『傷口は塞がった。回復が早いって、医者に言われた。』
短い手紙を読んで、サンジはほっと息を付いた。
一日に3回程送られてくるその手紙は、今は傍にいない、お役目の片割れが書いたものだ。
人間の世界と妖精の世界は時間の流れが違い、彼が一日に一度送ってくる報告の手紙は、サンジの元には一日に3度届く事になる。
どれもあまり代わり映えのしない内容ではあるけれど、それはサンジにとって今一番嬉しい事だった。
彼が、一時的に妖精の世界に戻る事になった理由を思い出すと、サンジは酷く落ち着かなくなる。
真っ赤な血を吹き出して吹き飛ばされた姿。トランスして全身血塗れでも金色の目がギラギラしていた事。楽しくて仕方がないという様子で笑いながら剣を振っていた姿。跡形もなく消え去った黒い魔物。
羽根持ちの妖精が、トランスして姿を変え、能力を飛躍的に上げる事があるのは聞いていた。だから、お役目に就くのは羽根持ちの妖精と決まっているのだ。
だけれど、実際にその姿を見た事はなく、実際に起こる事なのかを、サンジは疑っていた。自分に起きてもおかしくない事を、まるで知らないでいるのだから。
戦いが終わり、ぱたりと倒れ伏して元の丸みを帯びた体に戻った彼は、命に関わるのではないかと思う程の大きな怪我を負っていて、サンジは慌てて荒らされた住処の中へ彼を運び、できる限りの手当てをした。
苦し気に息をする姿を見て、命に危険が起きた時に、トランスは起きるのだろうとサンジは答えをみつけ、彼を妖精の世界へ帰す事を考えた。
このまま、彼が死んでしまうのだけは嫌だった。
お役目の代替わりは、お役目が死んだ時に行なわれる。
片方だけが入れ替わるという事はなく、必ず一組が揃って替わる為、ゾロが妖精の世界へ帰れば、サンジも帰らねばならないとは思ったけれど、お役目を途中で終わらせるよりも、その方がいいと思った。
怪我で朦朧としていた彼の意識がはっきりした時、サンジはお役目を返上する事を提案した。
ここでは、充分な手当てができないからという理由と、自分ももうあんな目にはあいたくない気持ちを告げた。
彼はすぐに反対した。お役目は名誉な仕事で、彼はそれに誇りを持っていたから、当然の反応だと思った。
サンジは必死にそれを説得したけれど、彼はお役目返上は絶対に受け入れず、族長に手紙を書くと言い出した。サンジが、本当は二人でお役目を続けたいのだって、彼はちゃんとわかっていてくれたのだ。
大きな魔物が生まれて、それと戦った事。かなりの範囲の澱を吸い取っていたらしく、近くには殆ど澱が残ってない事。怪我を治す必要があって、妖精の世界へ一時的に戻る事はできないかという事。
サンジも一緒になって、その手紙の内容を考えた。彼が、まだここで一緒にお役目を続けたいのだと言ってくれたのが、とても嬉しかった。
手紙は王のところまで届けられたらしく、暫くして許可の返事が来た時は、本当に嬉しかった。
扉まで彼を見送って、その姿が消えてしまうのを見た時は、驚く程、空虚感が押し寄せてきて、それほど長い時間を過ごしていたわけではないのに、こんなに無くしたくないと思うものだったのだと実感した。
だから、その彼が、こうしてちゃんと手紙をくれるのが嬉しい。
『もう少し、頼む。』
サンジが一人でお役目をこなさなくてはいけない事を、彼はずっと気にかけていて、周りのお役目に頼んで範囲をカバーしてもらっている事もサンジは伝えた。
それでも彼は、こうして必ず一言添えてくるから、サンジは毎日、待っていると返事を書くのだ。
「忘れんなよ。扉を出て、青いビルの方に向かって、三つ目の家だぞ。」
荒らされてしまった住処を変えて、新しい住処を作った頃に、妖精の世界へ帰る許可が出て、まだ場所を覚えきらないゾロに、サンジはそう言って、復唱するようにと言った。
その時はいう事を聞かなかったけれど、ゾロは毎日その言葉を繰り返して、ちゃんと間違えずにそこへ帰る気でいた。そこには、サンジが待っているのだと思って。
全快とは言えないまでも、充分に治ったと踏んで、ゾロは扉をくぐった。
少しでも早く戻って、サンジと二人でちゃんとお役目として働きたいと思ったし、人間の世界ですっかり慣れてしまった、サンジの作った食事が食べたいという気持ちもあった。
言われた通り、扉を出て、青いビルの方に向かって三つ目の家は、すぐにわかった。
綺麗な白い壁に蔦が絡んだ、周囲の家とは少し違った造りで、記憶にあった新しい住処とは違っていたけれど、ゾロはその周辺を探しに行くのを躊躇った。
サンジの言い分に依ると、ゾロは方向音痴で、迷子体質らしい。行った先から正しく帰ってこられないと言う。それでも、ちゃんと戻って来られているとゾロは思っているのだが、その余分な時間の間に、サンジがやって来たら困ると思ったのだ。
その家には、少しひんやりした部屋が幾つかあって、食べるものが沢山あった。それも、ゾロがその場を動くのを躊躇った理由の一つだった。
ゾロの好きだった透明の飲み物はなかったけれど、葡萄色の飲み物は沢山あって、少しずつくすねても、あまり気付かれないような気もしたから、少しずつ貰ってみたりした。
そんなある日、その家を探検していたゾロは、サンジを見つけた。
人間が、『サンジ』という言葉を口にするのを聞いて、ゾロは驚いた。そして、その名前で呼ばれる人を見て、更に驚いた。
それは、ゾロの知っているサンジにそっくりな人間で、やっぱり、自分は帰ってくる場所を間違えたわけではないかもしれないと思った。
そのサンジが、自分を見つけた時は驚いたけれど、やっぱり、サンジなんだと思った。元妖精だから、妖精の自分に気付いて、見たり触ったりする事ができるのだと思った。
だから、サンジについていったけれど、サンジはゾロの事を知らなかった。
やっぱり、勘違いだったのかと思ったり、間違いないと思ったり、答えは出ないけれど、サンジの傍にはいようと思った。もしかしたら、本当にサンジで、傍にいたら思い出すかもしれないと思ったから。
そう答えを出すと、サンジが人間になってしまっているのならば、お役目の仕事が滞っているのだという事に気付いて、ゾロは慌ててお役目を開始する事に決めた。
サンジについて店につくと、糸巻きの端を店の壁のフックに括って、その糸が届く範囲を覚える事から始めた。それから、記憶にある風景とあまり変わっていない事を確認して、糸無しで外を動くようになった。
澱は殆ど見当たらず、時折小さなものを見つけて祓ったが、怪我の原因である、大きな魔物が出た時も、こんな状況だったと、不安に感じるところもあった。
「………サンジ…」
サンジが人間になってしまって、お役目を辞めてしまっているのならば、自分はもう、お役目ではないのだろうかと、ふとゾロは思って、悲しくなった。
お役目に選ばれるのは、とても名誉な事だ。命の危険もあるけれど、多くがなれるものでもないし、ゾロはずっと憧れてきた。
サンジに返上を持ちかけられた時も、絶対に嫌だと思った。お役目の仕事の中で死んでもいいとさえ思っていたから、到底聞き入れられなかった。
だけれど、サンジはもしかして、本当に、お役目を辞めたかったのではないかと思うと、悲しい気持ちになった。
待っていると言ってくれたのは、本心ではなかったのかもしれないと思うと、とても苦しい気がした。
人間のサンジは料理も上手で、とても優しいし、色んなところへ連れていってくれるけれど、やっぱり、妖精のサンジがいいと思う。
二人で手を繋いで出かけるのも、ゾロがサンジの作った料理を食べるのをじっと見ているのも、サンジがふいにゾロの目を舐めるのだって、好きだったのだと、最近思うようになったから。
「……戻るか……」
今日も澱は殆ど見付からなくて、ゾロは小さく呟いて飛び上がった。
妖精のサンジが一番好きだけれど、でも、人間のサンジも、自分を待っていてくれる事を、ゾロはちゃんと知っていた。
最近、見逃したはずの澱が祓われている事があると気付いたサンジは、周辺のお役目達にそれを確認したが、彼等が最近はサンジのカバーにあまり時間を割いていられなくなっている事を聞いて、首を傾げていた。
ある日、彼から手紙が届かなくなり、何が起きたかと思ったサンジは、手紙を自分から送った。
そして、彼がこちらへ戻ってきている事を知ったのだ。それなのに、彼は新しい住処に姿を見せず、サンジはまた行き倒れていないかと不安になって、周辺を必死に探した。
正直なところ、お役目の仕事よりも、彼を探す事に必死だった。探して探して、周辺のお役目にも問い合わせ、別の扉の近くに同じ条件の建物がないかも探した。
『扉を出て、赤いビルに向かって、三つ目の家。』
何度も復唱しろと言ったのに、彼は怒ったようにそれを拒否し、覚えているかが不安で、扉まで迎えに行く気でいたのに、それもできず、結局、何の情報も得られないまま、時間が過ぎていた。
「……どこにいるんだよ…」
怪我だって、完全に治ったわけではないと聞かされて、心配で仕方がない。
これでまた、魔物に出会ったりしたら、サンジはどうする事もできないのだという事が、怖かった。
前の時も、結局、サンジは何もできなかった。それほどに、あの時は普段の彼とは違っていて、割り込む事などできないような気迫があったのだ。
今は、傍にいないから何もできない。見ているしかできない事も辛いけれど、傍にもいられないのはもっと嫌だと思う。それで、彼をなくしてしまうのはもっと嫌だ。
それでも、戻ってきた彼に呆れられたくなくて、ちゃんとお役目の仕事もこなしたけれど、頭の中から、彼の事が消えてしまう事は一度もなかった。
「…ゾロ……」
飴色の大きな目とか、緑のふわふわの髪とか、美味しいものを食べて幸せそうに笑ってる顔とか、見たくて、見たくて仕方がない。
息を一つ吐いて、空を見上げたサンジは、視界の端に捉えたものに息を飲んだ。
「ゾロ!」
叫んで慌ててその姿を追い掛ける。
黒いワンピース、透明の蜻蛉の羽根。緑色の頭は、間違えるはずのない、大好きなゾロだった。
妖精さんたちは、相当な相思相愛ぶりだ。
人間のサンジさんは、元から人間でした。という事でした。
妖精のサンジさんが手を舐めたり顔を舐めたりするのは、多分、キスの代わりなんだと思われます。
動揺のあまり、文章がおかしい気がしますが、どう直せば良いのかわかりません。後から手直し入るかも…(2004.6.13)