あの頃、もし、泣き叫んで返してくれと訴えれば、その通りになると言うのならば、
どんなに嘲笑われようと、そうしただろうと思う。
自分にとって、それほどに彼らは大切で、それをなくす事など、
一度たりとも考えた事がなかったからだ。
なくす事を考えた事もなかった。だから、なくなって辛かった。取り戻したかった。
でも、取り戻せない事はわかっていた。
泣き叫んでも、それはもう返らないのだと知っていたから、そうする事は出来なかった。
聞き分けのいい子どもだったわけじゃない。諦めが早かっただけ。
今もし、泣き叫べばそれが戻るのだと言われても、それはもう出来ないだろうと思う。
それがなくなる事を知ってしまったし、なくなったことに納得してしまったからだ。
泣く事はできるかもしれない。でも、叫ぶ程の激情はもうどこかへ消えてしまった。
時間が過ぎれば、周りの人間が変われば、どんなに悲しかった事も忘れてしまえるのだと思うと、
それが少しだけ悲しかった。
欲しい物がある。
それはそこに置かれている。
手を伸ばしてつかみ取れとばかりに、そこでそれは待っている。
それなのに、怖くて手に取れない。
手がそれを掴まず、空を切ったのならばどうしようかと、手を伸ばす事が出来ない。
つかみ取ったそれが、手からこぼれ落ちたならどうしようかと、手を伸ばす事が出来ない。
それはそこにあるのに、怖くて手が伸ばせない。
諦めの早かった子どもは、臆病な大人になった。
なくす事に脅えて、手に入れる事をやめるようになった。
だからいつも、後手に回る。
多分それが、一番不様な姿だとも、気付きもせずに。
(2002.03.03)