、そっと身を屈めて、何ごとかを囁いているのが見えた。それに答えるように、眠っていたはずのジェットの腕が持ち上がり、ハインリヒの頭を引き寄せる。ハインリヒがそれに抗う様子は見えず、おれは、背を向けてそこを離れた。
 
 
 
 彼が、何の意味もなく手を伸ばす相手は、たった一人。
 彼が、何の意味もなく手を触れさせる相手も、たった一人。
 
 それが、彼等にとって、最も大切な人間だと言うのなら、それは、喜ばしい事に違いない。
 誰にでも懐くように見えた彼も、本当は、人を警戒していた事を、おれは知っていたから。
 
 
 少しだけの違和感には見ない振りをして、祝ってやろうと、おれは思った。





ミスズシンヤさまに、色々貰いものをしたので、お礼に書きました。
「現在のグレートの目から見た24」ってことで、何か、多分、履き違えた話になってると思うんですが、こんな感じ。
うちのグレートさんは、別に、ハインリヒに惚れてたりしませんので、隠れたり背を向けたりしてるのは、「そういうものを、みせつけてくれるなよ〜」という、おじさんの心境であります。
ちょっと、頑張って、ラブラブ〜な、24を描いてみました。
2年間の間、きっと驚く程会ってるのでしょう。でなけりゃ、ハインリヒがこんなに甘くなるものか!と、思います。

(2003.4.2)

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