不思議な生き物



「じいちゃん、サンジって、変だと思う?」
 向いで食事をしている祖父に問いかけると、祖父は訝し気な表情を浮かべて顔をあげた。
 いつもならサンジを含めて3人での食事も、今日は何かする事があるとかで、サンジは帰っていないから祖父と二人きりだ。
 最近のサンジは店を閉めてからも、残って試作などをしているらしい。時々、小さなケーキなどを持って帰ってきて、食べさせてくれる事もある。
「変てのは、どういうもんだ。」
「……頭の回り方、おかしいって感じ。」
 そう答えると、祖父は暫く考え込むようにしてから、小さくため息をついた。
「あれは、昔ッから、あんなだったな。」
 思い込んだら、外が何言ったって、聞き入れやしねぇ。と、祖父は答えをくれた。
「そうなんだ…」
 俺は、サンジは変だと思う。絶対、どこかおかしいんだと信じている。というか、信じたい。
 この家に来た時、俺は結構小さかった。子供だったという意味じゃなくて、背が低いという事。
 まともな飯を食ってなかったからだと、祖父は言ったが、それもあったかもしれないと思う程に、俺はこの家に貰われてきてから背が伸びた。そういう時期にいい家に貰われてきたって事かもしれないけど。
 まぁ、それはよくて、この家に来た頃の俺に、サンジはよく『可愛い』と言った。それは、小さい生き物に向けて言われている言葉だと思って、俺はあんまり気にしない事に決めていた。屈辱的ではあったけれど、俺がサンジよりずっと小さいのは事実で、ぎゃーぎゃー抗議したって、サンジは笑って俺をぎゅうぎゅう締め上げるのだから、段々、抗議も面倒になったのだ。
 でも、俺だってあれから6年もたって随分背も伸びた。まだ、サンジにはかなわないけど、少なくとも、『可愛い』なんて言われる程小さくない。なのに、サンジはまだ、俺を『可愛い』と言う。
 これが、頭おかしいと思わなくてどうするって言うんだ。
 そう言われるのはもう慣れてるけど、慣れてるからって納得いく事じゃなくて、赤い顔してぎゅうぎゅう締め上げられたって、どうすりゃいいんだって気分だ。しかも、その力はかなり強くて、鳩尾に拳くれてやってやっと緩む拘束だ。あまりの事に、誰にも相談なんてできない。
 これで、サンジがおかしくないってなら、俺の感覚がおかしいって事だ。絶対、そんな事ないと俺は信じたい。サンジがおかしいに違いないと思いたい。
「あいつは、思い込みが激しい上に、それが他から離れてるって事に気付かねぇとこがある。おめでたく勘違いしてるならいいが、悪い方に思い込むと、手がつけられねぇガキだった。」
「……ふぅん…」
 ゾロがサンジに会った時、サンジは既に大人に見えていたから、そのサンジに子供の頃があったなんて聞くと、少し違和感を感じてしまう。今目の前で食事をしている祖父にも、子供の頃があったのだという事の方が、ずっと想像がつかないけれど。
「ありゃ、何の時だったか忘れたが、自分が不治の病だと思い込んだ時があってな…」
 しみじみと祖父が話出した時、キッチンのドアが、大きな音を立てた。
「クソジジィ、何の話をしてやがる。」
 青筋立てたサンジが、子供なら泣き出すような目つきで、祖父を睨み付けてそう言い放つのを、俺はため息まじりに眺めた。
「お前がどんな馬鹿なガキだったかって話だ。」
「いらねぇ事教えるんじゃねぇよ。」
「こいつが、お前はおかしくねぇかって聞くから、おかしいところを教えてやってたんじゃねぇか。お前にあれこれ口出しされる筋合いじゃねぇな。」
 祖父の言葉は、サンジの怒りを吹き飛ばすだけの力を持っていた。こういうサンジの扱いの上手さは、祖父の右に出るものなんてないと俺は思う。
「ゾロ、俺がおかしいなんて思ってるの!?」
 サンジは、世界の終わりが来たような、なんとも表現し難い、絶望を含んだ不思議な顔で、俺の前で膝をついた。
 こういうところも変だって、俺は思う。兄弟なんだし、お兄ちゃんって、ちょっと変だよね。くらいの会話なんて、普通にやり過ごされて当然の話だろう。なのにどうして、こんなに派手なリアクションをとってくれるんだろう。世の中の兄弟って、こんなものじゃないだろうと思うんだけど、俺が知らないだけで、こうなんだろうか。
「思う。」
 嘘は良くない事です。って教えられて育ったからじゃないけど、こういう場面でそれを否定する事はできなかった。そう答えれば、サンジはあっという間に機嫌を回復して、今さっき放り出されて床でひしゃげているケーキの代わりを用意してくれるだろうとは思うんだけど。
「なんで、俺のどこが変だって言うの?」
 弟の膝に縋ってそんな事聞くところが、凄く変だと思うんだよ。とは流石に言えなくて、なんて言おうかと考えていたら、テーブルの向こう側の祖父が席を立つ音が耳に入った。
「茶、煎れてくれ。」
「あ、うん。」
 居間に移動する祖父からの注文に頷くと、サンジは慌てたように立ち上がって俺の肩を押さえて、椅子の上に押さえ付ける。
「ゾロは、危ないから、ダメ。」
「………お茶くらい、煎れられる。」
 茶っ葉焙じてるの誰だと思ってんだ。と言いかけて口を噤む。俺をキッチンに入れたがらないサンジがそんな事を聞いたら、何を言い出すかしれたものじゃない。だから、毎日サンジが帰ってこないうちに、俺は茶っ葉の用意をしなくちゃならないのだ。
 包丁は危ないとか、コンロは火を使うから危ないとか、サンジは、俺を何歳だと思ってるのか、時々聞いてみたくなるくらいだ。今時、小学生でも調理実習で料理を習うというのに。
「じゃ、おかしな兄貴の代わりに、その床掃除しとけ。」
 祖父のその言葉に、サンジは自分の後ろを振り返って、ひしゃげたケーキの箱に、悲鳴をあげた。
「試作品が!」
 床にガクリと膝をついたサンジの後頭部に声を掛ける。
「どっちやんの?」
「………お茶、やって。」
 ゾロに床掃除なんてさせられるもんか!と叫ぶサンジの姿に、ため息がもれる。
 この不思議な存在は、俺の事をなんだと思っているんだろうか。
「サンジはいるの?」
「いただきます。」
 ひしゃげたケーキをまだ見つめたままのサンジに、せめて美味しいお茶でも入れてやろう。
 サンジは変だけれど、サンジの作るケーキは美味しい。じいちゃんの作る料理の方がずっと美味しいけど、それを言うと、サンジは凄く悲しそうな顔をするから、暫くは秘密だ。
「明日もそれ、作ってくる?」
「………食べたい?」
 床に崩れたままのサンジが、くるりと俺を振り返って問い掛ける。その表情が、物凄く嬉しそうなのは、もう、気にしない事にするしかない。サンジは変なんだから、仕方ないのだ。
「食べたい。」
「じゃ、作ってくるね。」
 弟の俺に、そんな嬉しそうな顔をするなら、日曜日になると遊びに出かける彼女と会ってる時、サンジはどんな顔をしてるんだろう。こんな顔してても、かっこいいって、思うんだろうか。
 可愛いゾロがそう言うなら。とちょっと赤くなった顔で言うサンジは、やっぱり変だと、俺は思った。

 
 

ゾロがぎゅうぎゅう締め上げられてると思ってるのは、サンジから見ると、抱き締めてるって事になるのですが、可愛がって抱き締めてる相手から、鳩尾に一発喰らって撃沈するサンジは、相当かっこ悪いものでしょう。多分ゾロは、自分が可愛がられている意識はない。プロレス技の一種だと思ってたりはしないだろうけど。

(2004.1.29)



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