「あんたは、俺と、昔の恋人と、どっちが大事?」
必死の表情で問い掛けられた言葉に、返す言葉が浮かばず、呆然と相手を見返した。
「………どっち?」
何を今更聞くのだろうかと、その真意が計れずに、首を傾げる相手と同じように、首を傾げる。
「答えは?」
「………何か、あったのか?」
今の質問は、現在の恋人と昔の恋人のどちらが大事か、という内容で、通常、こういうのは何のきっかけもなく向けられるものではないだろう。だけれど、考えても、何かきっかけなんて思い浮かばなかった。
「ないけど、いいから。」
「………理由がないなら答えない。」
突然やってきて、挨拶もなしにこの状況は、随分失礼な話じゃないかと、少々頭に来てそう返すと、彼はぎゅっと拳を握りしめる。
「なんだよ。なんで答えられないんだ。」
俺は、そんな変な事を聞いているかと、彼は文句を重ねる。
「それでお前は、俺から貰った答えを持って、すぐに元いた場所に飛んで帰るのか?」
だったら、手ぶらで帰れ。と、肩を押してドアの向こうへその立ち位置を移動させ、目の前でドアを閉めてやる。
「ハインリヒ!?」
「騒ぐな、近所迷惑だ。」
なんで、こんな馬鹿馬鹿しいやり取りをしなくちゃいけないんだと、そのまま家の奥へ足を向け、玄関が静かになった事にほっと息をつく。
別に、好意の確認をする事が間違っているとは思わない。ふいに、自分がどれ程好かれているか不安になる事だってあるかもしれないし、好かれていると答えてもらう事で得られる幸せだってあるだろう。
だけれど、たとえばそれを誰かに語って聞かせる為の確認ならば、それに答えてやる意味なんてないと思う。
誰がどれくらい自分を好きでいてくれて、自分がどれくらいその人を好きで、どれくらい幸せにしたいと思っていて、どれ程幸せにしてもらっているかは、互いが知っていればいいだけの事で、それを他の誰かと比べてどうこうなんて言うのは、意味のない事だ。
だから、彼女と彼を比べて、どちらが好きかなんて言う事は、本当は意味のない事だと思う。だけど、例えば彼に彼女よりも大事なのだと伝える事で、自分の気持ちが伝わるのならば、それを彼に伝える事は無意味じゃないと思う。
彼にあって彼女にないものや、彼女にあって彼にないものは、幾つでも挙げられると思う。でも、それはその時に自分が必要としなかったものだったり、自分が差し出せたものだったりするのだから、本当にそれがどちらかにしかなかったかなんて、やっぱりわからない事だ。
彼は、あまり賢くない。でも、賢い彼が欲しいわけじゃない。自分だって、あまり賢くないから、お互い様だと思う事は多い。
彼女と自分は似た者同士だと思っていた。だから、あまりいい関係ではないかもしれないと思うところもあった。
彼と自分も似ているところは幾つかあって、お互い、カッとなると、相手が引く迄許さないところとか、あんまり、上手い関係は作っていけないような気がするけれど、これで結構付き合いは長くて、似てるから冷静になれるところもあるものだと、思ったりする。
「………さて…」
どうしたものかな。と思ったタイミングで、ドアチャイムが音を立てた。
思わず苦笑が漏れて、くるりと振り返って、歩いてきた分をゆっくり戻る。
「どちらさまで?」
「夜分遅く申し訳ありません。ジェット・リンクです。アルベルト・ハインリヒさんは御在宅ですか?」
小さな声で返事が返る。俯いて、小さくなっている姿が想像できて、おかしくて仕方がない。
「今から、休もうと思っていたところなのですが、お急ぎのご用でしょうか?」
「………できれば、すぐにお伝えしたい事があるのですが。」
暫く迷ってからの返答に、もっと辛かってやりたくなったけれど、笑いを堪えるのはこれが限界のような気がした。
「では、そちらでどうぞ。」
「…………御免なさい………それから…………世界で一番、愛しています。」
あまりに想像通りの展開に、笑いの発作が襲ってきた。こんなにおかしい体験は、そうそうあるものじゃないと思う。腹を抱えて笑うとは、こういう状況を言うに違いない。
「そんなに、笑うようなこと言った?」
笑わずにいられるか。と思うのだけれど、これに、感動のあまり涙する人間なんているのだろうか。お前の頭を切り開いて、その脳のできを見てやりたいと、おさまらない笑いの中で考える。
「……入れてくれないの?」
「おやすみなさい。良い夢が見られそうです。」
「うそ! 本気!?」
「本気。」
「……ハインリヒ……」
「俺は、諦めの悪いお子様は嫌いだ。」
「……………おやすみなさい。」
「とりあえず、今は、お前の方がいいな。」
ドアが大きな音を立てるのを眺めてから、また来た道を戻る。
子供はあまり甘やかすとつけあがるけれど、あまり冷たくしても沈み過ぎる。今は多分、これくらいがいいところだろう。
「とりあえずって!」
叫びがおかしくて笑いが戻ってくる。
こんなに、笑わせてくれる相手は、あれ以外にはいないだろうという気がした。
「………で、君はそれで大人しく帰ってきたわけ?」
「だって、あんなに怒ってるの、初めてだったんだぜ。」
「笑ってたんだろ?」
「笑わせたの。お前、わかる? あの人、怒るとものすっごく怖いんだよ。怒った顔してる時はまだマシ。あの冷たい目で見られると、声も出ねぇんだよ。」
知らない人間を見るように、という言葉があるが、最悪、存在すら無視される。今さっき迄、目の前でにこやかに話を聞いていた人が、突然、何も聞こえていないように席を立って、帰ってこない時のあの恐怖たるや、心臓が止まって死ぬんじゃないかと思う程だ。
「タイミング間違うと、もっと怒らせるんだ。難しいんだよ。」
「………そう…」
「今回は、上手くやれた。ハインリヒも、あんまり怒ってなかったし、ネタがましだったんだ。あれで、俺の事どれくらい好きか、なんて質問だったらきっと、遠慮なく、コーヒーのカスにも劣るとか言われたに違いないぜ。」
「…………君さ、本当に、好かれてるの?」
疑わし気な目を向けられて、ムッとする。
「当たり前だろう! 今回だって、俺の方がいいって言ったんだ。」
「とりあえずは、だろう?」
「ハインリヒが、心にもない事言うわけないだろ! とりあえずでも、少しでも、俺がいいって言ったなら、俺がいいんだよ。お前、そんな事もわかんねぇのか?」
「…………」
「笑って、お前が一番大切だよ。なんて言われたら、俺は心臓が止まる。ハインリヒはあれでいいんだ。」
正面きって言われなくたって、ちゃんと伝わっているからいいのだ。ああやって、怒ったり、笑ったりしてくれるだけで、自分がどんなに大事に思われているかわかるから。
「………君がいいならいいけど、勝負は君の負けだね。」
「別にいいさ。」
どうせくだらない時間つぶしだ。彼の声が聞けただけで充分だ。
「半年、タダ働き。忘れたら、ハインリヒに言い付けるからね。」
「…………はい、はい…」
ため息はもれるけれど、彼の笑う声を思い出せば、それで幸せ気分だ。
「……いいけどさ。」
呆れたようなジョーの声も気にならない。俺は、かなりの幸せ者だ。
記念すべき10万HITのリクエスト。曹達さまより「アルヒルの絡んだ24」。
ちっとも、クリアされてない…ですね。申し訳ないです…
白状しますと、アルヒルね、ダメなんです。
私の書くハインリヒには、完全に過去の人だから、絡まないんです。ハインリヒは、迷いなく、ジェットを選んでしまいます。比べる余地がない。ハインリヒはヒルダが好きだけど、ヒルダといた自分が嫌いだから。だけど、ジェットといる自分は結構好きなので、もう、迷いがないです。答えをやらないのは、遊んでるだけで、未練があるからではありません。
そんなわけで、なんだか、消化不良気味かもしれませんが、お楽しみ頂けたなら、幸いです。(2004.1.27)