家族



「クリスマスツリー、見に来ねぇ?」
「テレビで見たからもういい。」
 その素っ気無い言葉に、ジェットは涙を堪えた。
「俺の部屋のクリスマスツリーなら、見に来る?」
「今から、クリスマスの予定を変更するのは面倒だ。」
 その言葉に、もう既に誰かが先手を打ったのかと、ジェットは慌てて問い掛けた。
「誰かと、一緒に過ごすのか?」
「クリスマスは、家族と過ごすもんだろう。」
「……けど、あんた、家族いねぇじゃん……」
 以前に、ドイツ人はクリスマスは家族で過ごす人が圧倒的に多いと、何かで聞いた覚えはあった。恋人だって、クリスマスに限れば家族から二歩も三歩も後に置かれるのだと。
「一人なの?」
「ああ。」
 だから彼は、一人でクリスマスを過ごすつもりだったのかと思うと、なんとも悲しくなってきた。
「一人で飯食って、ケーキ食って、シャンパン飲んだりする?」
「一人なのにそこまでする人間がいたら、会ってみてぇな。」





 呆れたような声が返り、ジェットはカクリと項垂れた。
 今日の彼は、とてつもなく冷たい人に思えた。
 クリスマスに会いに来ないかと誘ったら、それがどういう事なのかくらい、想像する事は容易いだろうに、彼は自分に優しくない。
「………俺は、するよ。」
 彼が来ないと言い張るのなら、仕方ないから虚しさ抱えて一人で祝うしかないではないか。
「俺はしねぇから、お前がドイツまで来い。」
「……へ…?」
 不貞腐れてしっかり聞いていなかったところに言われた言葉を理解できず、ジェットは間の抜けた返事を返した。
「飛行機のチケットもいらないんだから、お前が来た方が安上がりだろう。」
「………ハインリヒ…?」
「嫌なのか?」
 その拗ねたような問い掛けで、電話の向こうの彼が、ぼんやりしているこちらに焦れているのがわかって、ジェットは彼に見えるはずもないのに、必死に首を横に振った。
「嫌じゃない!全然、嫌じゃないって!」
 彼からのお誘いが来るなんて、思っていなかったのだ。だから、俄には信じられなかっただけ。
「絶対行くから。何時から行っていい?」
「明日から、休暇に入る。」
 彼の返事に小躍りしつつ、ジェットは慌てて出かける準備に取りかかる。少しでも長く、彼といたいのだから、今すぐ出かける他に選択肢はなかった。
「じゃぁ、今から行く。」
「……俺は、今から寝るぞ。」
「カギ持ってるし。じゃぁ、後でな。」
「……ん。」
 何のかのと言いながら、彼だって、自分といたいと思ってくれているのだとわかり、ジェットは嬉しくて仕方がなかった。少し早めのクリスマスプレゼントを貰ったようで、受話器を置くと、ジェットは拳を握りしめて、目の前の空気を殴りつけた。





 窓の外に、小さな光点を確認して、彼はソファから立ち上がると、キッチンへ足を向けた。
 電話が切れてから、それほど時間がたったとは思わないけれど、彼は早々に家を出てきたらしい。それは、彼にとってとても喜ばしい事であったけれど、それを言葉にするつもりはなかった。でもきっと、彼は言わなくても知っているのだろうとは、思うのだけれど。
 ケトルをコンロに掛けて、冷蔵庫を開けて中を覗き込む。卵とハムを取り出して、棚からフライパンを取り出してコンロに下ろし、火を着ける。腕を伸ばしてナイフを取ると、フライパンの上でハムの固まりをスライスし、パタパタと落ちたそれを指で移動させると、卵を二つ割り入れる。それを放り置いてハムを冷蔵庫にしまいに行き、そのついでにパンを篭に放り込んでテーブルへ運ぶ。その机の上のコーヒーミルを片手に戻り、棚から豆を取り出すとそれに放り込んでハンドルをまわしつつ、フライパンの中身に目をやる。
 彼が一連の動作をテキパキとこなし、コーヒーを煎れ、ハムエッグを焼き上げた頃、ドアチャイムが音を立てた。
「ハインリヒ、早く開けて。」
 ドアをノックしつつ名前を呼ぶ声に思わず吹き出して、彼はそこへ足を向けた。
 今の時間ならば、隣の住人が出勤する頃だ。普段、彼から見れば驚くような服装をしている彼でも、あの赤い防護服姿を見られるのは、少々憚られるらしいと思ったのだ。
 玄関ドアを引き開けると、転がり込むように彼はドアを潜り、そのままの勢いでそこに立つ彼に抱き着いた。
「本物だ〜。」
「ジェット、重い。」
 文句を言いつつも、遠慮なく腕に力を込める彼を好きにさせておいて、ハインリヒはドアを閉めるとその後ろ頭をぽんぽん、と叩いた。
「…なんか、いい匂い。」
 クンクンと鼻を効かせてジェットはしがみついていた腕を解くと、慣れたように奥へ足を運んだ。
「朝御飯、これからだった?」
「俺は、もう食べた。」
 彼はサラッとそう言って、座れ、とジェットにテーブルを示した。
「………今日は、なんか、優しい……」
 感動しているようなその言い分は、それでもどこか引っ掛かりを感じるものではあったが、ハインリヒは黙ってそれをやり過ごすと、そのままテーブルを通り過ぎてソファに足を向けた。
 自分が食事をするわけでもないのに、その様子を眺めている程、彼は酔狂な人間ではなかった。
「今日は、教会とか行くの?」
「行かねぇよ。」
 上機嫌で自分の為に用意された朝食を口に運びながら問い掛けた彼に、特になんの意図も感じさせる事なく、彼はそう答えた。
「お墓参りとかは?」
「行く。」
「………彼女のとこ?」
 問い掛けてちらりとそちらを窺うと、彼は少し顔を強張らせ、外を見やった。
「……昨日行ってきた。」
 さすがに、そこには連れていかないか。と、彼は苦笑を浮かべて思った。
 彼にとって、多分、一番苦い思い出と共に存在する人。彼の恋人であったその人の事を、彼はそれ程知っているわけではない。知っている事と言えば、彼女の名前と、どうして死んだのかという事くらいだ。どこに墓があるのかとか、どんな風に彼と知り合ったのかなんて事も、もちろん知らない。特に知りたいと思う事でもないし、彼が話したがる事でもなかったからだ。
 ただ、少しだけ引っ掛かる事はある。まだ、彼が彼女の事を一番だと思っているのかとか、自分と比べたりする事はあるのだろうか。という事。
「じゃぁ、今日は誰のところに行くんだ?」
「祖母と母。」
 その答えに、ジェットは首を傾げた。彼の父親が生きているなんて話は聞かない。それなのにどうして、彼はその人を挙げないのかと。
「お父さんは?」
 問いかけると、彼は困ったような顔をしてテーブルにいる彼を見返し、小さく首を振った。
「生きてるのか、死んでるのかも知らない…」
 彼女の事を話す時よりも、彼の表情が暗くて、じっと彼を見つめれば、彼は泣き笑いのような表情を浮かべた。
「ハインリヒ?」
 なんだか、悪い事を聞いたかもしれないと、そこでやっと気付き、ジェットは慌ててソファに座る彼の隣へ移動した。
 彼が、自分の事を話す事はあまりなくて、彼がどんな風に育ってきたのかだとかを、ジェットは知らなかった。それでも、彼が大事にしている写真を見て、きっと幸せな家族だったに違いないと思っていたのだ。
 少なくとも、彼が自分の家族をとても大事に思っていることは間違いないと思っていた。だから、ただ、なんの気なしに問い掛けただけで、それが彼の傷を抉るかもしれないなんて事は、考えた事もなかったのだ。
「………俺は、置いていかれたから。」
 彼は、ぽつりとそう答えた。だから、クリスマスに一緒にいる家族がいないのだと。
「……どういうことか、聞かせてくれる?」
 それは、捨てられたという事なのだろうか。と思って、ジェットは彼の手を取ってそれを握った。
「…………」
 困ったような顔をして、彼はジェットを見返し、ため息を一つついた。
「学校から帰ってきたら、いるはずの父がいなくて、それからもう、一度も姿を見ていない。……俺がいると、辛かったんだ。だから、俺は置いていかれた。」
 それでも彼は、自分が捨てられたのだとは言わなかった。そう言う事ができる程、自分が大切にされていなかったとは思えないのだろう。だから、彼は父親の立場も思いやる。
 もしかしたら、そうしなくてはいられなかったせいかもしれないけれど。
「調べなかったのか?」
 彼等の傍には、そう言えば、どうにでも調べあげてくれるであろう人がいる。ジェットも、実は自分の身内を探してもらった事がある。もしかしたら、父親という人はいるのではないかと思って。
 彼は小さく頷いて、ことりとジェットにもたれ掛かった。
「ハインリヒ?」
「……もし、自分に兄弟がいたら嫌だったんだ。」
 それは、父親が別の誰かを選んだという事になるから、だから、それは嫌だったのだ。壊れてしまった家族だったけれど、それでも、誰もが互いを大切に思っていた事は嘘ではなかったと、思っていたかったのだ。
「そっか…」
「他に家族なんて、いらないと思った。」
 でも彼は、彼女を家族にするつもりだったのではなかったのだろうかと、ジェットはふと思った。少なくともジェットは、そういう事だと思っていたのだ。
「……彼女は?」
「他人が家族になるのとは違う。」
 そう答える彼の背中を優しく撫でて、ジェットは小さく息をついた。やはり、それは間違いではなかったという事。彼は彼女を選んだ。そういう事。
「そうだな。」
「………でも、彼女は違う…」
 何が違うのか、その言葉の意味がわからず、ジェットは戸惑った。
「俺は、もう、よくわからないんだ。」
「何が?」
 問いかけると、彼は深く息をついて、答えを返した。
「本当に、それを望んでいたのかどうか。」
 壁の向こう側へ行く事は、彼女も願った事だった。彼女が怯え続けていた『恐い人』たちが、壁を越えてまで自分を追い掛けてくるとは思わないから。彼女が壁の向こうを望んだのはそんな理由だった。
 彼が望んだ理由は、そこに暮らしている、唯一の家族が心配だったから。
 二人の望みは同じだった。それまでも二人で長い時間を過ごしていた。だけれど、二人とも、自分達が家族になりたいと、本気で望んでいたのかどうか、よくわからないのだ。
 壁を無事に越えたら、そうなるのではないかとは思っていたけれど、壁のこちら側でそうしなかったのに、どうして向こうへ行ったらそうするのかと考えたら、それは、生活する為だけの理由だけだったような気がする。
 愛情だけがその理由だというのならば、それはどこにいようと構わない事だったはずだ。でも、そうしなかった。それは、互いにどうしても思い切れない理由があったから。それが、住む場所が変わったくらいの事で、変わるような事ではなかった。
 だから、本当にそれを望んでいたのかどうか、今はもう、よくわからない。
「でも、少し、後悔はしてる?」
 問いかけると、彼は小さく頷いた。
 ジェットにとって、彼が自分をここへ呼びつけた事や、この様子の、どこかいつもと違う事は不安でもあり、嬉しくもあった。
 いつも、ずっと自分より強く見える彼は、実は色々な傷や弱味を抱え込んでいて、それを見事に隠している。だから、その彼が、それを見せてくれるのは、ジェットには嬉しい事だったのだ。
「もし今、彼女がここにいたら、どうする?」
 こんな仮定の話に、どんな意味があるのだろうと思いつつも、ジェットは問い掛けた。
 彼が好きだと、愛しいと思うのは、もうずっと以前からの話だ。できる限り長く、彼の傍にいたいと思う。できる事ならば、誰よりも彼の近くにいたい。それを、彼に認めてほしいと思う。
 彼が、自分を他の誰かとは違う存在だと思っていてくれる事は、ジェットもわかっている。だけれど、彼がそれをきちんと口にしてくれた事は、殆どない。言われなくたってわかっているけれど、でも、過去の存在と自分のどちらが、彼にとって大切なのかだけは、どうしても読み切れなかった。
「……どうって?」
 彼は顔をあげて、不思議そうに問い掛けた。
「……彼女を、家族にする?」
 ジェットのその問い掛けに、彼は驚きの表情を浮かべた。
「今ここに?」
「そう。今。」
 問い掛けにそう答えると、彼は暫く考え込んで、それから腕を伸ばすと、ジェットの頭を引き寄せた。
「お前がいるのに、どうして他の誰かなんて選ぶんだ?」







「あのさ、俺、もう暫くこっちにいてもいい?」
「……構わないが、仕事は?」
 彼の国では、年明けの仕事は三日にもなれば始まる。 東の方の嘗ての同盟国である島国では、年が開けても1週間程度はゆっくりしているものらしいが、西の彼の国がそれと同じとは、思えなかった。
「実はさ、この間、クビになったんだ。」
 彼は、大きなため息と共にそう言い、彼は小さくため息をついて頷いた。
「お前は、どうしてそう、仕事が続かないんだろうな?」
「有能で、職のない人間が多いからだってさ。」
 舌打ちして彼はそう言い、その言葉は、多分、クビにされる理由として示されたものなのだろうと彼は思った。
「まぁ、それもあるだろうが…」
 確かに、どんなに有能でも、会社が潰れたら職がなくなるのは道理だ。でも、そういう人間が、ジェットの仕事を横から奪っていくとは、あまり考えられなかった。
「お前、何して働いてたんだ?」
「色々。配達とか、皿洗いとか。」
 ならば、増々その理由は嘘くさい。とは言っても、本当の理由なんてものは、どうでもいい事かもしれないと、彼は思った。
「ここにいるなら、働けよ。」
「……あんたは、仕事なの?」
「お前と違って、俺の仕事は、有能な職なし人間に奪われるものでもないからな。」
 トラック運転手は、彼にとっては天職のようなものだが、人によっては、忌避するようなものでもあるらしい。仕事が余っているとは言わないが、とりあえず、彼の勤める職場では、クビを切られた人間はいない。と言っても、新たに入ってくる人間もいなかったが。
「それに着いて行くことって可能?」
「短距離だから、一人での仕事だしな……多分大丈夫だろう。」
 一応、上司に聞いてみた方がいいだろうが、いざとなれば、困っている人を隣に乗せてやった。とでも言えば、ごまかされてくれるだろうと思う。その為に、しっかり働いてきたようなものだ。
「じゃ、着いてく。」
「……つまらんぞ?」





 彼は少し呆れたようにそう言い、その言葉に、彼は思いきり首を横に振った。
「あんたが隣にいるのに、それがどうしてつまらないなんて言うん
だ?」
「………」
「ちゃんとおとなしくしてるよ。だから、一緒にいさせて。」
 こっちにいてもいいかと言うのは、彼の傍にいたいから言った言葉だ。彼を待って時間を過ごすのも、ある程度は楽しいことになるが、それでもやはり、手を伸ばせば触れられるところに彼がいることと比べれば、そちらの方が楽しいに決まっている。
「…本当だな?」
「頑張って、我慢するよ。」
 笑う彼に大きくため息をついて、ぱたりとその場に伏せる。
「………ちゃんと我慢できたら、ご褒美くれる?」
 笑って伸ばされたてをパシリと叩き落として、彼は意地悪く笑った。
「できなかったら、もう二度と乗せないからな。」
「はーい。」
 元気良く答えて、彼はずり落ちかけていたシーツを引き上げた。





クリスマスプレゼントに、ハインリヒさんから貰ったプレゼントは、あなたが一番大事です。という愛の告白でした。っつー、お話ですよ。クリスマスだから、羽目を外して幸せになりましょうや!とか思っていただけば、それで満足。ジェットからのお返しは、夜にでも…って感じですかね。続きはそれぞれ想像して楽しんで下さい。

(2002.12.24)


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