愛の言葉



 穏やかな日差しの溢れるある午後のひと時、滅多にない突然の来客の持ち込んだ品を、その家の執事は困惑と共に主の下へと運んでいった。
「若、北の方の執事が封書を持って参っておりますが。」
 この家の主は、執事が幼い頃から養育係としてついてきた人物で、彼がまだ保護者の下にいた頃からの癖が抜けない事と、呼び方を替えてみたところ、主が自分を呼ばれていることに気付かなかったことから、未だに執事は主を『若』と呼んでいる。現在二十五歳。成人と共に分家を許され、この家へ移り住んでいる。主に仕えているのは執事とその妻であるメイドが一人。貴族と呼ばれる地位にはいるが、貴族報酬も然程ではなく、と言って、外へ働きに出ることも出来ない身の上である主は、二人の使用人のために、株式投資などで生計を立てている次第。人付き合いもあまり好まない主は、当然、日々の大半は自室で過ごしていることが多い。
 居間で本を読みながら茶を飲んでいたこの家の主、ゾロは、執事の声に顔を上げ、差し出された封書を受け取った。
「わざわざ執事が?」
 北の方とはこの国の貴族の中で最も高貴と言われる家の主の事で、家名を呼ぶより、その屋敷の立つ土地の方向を呼んで示すのが通例となっている。現在の当主はサンジという、ゾロと同年の年若い青年である。
 サンジとは先日行なわれたパーティーで顔を合わせて話はしたが、わざわざ執事が手紙を運んで来るような間柄ではない。戸惑った風な執事と同じように、ゾロも首を傾げて問い返した。
「はい。お返事を今頂きたいと、待っております。」
 差し出されたペーパーナイフで封書を開け、中の手紙を取り出せば、薄水色の便せんに濃い青のインクで文字が書かれている。
「どうなさいました?」
 内容を今一つはっきりと理解できずに固まったゾロに、執事が戸惑うように声を掛けてくる。
「北の方に男の恋人がいるという話は聞いた事はあるか?」
 ゾロはこの国における貴族制度の端に掛かる程度の家に産まれたが、その家を継ぐわけでもなく、あまり社交的ではない性質から、パーティーなどに顔を出す事も稀で、社交界の噂話などにも疎い。
 先日パーティーに出掛けたのは、父親の馴染みの深い相手の誕生日を祝うものであったため、亡き父の代わりに是非と誘われ、断るに断れなかった為だ。
 おかげで珍しがった人々から声を掛けられはしたが、あまり楽しいとは感じなかった。けれど確かに、彼と話をしている間は、随分気楽であったのは思い出せる。
「そのような噂は耳にしませんが…」
 ロロノア家の当主である祖父の元から離れ、新しい家で暮らしはじめるゾロを心配して着いてきた執事は、己の主が何か面倒毎に巻き込まれたのではないかと、必死に自分の記憶を洗い直したが、今までに一度もそんな噂は聞いた事はないと答えるしかなかった。


 北の方と呼ばれる当主サンジは、今から五年前、二十歳で家を継いでいる。しかし、それ以前から社交的な性格で社交界では評判もよく、家柄も申し分ない上、恋人の数は両の手足を使っても数え切れないと言われている存在である。
 そんな彼の悪い評判を探そうとしてもそれは難しく、唯一、と言っても差し支えないだろうという評判は、同性に対して大層評価が厳しく、扱いが粗雑である。といったところだろう。
 だからこそ、二人はこの事態が掴み切れないのである。
「先日のパーティーで何かございましたか?」
 ロロノア家は貴族として続いてはいるが、元を辿ると士族からの成り上がりである。その点を快く思わない人間もいるというのは、主も使用人達もよく知るところである。
 だが、この国きっての貴族である北の方が、そのような事で難くせをつける事などは考えられない。ならば愛想のない主が、何か間違いでも起こしたのではないかと、執事は不安に駆られる。
 彼にとっては孫とも子とも思える、大切な若君であるが、主はぱっと見て大変人相が悪い。パーティーに出かける時は尚更で、主に浮いた話の一つもないのは、それを恐れられているからに違いないと、彼は思っていたが、そんな様子に、不快を感じた故の遊びとも限らない。
「いや、随分親しく話をさせて頂いたが。」
 主賓からの紹介で、仕方なしに気乗りのしない相手と話をしている。という風ではなかったとゾロは思う。
 ならば、この手紙の内容は、まさに文字通りのものと受け取っていいのかと、暫し思案する。
「単なる食事のお誘いだろう。ご丁寧な事だな。」
 流石、あの家に育たれると違うものだ。と感心したように呟く主を眺め、執事は戸惑わずにはいられない。
 主は知らないようだが、相手は男と言葉を交わすなど時間の無駄だと言い放った事があるという噂の相手なのだ。相手の品性を疑うのは誉められた事ではないが、主を思うのが執事の性でもある。
「それには何と?」
「三日後に暇があったら、食事をご一緒したいと。」
 大雑把に主旨を取り上げて、断る理由は見つからないとゾロは判断する。
 執事はやたらと心配そうだが、嫌がらせの一環でこんな事をするような人間には見えなかったと思う自分を信用しようと思う。少なくとも、自分はもう一度彼と会って話をする事を嫌だとは思わない。答えを決める理由はそれで充分だと思った。
「返事を書いてくるから、あちらの執事に椅子でも勧めておいてくれ。」
 そう言いおいて、ゾロは書斎へと足を向けた。




  本物の貴族となると、やる事なす事桁が違うものだな。とゾロが思ったのは、先日のパーティーの前夜に北の一族の話を聞かされた時の事だ。
 ゾロの実家は士族上がりの貴族だが、父の知人であったミホークが当主であるジュラキュール家は、代々の貴族だった。屋敷には広大な庭が付き、一般市民が高層建築の狭い家に暮らしているのとは大違いである。
 そんな貴族達の中でも最上位に立つのが方角で呼ばれる四つの家の人々である。北の方、北の家、と呼ばれる彼の家は、元々はこの国の北の四分の一を治めていた。国王が国の中心部を四分の一持っている事と比べれば、その力の強さが見えるというものである。その後、国王の力を強める為にと、その領地の二割程を自ら新興貴族に分け与えたという。ゾロの実家の土地はそれにあたり、ロロノア家はその感謝の念を語り継いできている。
 この、元々の居住地が無い。というのは、貴族の中で歴然とした差であり、新興貴族より生活の貧しい貴族たちなどは、それをネタに相手を蔑む言葉を口にしたりする事もある。勿論、大貴族ともなればそんな小さな事にこだわりすら見せないものだというのは、ミホークの行動を見ればわかる事だ。
 その後、貴族たちの支配を受けていた人々が、一般市民という名で呼ばれ、土地の所有を許されるようになった時、当時の北の方はその耕作地を無償で与えたと言う。他の土地では幾許かの土地代を求めたとも言い、その行動により、余程王家よりも市民からも尊敬を集める家である。
 そんな家の現当主は、大変な色好みらしい。という話は世間の常識ともなっている為、いくら噂話に疎いとは言え、ゾロも聞き知っていたが、詳しい話までは聞いた事がなく、その時初めて、はっきりとした内容を聞かされたのである。
 何でも彼は、パーティーで知り合った女性とのデートの最中に贈り物をする事は当然で、その日一日で服や靴、鞄にアクセサリーまで買ってもらったと言う女性もいるらしい。
 その上で、食事やお茶の時間なども含まれるわけだが、ある女性はレストランを貸切って、二人だけで食事をした事もあると言う。
 どうやら、相手によって重きを置く部分を変えているらしいという事だが、それに不満を漏らす女性はいないという事で、相当に気を配って相手を満足させようという意識が見えるのだろう。
 そんな事を月に何度か繰り返すというから、ただ事ではないのだが、何より最もただ事ではないと思う理由は、そんなに相手に尽くしても、それは彼にとって一時の楽しみに過ぎず、将来を約束する為の行動ではないのだという事だ。
 金の有り余った人間でなければそんな事はできないと驚嘆したゾロだが、果たしてそれが金の使い方を知らないだけなのか、人に与える事で自分の満足を得る性格なのかは、わかるはずもない事だった。
 ふと先日のパーティーで交わした話を思い出して、ゾロは今し方封をした手紙を眺めた。
 それは、常ならばパーティーで出会った貴族の娘を相手にしているサンジが、その貴族の女性が連れていた一般市民の女性をデートに誘った時の話だった。



「最初は、何かを買ってあげるって言っても凄く遠慮するし、何かをあげれば凄く吃驚して恐縮したり、そんなのが新鮮だったんだけどね。」
 カクテルグラスを片手に、賑やかな人波を眺めながらサンジはそんな話をし始めた。
 その日は主賓がミホークであった為、会場にいるのは彼に近い年齢の人々が多かったが、その娘、息子は勿論同席していて、華やかさと穏やかさに、幾らかの賑やかしさが混ざり込んで、ゾロにとってもとても心地いいパーティーだった。そんな中で聞くサンジの声は、柔らかく心地よいものだった。
「でも、全くそんな俺に慣れてくれなくてね。何度か会ったんだけど、やっぱり違うのかな、と思って。」
 凄く綺麗で、物をはっきり言う、とてもいい人だったんだけれど。とサンジは残念そうに笑った。
「貴族でない人間が、いきなり初めてのデートで高価な物を贈られたら、そりゃ戸惑うだろう。」
 ゾロは貴族階級の中でも下の方にいる為、一般市民の通う大学に通っていたのだが、貴族の中では下だというゾロとでも、やはり生活レベルが違うのは実感したのだ。それが、最上級の貴族の感覚と比べたなら、どう頑張ってもそれに馴染むのは無理だろうし、慣れてしまえばその先が大変だろうと思う。
「そう思って、俺はバッグを買ってあげただけなんだよ?」
 今、女の子たちに凄く人気のあるバッグがあるんだ。とサンジは言い、ため息をつく。
「一般市民のデートってのは、花束一つ持ってきただけでも、充分な贈り物になるんだよ。」
 サンジが女の子たちに人気がある。と言ったなら、それは貴族の女性陣の事だろう。
 ゾロの家で家事を賄ってくれているメイドが、先日欲しいと言っているのを聞いて調べた事があるが、鞄一つに百万に近い値が付く物があると知って、ゾロは相当驚いたものだ。
 サンジがわざわざ贈り物に選んだのだとしたら、それに近い物だったに違いない。それを嬉々として受け取る事のなかった人となれば、サンジの言うように、慎み深いとてもいい人だったんだろうとゾロも思う。
 けれど、そんな人ならば尚更、慣れてくれる事はないだろうとも思うし、慣れてしまったその人は、もう元のその人ではないのではないかと思う。。
「野の花は、野に咲いたまま、ってやつかな。」
 使い古された例えをして、サンジは苦笑を浮かべた。
「ちょっと、本気になれるかも、って思ったんだけどね…」
 笑ったサンジは、本当にどこか寂し気で、ゾロはそれにかける言葉を持たなかった。
 

 
 


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