理由



「生きている人間の大半は、死にたいと思って生きていない。生きたいと思って生きているのかと言われれば、そうとは言い切れない程、殆どの人間は、自分の生き死になど意識しないままにただ生きている。」
 彼は、静かにそう話しはじめた。
「人殺しがいけないと言うのは何故かと言うのならば、それは、その大半の人間の意志に依る。死にたいと思っていないのに、死ななければいけないのが、人殺しの被害にあうという事だからだ。自分の意志に反する事をされる事を恐れる。だから、人殺しはいけない事だと言う。
 人間の大半が、本気で死にたいと願って生きているのであれば、突然、見知らぬ人間から殺されたとしても、それは自分の願いが適った事に他ならず、それを恐れる必要などない。むしろ、歓迎されるべき事だろう。そんな世界ならば、人殺しは罪ではないだろう。
 だが、この世では人殺しは重罪だ。それは、死を恐れる人間が大半だという事。自分にそれがなされた日を考え、それを恐れるから、人殺しを罪だと認定する。」
 彼は、何の感慨も含まない声で淡々とそう語り続ける。
「無差別快楽殺人者が、その対象を選ぶ理由を考えよう。この場合の無差別とは、相手が誰でもいいという事で、手当りしだいに殺したがっているという意味ではない事を言っておく。殺すという行為が重要であって、それが誰であろうと、それはあまり関係がない人間の事だ。だが、それでも、彼等は犠牲者を選ばなければならない。道ですれ違った人間を手当りしだいに。と言うのでもいいが、それでも、何らかの意志を持って相手を選ぶわけだ。
 彼等は、人殺しが罪だと言う事を知っている。だから、殺す。それが、死を望んでいない事を知っているから、それを妨げた自分が、超越者になったかのような感覚を持つ。最初は、目に付いた人間であったとしても、次を考えれば、彼等はその喜びの度合いを深めたいと願うだろう。ならば、よく考えて、相手を選ばなくてはならない。
 人の大半は、死を望んでいない。幼い子供ならば、死などというものすら、意識の外だろう。その命を奪うのはどうだろうか。幼い子供ならば、大人を襲うよりも簡単に殺せるだろう。そして、その周囲の人間は、その命の奪われた事に、どれほどの怒りと恐れを抱くだろうか。これ程、自分を喜ばせるものはないと思うのではなかろうか。
 病人は、どうだろうか。病院に通い、治療を続ける病人は、その回復を願い、どれ程、生を渇望しているだろうか。その周囲の人間は、どれほどそれを願っているだろう。だが、彼等には、抵抗する力がない。病院という世界は、その場が安全だと思った人間が集まっている場所だ。身を守る為の手段が殆どない。そこで、大量の人間の命を奪ってみたらどうだろうか。それは、なんと楽し気な事だろうか。
 快楽を得るという事は、自己満足のみではさほど増殖されない。誰かの反応があれば、それは大きく増殖する。人が自分の行為を考え、それを噂する。それに快楽を感じたなら、次はそれ以上を願うだろう。行為のみが与える快楽では飽き足らず、それを求める。」
 彼は少し間を開けた。
「人の大半は、死を望んでいない。だから、命を奪うものを憎み、恐れ、命を奪われた者を悼む。殺人が罪だと言うのは、それを大半が望んでいないと、死を望まない人間が思っているからだ。実際に、どれほどの人間がそれを望んでいるかなどは、わからない。ただ、人の命が犠牲になった事を知ると、人間は何かを感じ、言葉を失う。
 テロリストも、その犠牲者を選ぶ。主張を行なう為に、それに影響を与え易いものを選ぶ。他国の人間を排除したいといい、その国の大使館を狙うなどは、わかりやすい例だ。その場所を手に入れたいから、その場にいる者を殺し、その場を破壊する。これも、ありがちだ。単に、気を引きたいだけならば、被害を最小限に抑えつつも、誰もが悼むであろう相手を選ぶ。幼い子供のいる場所などは、効果的だ。子供の命が危険に晒されれば、それだけ人が動く。動かない人間が、人非人と言われる。話だけ聞いてもいいのではないかと思う。死を望まない人間が、死の危険に晒される事を、自分と置き換えて恐れるからだ。
 戦争で、犠牲者の数をごまかすのも、結局、そう言った感情に依って立っていると思ってもいいだろう。一方的に攻撃した側が、少なく見積もって発表する事で、その行為の残虐さをごまかす。攻撃された側が、多く見積もって発表し、相手の残虐さをあおる。実際、どれほどの人間が死に、どちらの発表が正しいかなど、この場合には関係がない。攻撃された側が、攻撃した側の発表よりも少ない数を発表するとしたら、それは、自分達の優位を示そうとしているということで、一方的な攻撃に関しては、これは当て嵌まらないと思われる。
 人殺しが罪である世界だからこそ、この図式は有効だ。『その攻撃で、市民が何人犠牲になりました』、これは、軍人が殺されるよりも、与える影響が多いからこそ有効な話だ。
 死を望んでいない人間でも、軍人という存在については、死を覚悟している人間という認識を持っている事が多い。実際、それがどうであるかなどは、多分問題にならない。軍人が戦争で死ぬのは仕方がないが、一般市民が死ぬ事は大変な事だと思う事ができるのが、平和な世界で生きている人間の意識だ。
 戦争も、人殺しと同じ事だ。戦争はいけない。そう叫ぶ人間は、それがわかっている。それがどんな立場にいようと、命のやり取りをするのは、人殺しだ。自分の命も掛けているからいいという事ではない。他人の命を奪うのは罪だと思っている。
 人の大半は、死を望んではいないと思っている。だから、人を殺す事はいけない事だと言う。そこに、何故なんていう質問は必要ない。答えなど簡単だ。
 私が死にたくないから、人を殺す事はいけない。私の知る誰かを殺されるのが嫌だから、人を殺す事はいけない。
 その程度の答えも自分で見つけられない人間は、本当に何かを考えた事などないのだ。」
 彼はそこまで言うと、深く息をついて首を振った。
「それでもこれは、俺の個人的な考えにすぎない。」

 
 
 


恐ろしく偏った内容。私の脳内で捻り回された主張。同意は求めないが、そんな事を考える人間もいるのだな。と思っていただければ。ちなみに、資料などは一切なし。

(2003.3.1)




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