陽も下りた後にもかかわらず、絡み付くような熱気の中で、ただ立ちすくんで一点を見つめる後ろ姿が、どこか悲しく見えたのは、自分が悲しかったからだろうかと、振り返った彼の表情を見て思った。
彼は本当に嬉しそうに笑っていて、俺はそれにも驚いた。
「カカシさん?」
後ろに立っていた俺に気付いた彼は、問いかけるように名前を呼んで、手を伸ばせば届く位置まで歩いてきた。
「今日は、早かったですね。」
「……すみません……」
今日は早かったけれど、それでも遅刻。きちんと待っていてくれるのは嬉しかった。だから毎回遅れてくるわけじゃないけれど。
「どうしました?」
謝った事に驚いてか、不思議そうに目を覗き込まれる。嘘は許さないと訴えるように、そこだけ曝された目を覗き込む彼は、いつも真剣だった。
「…昼寝してて…」
「起きたら時間が過ぎていて、慌てて出てきた?」
「はい。」
「そしたら、気になるもの見ちゃった…って、感じですね。」
笑ってそう言って、彼は先に歩き始める。遅れまじと後を追い掛けながら、あまり隣を歩いたりしないなと、ぼんやりそんな事を考える。いつも、どちらかが前。一歩か二歩、前後して歩く。急いで足を運べば隣に立てる位置関係だから、正しくは斜めの位置。
「泣いてるかも、とか思ったでしょう?」
くるりと振り返って、彼が笑う。
「……少し。」
「泣きたかったら、泣いちゃっていいですよ。」
からかうように彼は言って、楽しそうに笑う。
「泣きたくなんかないですよ。」
「そうですか?」
笑う彼は、珍しくそこで止まって待っていてくれる。だから隣まで足を運んで、二人で並んで歩き始める。
「イルカ先生は、泣きたくならない?」
「別に泣きたくなる事なんてなかったし。ちょっと羨ましかったけど、嬉しかったから。」
彼がじっと見つめていた先には、小さな子どもの群れ。その中には、金の頭の子どももいて、その子どもが彼の目を引いているのだと思っていた。
「羨ましいって?」
「俺は、あんなに沢山で祭りに行った事ないなぁと、思って。」
こんな時だからこそと、祭りはきちんと行われていたけれど、下忍になってからは、3人での行動が殆どだったと、彼は言う。祭りの時季に不在になる者もあるし、絶対にそこにいるとわかっているのは、スリーマンセルを組む3人で、班分けされると、何故だか親密度は上がるものだ。
「………ちょっと、意外な感じがします。」
「俺、友達少なかったんで。」
笑って彼は言い、一歩先に出る。話なんてしなくても、傍にいたらそれでいい人。でも、話が出来たらもっと嬉しい人。
「夏祭りで、両親に会えるんじゃないかって、結構必死に探したりもしましたねぇ。」
里の主催の夏祭り。夜に提灯の灯りで町を歩く。死んだ人が帰ってくるとも言われていて、里中が不思議な空気に包まれる日だ。
「見つけられたためしはないんですけどね。」
笑って、彼は手にしていた面を被る。顔を隠して歩くのは、会いたい誰かと重なる人を、そうと信じて見るためだとか。彼の面は、白い狐。目の開いていないその面で、それでも人込みを歩いていく。すぐそこにあった背中は、あっという間に人込みに紛れ込み見えなくなった。
まだ小さかった頃、手を繋いでいてくれた誰かとはぐれて、面の群れの中で心細くて悲しくなったことがあった。面の中で泣いていたら、小さな手が伸ばされた。
『痛いの?』
白い狐の面から、子どもの声が掛かった。狐なんてつける子どもがいるとは思わなくて、きっとこれが、死んだ人だと思ったのだ。狐に殺された子どもだと信じた。
『……違う…』
『はぐれたの?』
そう問いかけて、子どもが手を引いてくれた。何処へ連れていかれるのかわからないまま、手を引いてくれていた人の面を告げると、子どもはするすると人込みをくぐり抜けて、別の手に、引いていた手を預けてくれた。
『またね。』
ひらひらと振られた白い小さな手が、人込みの中に消えていくのを、ぼんやりと見送り、今度こそ離れないように、その手をしっかりと握って、家へ帰った。
『あの子は、死んだ子?』
『生きてたよ。』
それじゃ、あれはまた会える子どもだと、それは理解できたが、面の下の顔もわからず、声すらも次の日には忘れてしまった。それきり、今の今まで忘れていた。
「………イルカ先生?」
人込みに足を踏み込んで、見えなくなった背中を探す。白い狐の面は、さして珍しくもない面の一つで、紺の浴衣もありふれていた。それでも、彼の背中を見間違えるはずもなく、人込みをくぐりながらそれを探した。あの日の彼にはまるで適わない、人にぶつかってばかりの情けない足取りで。
見つけた彼は、人込みから外れた祠の脇に腰を下ろして、ぶらぶらと揺らした足を眺めていた。
「イルカ先生。」
「遅いですよ。」
「………すみませんね……」
面は既に外されていて、彼はにこりと笑って、隣へ手招く。
「ご両親は、見つかりましたか?」
「………何やら、恋人と間違われましたねぇ。」
笑いながらそう言って、彼は面をクルクルと回す。先程までの笑顔とは、どこか違う笑顔だった。
「死人のふりは、慣れましたけど。」
「………死人のふり?」
「狐面。」
自分の面を指差して、彼は笑う。
「そんなつもりで着けちゃいないってのに。」
腕を伸ばして抱き締めたら、ことりと腕に落ちてきた。あの時の手は冷たかった。でも、この体は冷たくはない。人の温度の感じられる体。
「カカシさんは?」
「ちゃんと、見つけたでしょう?」
あの時の手はもうないけれど、欲しい手は、きちんとこうして捕まえた。
(2001.08.14)