贈り物



 教え子が、新しいマフラーを貰うのだと、満面に笑みを浮かべてそう言ったのは、2月13日の朝だった。
 嘗ては外界と隔離されていた忍びの里も、今や垣根も低くなり、テレビもあれば映画もあって、2月の14日には女性からのプレゼントを楽しみにする男がてんこ盛りになるようになっているのが現状。
「………面白くないよねぇ…」
 教え子にマフラーなどくれる親切な人は、考えるまでもなく一人っきり。海野イルカ以外にいるわけがない。その彼が、わざわざマフラーを買って与えるとも思えず、ならばそれは手編みであろうと思う。
 バレンタインデーに手編みのマフラー。そんなものは、自分が欲しい。というより、自分が貰うべきだとそう思う。マフラーが欲しいとかそういうわけではなく、そういう品は自分が欲しいという意味で、貰って自分が使うかどうかは、かなり微妙な線ではあるけれど。
「………」
 今日の報告書受付にはイルカの姿はなく、職員室を覗いても姿は見えず、尋ねもしないのに、イルカは帰ったと教えてくれた親切な教員に礼を言い、どことなく重い足取りで、それでもイルカの家へ向かっていた。
「まだできてないんだろうけど…」
 押し掛けていって邪魔をしてやりたいけれど、あの子どもが落ち込む姿が見たいわけではなく、どちらかと言えば、嬉しそうにしていてくれた方が気分はいい。
 進む速度は遅くても、辿り着く家が遠退くわけではなく、気付けばイルカの住むアパートに辿り着いていた。
「………」
 なんとなく、みっともない事を言いそうで、傍に行かない方がいいとも思うけれど、やっぱり、手編みのマフラーは羨ましく、恨めしい。
 あんな子どもにはくれてやるのに、どうして自分にはくれないんだろう。そんな事を思って、子どもに嫉妬するのもみっともない。まるで、子どもにだけかまう母親に拗ねる父親の気分だ。
「…はぁ……」
 
 
 
 
 
 
「こんばんは。」
「いらっしゃい。」
 ドアを叩けばあっさり玄関は開き、イルカは簡単に中へ入れてくれる。
「今日は、任務遅かったんですね。」
「早く終わったんで、訓練に時間をまわしたんですよ。そしたら、止め時を見失いましてね…」
 苦笑を浮かべて居間へ足を運ぶと、こたつの脇に置かれた毛糸玉を見つけた。
「それ、ほどいたりしたら、二度とうちに上げませんからね。」
 なんですか?と問いかけるまでもなく、先手を打たれて一瞬沈黙して答えを返す。
「しませんよ。そんなこと。」
 そんなことをして、イルカにお小言を言われるのも楽しくないし、みっともない自分も嫌だ。
「ご飯は?」
「食べます。」
 黄色い頭の子どもの為に、青いマフラー。何の変哲もないずるずる長いマフラーかと思えば、必死に作った菱形の模様が浮かんでいた。
「……なんかさぁ……」
 あの子どもは愛されてるな、と思う。昔からそうだったのか、あの事件の後からなのかは知らないが、少なくとも今は、イルカはあの子どもに必死に気を配っていて、生徒ではないからか、特別扱いだってちっとも気にしている様子は見えない。
 編みかけのマフラーと、折り癖のついた本。
「あ……これ……」
 丸くなった青い毛糸は、見覚えのある青。暫く前に出してあった青いセーターの色だ。
 イルカがまだ小さな頃に、母親が編んだセーターだと言っていた。その割には大きいと言ったら、自分のではなくて、父親の為にあったもので、なんとなくずっととってあったのだと、少し寂しそうな顔をしてイルカは言った。
「………」
 そんな大事な品を、どうしてくれてやってしまうのだろう。なんとなくとってあったなんて言うけれど、大事にしまっておいたに違いないのに。
「カカシ先生、机の上片付けてくれますか?」
「はーい。」
 なんだかとても悔しいけれど、イルカの苦労を無にする事も出来なくて、引っ張ってダメにしてしまいたい気持ちを必死に抑えて毛糸をまとめてこたつの脇へ下ろした。
「今日は、鍋です!」
 嬉しそうに笑ってイルカが土鍋を抱えてやってくる。
「魚屋の奥さんが、鱈をくれたんですよ。」
 鍋の中身は既に煮えていて、自分がくるのがわかっていたのだと思うと、どうにも落ち着かない気分になる。きっと、ナルトがマフラーを貰うと言った事だって、知っているのだろう。
「イルカ先生って、貰いもの王ですよね。」
 二人で並んで歩いていたって、声がかかるのはイルカの方だ。こちらを見ながらこそこそと耳打ちされた言葉に頷いては、イルカは嬉しそうに店の品を貰ってくる。
「羨ましいですか?」
「………そういうわけでもないですけど…」
 不思議なだけだ。どうして、あんなに誰かにかまわれる人なんだろうかと。
「金がない時は、有難いですよ。」
 そう言って、イルカは箸を差し出し、向かい側へ腰を下ろす。
「いただきます。」
 きちんと手を合わせてそう言って、二人で揃って箸を取る。
「イルカ先生、その毛糸、この間のセーターでしょ?」
「着ないから、丁度いいと思って。」
 イルカはそう言って笑う。こういう思い切りの良さは、少し恨めしい。
「………」
「だって、置いておいて、虫がついたら嫌じゃないですか。」
 そう言いながら、イルカは困ったように毛糸に目を動かす。
「使ってくれる人がいるなら、持っててくれた方がいいなぁ…って思って。」
「で、マフラー?」
「流石に、編み直しの腕はないので……」
 苦笑を浮かべ、イルカは鍋をつつく。
「俺には?」
 問いかけると、吃驚したようにイルカが見返してきた。その表情に作った風なところは欠片もなくて、この人は、俺がどう思うかなんて事を、考えもしなかったのだと思うと、なんとなく、面白くなかった。
「…え……と……」
 困ったように視線を彷徨わせて、イルカは視線を鍋に戻した。
「イルカ先生?」
「あ…明日、考えます。」
 そう言うと、イルカは顔も上げずに鍋に箸を入れ、明らかに、聞いてくれるなと言う体で食事を続けた。
「……………」
 そうまでされて、重ねて問う事も出来ず、おとなしく鍋をつつきながら、ため息を堪えるのは、かなり難しい事だった。
 
 
 
 
 
 
「イルカ先生、俺、そろそろ帰りますね。」
 真剣に編み物に没頭しているイルカを見ながら、イルカの所有物である巻物などを見ているのも飽きてきて、そう声をかけると、イルカが慌てたように顔を上げた。
「もう少し、ゆっくりされません?お茶、いれなおします。」
「………はぁ……」
 さっきから、何度同じ手で止められたか、数えるのも馬鹿馬鹿しいのだが、かれこれ4回。時間にして4時間。その間に、マフラーは随分長くなって、今は編み上がった先に飾りをつけられている。
「ちょっと、待ってくださいね。」
 慌てたように立ち上がって、イルカはポットから急須へお湯を注ぐ。
「それ、もうすぐ出来上がりですね。」
「はい。あとこれつければ、終わりです。」
 そう答え、イルカは湯飲みに茶を注いでくれた。
「それ、面白いですか?」
 手元の巻物を指差して問われ、頷いて返すと、嬉しそうに笑う。
「それは、父が使ってたものなんですよ。割と実用的だから、そのうちナルトにも貸してやろうと思って。」
「………欲しがりますかねぇ……」
 やって出来ないものではないだろうが、ナルトが欲しがっているのは忍術ばかりで、それ以外のものは、どこか疎かにしがちなところがある。
「あ…やっぱり、そう思います?」
 ため息をついて、イルカはそう言い、マフラーの仕上げに取りかかる。
「強い忍術が使えるようになりたいって言うんですけど、俺、そっちは詳しくないんですよねぇ。」
 世の人には、得意不得意が顕著な人というものがいて、イルカもその一人だった。もちろん、中忍として認められている以上、ある程度の技は抑えている。
 だが、どうにも、大掛かりな術は苦手らしい。その代わりと言うのか、イルカは大型の罠を仕掛ける事や、忍具を作る事を得意としている。
 それが何故かと不思議に思っていたのだが、この巻物を見てよくわかった。
 こんなものを、子どもの頃から見て過ごしていれば、基本が身に付くのも早い事だろう。基本さえきっちり抑えていれば、ある程度の変化をつける事は可能だ。
 もちろん、新しい物を作り上げるのには、才能に近いものが必要となるのは間違いなく、イルカには、そちらの勘があったという事なのだろうが。
「そのうち、大事だって事に気付きますよ。それまでに、腕の1本も失う事にならなければいいですけどね。」
 怪我をしてから気付くのは、ただの馬鹿である。
 ただ、勉強だとか訓練だとか言うものは、当人がどれだけ身を入れているのかが一番重要なもので、気付かなくては、やる気にならないと言うのが難しいところなのだ。
「……そうですよねぇ……」
 最悪、死ぬ間際に気付きました。というのも、ないわけではない。
 下忍でいる間なら、自分がついているのだから、そこまでひどい事にはならないだろうが、それを過ぎた後は、もう、どうしようもない。
 それまでに、満遍なく技を身につける必要性に気付いてくれればいいと、思ってはいるが。
「……できた。」
 満足そうにイルカが呟いたのを聞いて、そちらへ目を向けると、イルカの手元には、幾らか長いマフラーが出来上がっていた。
「割と、うまくできてると思いませんか?」
 それを貰う人間が、大変羨ましいと思います。そう心の中で呟く程には、それはいいできだった。一応、うえから下まで同じ幅で編まれているし、所々の模様も、歪んでいる事はない。
「お上手ですね。イルカ先生。」
 褒め言葉を口にすれば、イルカは嬉しそうに笑った。
「俺、そろそろ帰りますね。明日遅くなって、文句言われるのも面倒なんで。」
 時計を見れば、すっかり遅く、明日と言うよりも、今日の時刻だった。
「あ、すみません。引き止めてしまって。」
 そう言って、いつものように立ち上がって、イルカは玄関まで送ってくれる。
「お邪魔しました。」
 ぺこりと頭を下げると、ぽそりと首に暖かいものが落ちてきた。
「?」
 視界に入るのは、青いマフラー。今さっきまで、イルカが作っていたものだ。
「イルカ先生?」
「カカシ先生の、です。」
 笑って、イルカが言う。
「え…」
「さすがに、チョコを買うのは恥ずかしいし、毛糸を買いに行くのも、恥ずかしいので。」
 照れくさそうに鼻の頭を掻いて、イルカは言う。顔が赤くなっているのを見れば、それが嘘ではないのはよくわかって、俺は首にかかるマフラーの端を握る。
「だって、ナルトにやるって……」
「……それは…もう、渡ってるんですけど……」
「え…」
 じゃぁ、ナルトにマフラーは、バレンタインデーなんかとは全然関係なくて、でも、これはチョコじゃどうこうと言う事は、間違いなくそういう事なのだろうか。
「えと……俺……何にもないんですけど……」
 貰う事だけ考えていたというのも、都合のいい話だけれど、まさか貰えるなんて思っていなかったから、すっかり油断をしていた。
「いいですよ。お返し期待してますから。」
 にっこり笑った貰いもの王の表情が満足そうで、俺は苦笑を浮かべて頷いた。
「じゃ、とりあえず、お礼。」
 珍しく、イルカは抵抗もせず、その場でおとなしく立っていてくれた。

 
 
 


バレンタイン企画リクエスト作。瑶湖さんより。『イルカがナルトの為にマフラーを編んでいる所に嫉妬するカカシ、でも幸せそうな話』。

(2002.02.14)  




影形の里へ