それを見つけた時、とても驚いて、心臓がバクバク言い始めたのを、サンジはよく覚えている。
元々暮らしているべき世界から、人間の暮らす世界にやって来たのは、前のお役目がいなくなった為だ。
彼等妖精は、人間とは別の世界に暮らしているが、世界が繋がっている以上、全く関係なく過ごしていられる世界ではなかった。
人間の世界で溜った澱が力を持って形を持つと、彼等は妖精の世界へ侵入しようとする。
人間の世界と妖精の世界には、固定の出入り口があり、それを狙ってくるのだ。
力を持った澱を、妖精の世界では魔物と呼ぶ。それらは大体が黒く、赤い目をしている。
それを、人間の世界で祓う仕事をするのが、『お役目』と呼ばれる、限られた能力を持った妖精だ。
サンジは、先代のお役目がいなくなった事で選定され、蝶の羽根の妖精の代表として、彼等が『扉』と呼ぶ出入り口の一つを任される事になった。
妖精には種類が幾つかあり、お役目が選出されるのは、羽根のある妖精だけで、羽根のない妖精は、戦闘能力を持たない。そして、一つの扉を守るのは、サンジの属する蝶の羽根の妖精が一人と、もう一つの種族の蜻蛉の羽根の妖精が一人の、計二人だ。
それなのに、サンジは自分のパートナーを知らずに、暫くの時間を過ごした。探すにも、その場を離れるわけにもいかなかったからだ。
そんなある日、彼を見つけたのだ。
最初、もしかして、死んでしまっているのかと思った。
黒いワンピースと蜻蛉の羽根。緑色の腹巻きと、そこに差した刀が三本。ぴくりとも動かなかったその姿に、サンジは慌てて近寄って、その息を確かめた。
「大丈夫か?」
心臓はしっかり動いていて、サンジが揺さぶると、それは必死の様子で目を開けた。
「………ぁ…」
サンジを認識して、何かを伝えようとする彼の金色の目は、吸い込まれるかと思うような、不思議な力を持っていた。
「大丈夫か?」
心臓がバクバクと派手な音を立て始めて、顔が赤くなってくるのがわかった。これがそうだと、間違いないと思った。これが、俺のパートナーだと、サンジは確信したのだ。
「……腹……減った……」
その掠れた声に、サンジは慌ててその力のない体を抱え上げると、普段のねぐらにしている場所へと、飛び立った。
「感謝するぜ、先代様。」
こんなに可愛いのが手に入るなんて、お役目名利に尽きるってもんだぜ。と、くったりして自分に全て預けきっている体を強く抱き締めて、サンジは思った。
可愛い女の子だったらいいのに、なんて思っていたけれど、あんなに綺麗な金色の目なんて、他で見た事がない。凄くキラキラしていて、飴色で、舐めたら甘そうな、美味しそうな目だった。起きたら、舐めさせてくれないだろうかと、サンジは思った。
ねぐらに帰り着き、集めてきた草で作ったベッドに抱えてきた体を下ろしてやり、サンジは急いで食事の用意をはじめた。
妖精の世界にいた頃は、料理人として少々名の知れた存在だったサンジは、人間の世界に来てから、人間の食べ物に興味を持った。妖精が食べても問題の無さそうなものを選んで、人間のするように調理してみると、なかなか面白いものができた。パートナーが見付かった時には、食べさせてやろうと思っていたのだ。
「……ぅ……」
食事の用意が整う頃になって、匂いにつられたのか、眠っていた妖精が目を覚ました。
「起きたか? どこか、怪我は?」
「……ない。……お前は?」
「俺はサンジ。お前のパートナーだと思うよ。」
そう答えると、彼は暫くサンジを眺めていてから、こっくりと頷いた。
「俺はゾロ。よろしく頼む。」
「こちらこそ。」
ゾロはにっこり笑ったサンジを眺めて首を傾げてから、鼻をひくつかせた。
「腹減ってるんだよな。もうすぐで出来上がるからな。」
まず、これ飲んでろ。と、サンジは小さなカップに温かいスープを入れてゾロに手渡した。
「熱いからな。気をつけろよ。」
サンジの言葉に、ゾロはしっかりと頷き、そっとカップに口をつける。両手でカップを持っている姿が可愛らしくて、サンジは暫くその姿を眺めて幸せな気分に浸り、それから慌てて料理の仕上げに取りかかった。
「ゾロ、嫌いなものは?」
「……辛いのはダメだ。」
「わかった。」
あんなに甘そうな目なんだから、辛いのが嫌いだって、わかる気がすると、サンジは考え、後からお願いをしなくてはと、心に決めた。
これからずっと一緒なのだから、仲良く過ごしたいと、サンジは思った。
「ゾロ、美味しい?」
「うまい。」
サンジの作った料理を食べて、ゾロは満足そうに笑う。
昨日は二人で少し固まっていた澱を見つけて、綺麗に片付けた。仕事をした後は、ご飯も美味しい。
「昨日祓ったから、今日はお休みだな。」
「何処へ行く?」
お役目の仕事をしない日は、二人で綺麗なところへ出かける事にしていた。
人間の世界は、大きさも何もかも、妖精であるサンジとゾロには合わなかったが、時々驚く程綺麗な場所があって、最近の二人のお気に入りは、桜の花の咲く公園だ。
人間が食べ物を持って遊びに来ていたりするのを見て、二人も同じようにしてみたら、とても楽しかったのだ。
「そろそろ、桜も終わりだろう。終わる前に、もう一度行こう。」
「そうだな。」
人間の持ってきている食べ物をちょっと頂いて、二人で桜の木の上でのんびりするのは、本当に楽しい事だった。昼寝をするのも、とても幸せな気分だ。
「俺は、あの透明の酒が好きだな。」
「持ってきてる人がいるといいな。」
人がいないといけないから、お弁当も用意しような。と、サンジはいそいそと準備に取りかかり、ゾロは朝ご飯を食べながら、サンジが動き回るのを眺める。
蝶の羽根の妖精は、軽薄で信用ならない、なんて言う大人達がいたけれど、サンジは全然違うと、ゾロは思う。
最初に倒れていたゾロをここまで運んでくれて、食事を作ってくれて、それ以来ずっと、それは続いている。
こちらに来てすぐ、一人で食べるものすら見つけられなかったゾロは、サンジにとても感謝している。サンジがいなかったら、自分はきっと、あのまま倒れて、次のお役目に仕事をしてもらわなくてはいけなくなっていたに違いない。
食事を作るのはサンジにしかできない事だから、ゾロはベッドを綺麗にしたり、この場所を整えるのを手伝うけれど、やっぱり、食事を用意する事が、一番大変な事のような気がする。それを、サンジは少しも文句なんて言わないし、ゾロに恩を売ろうなんて事もしない。
サンジが同じお役目でよかったと、ゾロは思う。蝶羽根妖精らしく、サンジは蹴りで魔物を祓うけれど、その力だって、かなり強いと思う。サンジは本当に頼りになると、ゾロは思っていた。
「ゾロ、どう? 美味しそう?」
目の前に差し出された弁当を見て、ゾロはこっくりと頷いた。
「じゃ、行こうか。」
「おう。」
弁当に蓋をして、鞄に入れるサンジから離れて、ゾロはベッドの脇に掛けてあるロープを持ってくる。
ゾロが迷子になるからと、サンジが作った蜘蛛の糸のロープだ。ゾロの右手と、サンジの左手を繋いで、二人ではぐれたりしないように飛んでいくのだ。
いつものように、ゾロがサンジの手首に巻いた後に、サンジがゾロの手首に反対の端を括って、それを俯き加減でじっと眺めているゾロの目を顔を近付けてぺろりと舐める。
「サンジ、お前、」
「だって、美味しそうだからさ。」
最初、サンジに舐めてもいいかと聞かれた時は、ゾロは本当に驚いた。そんな事、普通したりしない。蝶の羽根の妖精の習性なんだろうかと思ったけれど、そんなわけではないようだった。
サンジは時々、ゾロのどこかを舐める。今のように目である事が多いけれど、手だったり、顔だったり、色々だ。
「………」
「俺、ゾロが大好きなんだからさ。」
嬉しそうに笑ってそう言われると、どうしていいかわからなくて、ゾロは顔を赤くしながら、ねぐらの入口である壁の隙間へ足を向ける。
「ゾロは?」
「言うか、馬鹿!」
後ろから追い掛けてくるサンジの質問に、ゾロはぽかりとその頭を叩いて、そう言い放った。
ぱかりと目を開けて、目に映る天井を時間を掛けて認識する。
最近やっと見慣れた天井は、嘗て暮らしていた場所とは違うものだ。
そして、夢の中に見た、今は傍にいない存在を思い浮かべる。
「……早く探さねぇと…」
妖精さんとコックさん第3話。
妖精さんの過去と、妖精さんが人間の世界にいる理由。
こんな話にさえ、あれこれと設定を盛り込む私は何なんだろうか。
妖精さん、実は結構、愛想がない口をきく性格らしい。
コックさんは影も形もない。(2004.4.29)