初めて彼等に会った頃、ジェットは、向い側に座ってお茶を飲んでいる人物を見ては、所謂誉められる大人と言うのは、こういう人ではないだろうな。と思っていた。
身になるのかならないのかわからない言葉を並べ、全てを冗談でごまかそうとする姿などは、眉をしかめられるべき人間だと持っていたものだ。なのに何故だか、彼が最も気に掛けている人は、この人物をいたく信頼しているとしか思えなかった。絶対に合わないと思うのに、気付くと二人で視線を交わし合って肩を竦めていたりする。どうしても、それが気になって仕方がない。
それからのジェットは、自分が何か考え違いをしているのかもしれないと、彼の様子を伺うようになった。だが、やはり、何が彼の信頼を得ているのかには、さっぱり理解が及んでいなかった。
結局、ジェットにとって、グレート・ブリテンという男は、どうにも掴み所のない人物だった。
「人の顔を見て、唸らないでくれまいか?」
ティーカップを下ろして、彼はため息まじりにそう言った。どうやら、自分を見てはため息を尽き唸るジェットに些か機嫌を損ねた様子で、顔を歪ませている。
「悪い。」
「聞きたい事があるのならば、お答えするが、何がそんなに気掛かりかね?若者よ。」
最後の一言が余計だとジェットは心の中でため息をついた。だが、彼がこの人物と話している時に、これに似た言動に機嫌を損ねている様子は見えない。彼は苦笑を浮かべて、普通に対応している。これはもしかして、自分の態度の方が間違っているのだろうかと、ジェットは戸惑いと焦りを感じた。
人間は、いつでも自分が基本である。だが、世の中に人間は溢れ返っている。そんな状況で、本当に自分だけを基本にしていると、ものがわからなくなる。そういう時は、多数決で基本が決定するのもまた、世の常だ。今の自分は、もしかしたら、基本から外れているのではないか。そう思いはじめると、何となくだが、気が焦る。自分は間違っていないと、ジェットは必死に自分に言い聞かせた。
「青春に悩みはつきもの。さ、吾輩に思いの丈をぶつけてみたまえ。」
ジェットの心の中の葛藤に気付いているのかいないのか、グレートは芝居がかった振りをつけてそう語り掛けた。
こういう芝居がかった部分が、どうにもうさん臭い大人だと、ジェットは思う。自分の言葉で語れないのではなく、自分の言葉で語らない人間というものは、彼にとって、信用してはいけない人間に類されるものだったのだが、これで意外と信用されているから不思議だと思う。
「あんたの何がいいのかなぁと、思ってさ。」
取りようによっては、最大級に失礼な発言なのだが、やはり大人である彼は、機嫌を損ねる事なく、大仰に天を仰ぐ事もなく、苦笑を浮かべるだけに済ませてジェットを見遣った。
確かに、こういう場面では、彼の心のあり方は『大人』なのだな。とジェットは思った。彼の最愛の人物は、こういう時に発言を見のがしてはくれない。怒鳴る事はまずないが、冷たすぎる視線で相手を見て、あっさり存在を無視してくれる。それはもう、見事にだ。
「なるほど。確かにそれは、重大な問題だな。」
誰にとって何がいいのか。とは言わなくてもわかったようで、彼は腕を組んでしきりに頷いた。幸か不幸か、ジェットが彼を特別だと思っているのは、グレートには知れている。まぁ、知れるよな。とジェットも思っているのだが。
「最近、何か、相談に行った?」
先日、ハインリヒの元に、ギルモア博士の偽者が現れ、彼が、自分と同じ機能を持つロボットと戦ったと言う話を聞いた。彼の言うには、姿まで彼に似せていたという話だ。
確かに、彼等サイボーグの設計図はブラックゴーストの元に残っていると考えて間違いはない。それを見れば、彼等と同じ機能を持ったロボットは作れるだろう。もっと極端な事を考えれば、彼等のクローンから同じ機能を持ったサイボーグを作る事だってできるだろう。以前に、ジョーが彼等のクローンと戦った事もある事を考えれば、それも不可能な話ではない。
今回の敵は、ロボットだった。しかし、そのロボットを操っていた者が誰なのか、それはわかっていないのだ。この後、同じような事が起きるかもしれないと、ハインリヒはその話を持って日本へやって来ている。
「いや。まだ何も話には来ないな。」
ハインリヒは、日本に来ると必ず、グレートと酒を飲んで話をすると決めているのだと、ジェットは聞かされていた。実は、決めたのはハインリヒではなくグレートの方なのだが、そんな事はジェットにわざわざ教える事ではないと、グレートは思っている。
ハインリヒが、グレートの元へ相談事を持ってくるのは、最近始まった事ではない。ブラックゴーストで実験の日々を送っていた頃からの話だ。その理由は、単に相談事は年上の人間に。というごく普通の感覚から来ているだけで、信頼ができるからとかいった理由はなかっただろうと、グレートは思っている。もちろん、その後も続いたのは、自分が彼にとって有益な意見を持っていたからだと思ってもいるが。
「……なんか、様子がおかしいんだけど、俺には相談とかしてくれないしさ。」
ジェットは軽くため息まじりにそう言って、向いに座るグレートを見遣った。
「まぁ、あの御仁は、お前さんに弱味は見せんだろうな…」
その呟きを聞いて、ジェットはヒクリとこめかみを引きつらせた。自分から見れば、うさん臭いとしか思えないグレートが相談相手になり得るのに、自分には無理だと、その相手から言われるというのはなんとも言えず屈辱的だった。
そんなジェットの様子を見ながら、グレートは腹の底で笑みをこぼした。ハインリヒがジェットを相談役に選ばない理由を、グレートは当人から聞いて知っている。それは、彼のためにも決してジェットに教えてやるわけにはいかない事なのだが、それを勘違いしているジェットの様子が楽しくてならないのだ。
「ここ数日はギルモア博士やジョーと話し込んでいたから、そろそろ来ると思うがね。」
そうは言っても、彼が今の悩みごとを自分に話すとは、グレートは思っていなかった。ハインリヒがグレートに相談する内容は、大概があまり深いものではない。もし彼に、今回の騒動に関して考え込んでいる事があると言うのなら、それは多分、グレートに相談される類いの事ではないはずだ。まぁ、それに関わる問題として、一つあがって来そうな相談はあるだろうと、今、気付かされたが。
「どうも、夜もよく眠れてないみたいなんだ。部屋からもあまり出てこないし。」
当人よりも、彼の事をよくわかっているのではないかと思いたくなる程、ジェットはハインリヒを気に掛けているのだと、こんな発言を聞く度にグレートは思う。
グレートも、ブラックゴーストに改造されてから、自分の中で色々なものが変わってしまったと思う事があった。自分はそれまでと同じ人間なのかどうかも、大いに疑問視されるところだと思っていた事もある。そんな中で、彼に会った。自分よりも遥か前に改造された彼は、既にその疑問を乗り越えてしまっていた。そして、まだ自分にすら疑問を持っているグレートに、彼よりももっと早くに改造されていたイワンと共に、ハインリヒの説得を持ちかけて来たのだ。
今思うと、あの時の選択は自分にとっても良いものだったのだろう。ハインリヒの説得と言いながら、グレートはその語る内容を自分でも考えていた。それが、自分が何であるかと言う、自分なりの答えを導き出すのに役に立ったと思う。
自分は人間であると言う、その答えを導き出すことができた事を、今は本当に良かったと思う。
「もう少し、待ってやった方がいいんじゃないかね?」
「そうするよ。」
大きくため息をついて、ジェットはソファの背もたれに倒れ込んだ。
ジェットの中で、ハインリヒの事が気に掛かるのは、今に始まった事ではない。ブラックゴーストで最初に会ってからずっと、彼の事は頭の隅から消えた事はないと思う程だ。もちろん、殆ど考えもしない時だってあるけれど、ふいに気になりはじめて、どうしようもなくなって、思わず会いに出かける事だってある。本当に、好きなんだとそんな時はしみじみ思う。
「お前さん、本当にあの御仁が好きなんだな。」
「俺も驚いてるんだけどね。」
しみじみと言われて、ジェットは苦笑しながらそう呟いた。本当に、驚いているのだ。自分が、こんなに長い間、誰か一人を好きでいるなんて思いもしなかったから。
彼を見た時、あれは自分だと、確信した。
言われるまま、言われた通りに。
ただ、従うだけの、意志のない人形。
目的一つ持つのみで、他の何も持たないだけ、
彼は自分よりも純粋だとさえ思った。
それでも俺は彼を殺す事をためらわなかった。
そう、あれは、破壊ではなく、殺人。
俺は彼に自分を見て、
それを消してしまいたかった。
あの時死んだのは、あの日の俺。
醜く歪んだ 鋼の罪人。
ぱちり、と目を開けて、彼は辺りを見回した。
「……?」
自分は、こんなところで眠っていただろうか?と見える景色に疑問を抱いた。最後に見たのは、自分の頭上を覆う、生茂った緑だったはずだと思う。だが、今は頭上には白い天井が見えている。そして、首を捻れば、赤茶色の髪の揺れるのが見えた。
「ジェット?」
寝起きのぼやけた声が情けないと、自分で思って、体を起こしても、赤茶の頭はこちらを振り返らなかった。何をしているのかと訝しんでそこへ寄ると、背中を向けた彼は、椅子に座ったままで眠っていた。
思わず笑みが零れ、ふと目をやった先の窓の外に雨が降っている事に気付いた。どうやら、外で眠ってそれに気付かなかった自分を、ジェットが中まで運んでくれたようだと理解し、ため息をこぼす。
あの木の下ならば、小雨程度ならば凌げただろうと思う。水滴も落ちてこないだろうし、雨に気付かなくてもそれはありだったかもしれない。それでも、人に抱えられたら、普通は気付くものだろう。それを、まるで気付かないで寝入っていただなんて、とんでもない話だ。
「…ハインリヒ…?」
寝ぼけた声が耳に入りそちらへ目をやると、目を擦りながらジェットがこちらを見上げていた。
「世話を掛けたな。」
「ん?…ああ、いいよ。気持ちよさそうに寝てたから、起こすの嫌だったんだ。」
へらり、と笑うその顔は、『どことなく』なんて言えない程に、しっかりと嬉しそうだった。自分よりも年下のジェットが、自分が人らしくしている姿を嬉しそうに見ているのを、ハインリヒはよく知っていた。ブラックゴーストにいた頃からずっとなのだから、気付いていない方がどうかしている。それでも一応、自分の立場上、あまり彼に世話をかけるのは嬉しくない。やはり、年長者としては、世話をかけるよりは、世話をしてやった方が気が楽だし、おさまりがいいのだ。そんな事を言うと、グレートは笑うのだが、やはりそれは、彼が自分よりも年上だからだろうとハインリヒは思う。
「最近、ちゃんと寝てる?」
「……寝てる。」
返った答えを聞いて、ジェットは小さくため息をついた。一瞬の沈黙が、その答えを否定している事に、彼が気付いているのかどうかはわからないが、自分には本当の事を言ってくれないのだと言う事が悔しい。もっと、色々と話してくれて、頼ってくれたらいいのにと思う。
「それならいいけど…」
力なく返ったその言葉を聞いて、ハインリヒは小さくため息をついた。弱いところなんて見せたくないと思っている相手に、あっさりと見破られているところが情けない。そして、それがわかっていて引いてくれるジェットが、自分よりもずっと、大人なんじゃないだろうかと思ってしまう。そして、またそれが情けなく思うのだ。
「何か、俺で役に立てるなら、何でも言って。……頼りないかもしれないけど。」
見上げるジェットの表情が、何時になく真剣な事に気付いて、ハインリヒは苦笑を浮かべた。
まさか、そんなに心配を掛けているとは思っていなくて、こちらを心配そうに伺っているのには気付いていたけれど、黙って放っておいたのだ。それなのに、それがよくなかったのかもしれないと思う。
「覚えておく。」
これまでハインリヒは、ジェットに弱音を吐くのは嫌だと思って来た。自分が彼に弱音を聞かせてしまったら、彼の弱音は誰が聞いてやるのだろうと思っていたからだ。ブラックゴーストで実験の日々を送っていた頃から、ジェットの弱音を聞くのは自分の役目だと思っていた。それが唯一、人らしい自分の役目のように思っていた部分もある。だから、自分はジェットには弱音は言わないと決めていたのに、彼は自分に頼られたいと思っていたなんて、驚きだった。
「呼んでくれたら、どこへでも行くから。」
加速装置もあるからさ。と笑うジェットに安心して、ハインリヒは笑みを浮かべて頷いた。
ずっと、子供だと思っていたのに、実は相手は大人だったと思うのは、なかなか驚く事だった。
カタリ、と小さく音を立てて開いた窓の音に気付いて、グレートはそちらを振り返った。
「ようこそ。お客人。」
「御招待に感謝する。」
お決まりの言葉を交わして、グレートは向いへやってくるハインリヒを迎えた。
「色々と、大変な目に会っているようだな。」
「…まぁ、突き易いって事なんだろ。」
戦闘目的に同じ形をしたものを作ろうと言うのならば、自分と同じか、ジョーと同じかのどちらかが適役だろうと、ハインリヒは思っている。そして、その目的が、サイボーグの抹殺なのだとしたら、先に潰されるのは自分だとも思っている。009は最高の性能を持つサイボーグだ。どう考えても、先に作られて資料も山と残っている自分の方が、潰し方は研究し易かろうと思う。
「でかい子供が泣くから、自分の事は大事にしてくれよ。」
笑うグレートの言葉を聞き、ハインリヒは苦笑を浮かべた。暗黙の了解事項と言うわけではないが、この場で話題にされるのは、互いの事か、もう一人しかいないのが決まり事なのだ。その中で子供と言えば、その一人の事に他ならない。
「あれは…驚いた。」
どこかで聞いていたのだろうか、と思いつつ、素直に感想を述べると、グレートはため息まじりに口を開いた。
「雛は育つ。親鳥も雛が巣立てば他人だろう?」
でも、人の親は何時まででも親だ。子供が自分より大きくなっても、親は親。だから、彼はずっと雛のままなのだと思っていたのに。
「何時からだ?」
「………可哀想な子供だね。あれも。」
本気の質問だと見て、グレートはため息をついた。
ハインリヒの中で、ジェットが改造直後の彼のままだと考えられているのは知っていたが、いくらなんでもこれまで長い間一緒に戦って来て、多少の変更は掛けられているものだと思っていた。だが、どうやらそうではなかったらしい。あんなに真直ぐ懐いているのが、敗因なんではなかろうかと、ここにはいない話題の人物を思い浮かべ、グレートはそんな事まで考えた。
「そんなに前なのか?」
自分で言ってショックを受けているのか、ハインリヒは頭を抱えて必死に心当たりを当たりはじめたようだった。
「お前さん、本当に気付いてなかったのか?」
「……あれは、雛だから…」
それは、一番最初に懐いた生き物だったのだ。自分でもどこか馴染めない自分に、初めて懐いて頼ってくれたから、それは守らなくてはいけないものになり、自分を容認する切っ掛けになり得たのだ。彼と同じように守ろうと思うものは増えたけれど、彼は他とは違う。
「お前さんは、彼を雛だと思ってたかもしれないが、彼は逆に思ってたのかもしれないぞ。」
だだをこねる子供としか思えなかったが、あれは親鳥を慕う雛だとも言えなかっただろうと、グレートは当時を振り返り考える。それはもう、大事にしていたのは間違いがなくて、こちらが照れる程だったのだが、当人が気付いていないのでは他人事ながら泣けてくる。
「そうなのか?」
ブラックゴーストにいた頃から、ハインリヒはジェットに関する事だけは、何故かグレートの意見を完全に信用する癖がある。どうも、あまり冗談に近くない性格らしく、真面目な顔をして嘘を言うと、彼はあっさり信用する。他の誰かではそんな事はないのだが、これも多分、『雛』だな、と、グレートは思う。とにかく彼は、未だにどこか不安定に見えるのがよくないのだと、そう思った。
「吾輩は彼ではないから、本当のところはわからんがね。」
「でも、他の誰にも言えないって…」
「そりゃ、何時の話だい?」
問われてハインリヒは口を噤んだ。あれは、再改造の前の話で、あの後は確かに様子が違っていたのだけれど、もしかして、彼はもう他の誰かを見つけたのだろうかと思うと、何となく落ち着かない気分になる。
「お前さん、勘違いしてないかい?あれは別に、他の誰にも頼っちゃいないぞ。」
グレートはハインリヒの様子に、慌ててフォローに入り、顔を上げたその表情を見て、腹の中でほっと息をついた。どうにも、思考回路の読めない相手だと、こんな時はよく思う。
「じゃぁ、どうして。」
まったく心当たりがないようで、彼は不審そうにグレートを見返してくる。どうやら、自分がまた騙されているのではないかと思っているようだと、グレートは小さくため息をついた。何時の間に、このあまり表情の見えない人物の感情を読めるようになったものかと。
「だからな、彼は元からお前さんと対等だと思っていたと言う事だ。頼る相手は欲しいけれど、頼るばかりの雛じゃなかったと言う事さ。」
「……だから、頼りにされたいと?」
世話ばかりかけるのは対等じゃない。そういう人間関係が嫌だと言うのならば、昼間の会話も有りだろうとはわかる。それに、よく考えれば、再改造後は随分世話を掛けていた事はわかる。その頃の事は自分の状態が芳しくなかったから、周りが何をしていたのか、今でも現実味がないのだけれど、こんな風にして聞かされた話は多分嘘ではなくて、そこで語られた彼は、確かに自分の思っていた彼とは違うように思う。
「あれは、本当にお前さんが好きだからな。」
それは、自分を認めるために必要だった事。でも、それは、自分の思うのとは違う意味があるのだろうか。
薄暗い闇の中で、彼はそこに立っていた。
『また、会ったな。』
口の端を上げてにやりと笑い、彼は自分と同じ声でそう言った。
『そんなに驚く事はないだろう?お前が呼んだのだから。』
彼はゆっくりと傍へ寄ってくると、右手を伸ばして顔に触れた。自分の手が触れるのと同じ鋼の感触は冷たく、何も言えずに目の前に立つ彼を見続ける事しかできなかった。
『そんなに、自分が恐ろしいのか?声も出せない程に。』
彼は笑い、俺はそれを認める事しかできなかった。
彼は、俺だ。嘗ていたはずの自分。彼等が引き上げてくれなかったら、間違いなく自分は彼と同じものになっていたに違いない。だから、彼を恐れる俺は、自分を怖れているのと同じだ。
『そうだ。お前は、箍が外れれば、何をしでかすか知れたものじゃないからな。到底、彼等と同じとは言えなかろうよ。』
戦闘を目的に作られた俺は、その目的からして彼等とは違う。そして、俺は戦闘が楽しいと感じるのだから、彼等とはまるで違うのだろう。あの頃だって、どうすれば効率良く敵が殺せるのかを考えていた。自分と同じ顔をした者を殺すのだって躊躇わない。それでどうして、彼等と同じだと言えるのだろう。
『お前は、それ程自分が憎いのに、誰かのためになんて、戦えるのか?』
彼はにやりと笑うと、俺の目を覆った。
『自分も信じられない人間に守られるなんて、迷惑だと思われているんじゃないか?そんな人間を信頼できると思うか?』
真っ暗闇の世界の中で彼の声だけが耳に残り、その手が消えたそこには、既に何も存在しなかった。
「…あのさ…怒るかもしれないけど、俺ね、あんたが心配なんだよ。」
半ば目覚めかけた意識に、小さく聞こえてくる声に気付いた。声の主は聞き間違えようもなく、その先が気になって、そのままぼんやりした状態でその声を聞いた。
「そりゃさ、俺よりは大人だから、心配される謂れなんてないと思うかもしれないけど。……だって、あんたまだ、自分の事あんまり好きじゃないだろ?昔よりかはましだけど、あんたのそれ、わりと根が深いし。………思うんだけど、人の事好きになるよりか、自分の事好きになる方が難しいよね。俺だって、自分の嫌いなとこ幾つかあるけど、あんたの事殆ど全部好きだし。……特に、あんた、自分に厳しいから、自分の事殆ど嫌いだったりしそうだし。でもさ、そんなあんたでも、俺は好きだからさ、あんまり無理しないでよ。あんたは自分が嫌いだから自分が無茶しても平気かもしれないけど、俺はあんたが好きだから、無茶されるの嫌なんだよ。」
まさか、そんな事を考えて生きている人間だとは思っていなかったせいで、驚いて飛び上がりそうになったのを必死に堪え、こちらが聞いている事に気付いていないらしい彼の声を待った。
「それでさ、少しでもいいから、俺にも何か話して。………俺さ、あんたの話す声聞くの好きだから。夢で虹を見たとかさ、あんた俺の話聞いてくれるだろ。俺も、聞きたいんだよ。だって、そんな事話すなんて、返事期待してるとか思わない?あんたは違うかもしれないけど。でもさ、違うから、言える事もあると思うんだ。あんたと俺は違う人間だから、相手の事がきちんと見えるんだと思うから。だから、俺にも聞かせてよ。くだらないとか、言ってもわからないとかはなしでさ。」
笑ったような気配がして、鼻を摘まれたのに驚いて目を開けると、隣に寝転んで肘をついてこちらを眺めているジェットと目が合った。
「おはよ。」
「………おはよう…」
なんだかバツが悪くて、戸惑いつつそう答えると、ジェットはにこりと笑って、ガバリと跳ね起きた。
「あのさ。俺、あんたに守ってもらわなくちゃならない程弱くないから。でも、あんた守れるくらい強いかもわからないから、自分の事、大事にして。いなくなると嫌だから。」
寝転んだままのこちら向かってジェットはそう言い、立ち上がると手を差し伸べた。
「ジェット?」
「とりあえずまだ、これくらいの役にしか立てないかもしれないけど、頼ってよ。」
差し伸べられた手を握ると、軽く引かれて目の前に立たされる。
「………ハインリヒ?」
何も言わない事に戸惑ってか、顔を覗き込んでくる彼は、確かにあの頃の彼とは違って、どうしてきちんとそれに気付いていなかったのだろうかと不思議になる。
「大丈夫?具合悪いとか?」
心配そうに問いかける彼は、本当に自分を心配してくれているのがわかって、どうしてこんな自分を心配するんだと思う。
「……お前、俺を信用できると思うか?」
口をついて出たのは、夢の中で否定された事。それは、自分で自分を否定したのと同じ事。
「当たり前だろ?」
何を言っているんだと表情で語って、ジェットは屈んでこちらの顔を覗き込んで来た。
「どうしてだ?」
何をもって、何処を見て、俺が信用できる人間だと言うのだろうかと、本気で問いかけると、彼は少し困ったように空を見上げてから、ため息をついてまっすぐにこちらを見た。
「じゃ、さ。あんたは俺の事信用してる?」
質問したのはこちらだと思ったが、とりあえずそんな反論は脇に置いて頷いた。心配もしているけれど、信用はしている。それは間違いのない事だ。
「どうして?」
同じ問いを返されて、答えに困った。どうしても何も、説明するような理由なんてなく、ただ、こいつは信用できると、そう思っただけの事だ。
「俺もね、どうして?って聞かれると困るんだよね。信用できると思ったから。って以外に、理由なんてないよ。」
「でも、あの頃の俺は、人形みたいなもんだったろう?」
「最初見た時はそう思った。でも、後から話もしたしさ。信用できると思いたかった。って言うのが、正しいのかもしれないけどね。」
同じサイボーグだから。ただそれだけの理由で同族だと思う人たち。それを疑いたくはない。自分も、最初はそんなものだったかもしれない。でも、長い時間傍にいれば、疑ったりしなくてもいい人間だとはわかるようになる。少なくとも、仲間の中に、疑うべき人間はいなかった。
「さっきも言ったけどさ。あんたって、自分の事より、他人の事の方が、評価高いだろ?でも、そんなに心配しなくていいよ。俺は、絶対、あんたが自分のこと思ってるよりずっとあんたが好きだし、あんたのこと信用してるし。信頼してるし。だから、心配しなくていいよ。」
その言葉は、驚く程に真直ぐ伝わって、笑ってバカにするなんてできなかった。
当然のように、こんなにあっさりと、求める答えが与えられるなんて事は、きっと奇跡のようなものだ。そして、彼がそんな風に見ていた事も、驚きだった。
「自分のこと、そんなに嫌わなくてもいいよ。」
その言葉は、驚く程優しく耳に響いた。
「あんたは、俺の一番大事な人だから。」