ここへ居着いてから、必ず毎日している事。
喧嘩、剣術、畑仕事。
そう、畑仕事。
収入があるようには見えないこの道場に、うっかり居着く事になってしまった手前、屋敷内にある畑の手伝いくらいはしなくてはいけないだろうと思ったのだ。
そういう理由で自分から手伝っているわけだけれど、時々、なんでこんな事してんのかな。と、自分の現状を振り返ってみたりもする。
特に、水撒きに満足して、空を見上げたりなんかした一瞬後に。
「何、黄昏れてるんでィ。土方のクセに。」
聞き慣れた声が後ろからかかり、振り返ればこちらを見上げる視線と目が合う。
日課の一つでもある喧嘩の相手だ。初めて会った時は、俺の身長の半分くらいしかなかったのに、最近は幾らか背も伸びてきた子供。
「今年のトマトも上出来だ。」
そう返せば、ぽかんとした表情を浮かべた総悟は、それからゆっくりと俺の背後のトマトの苗に目を移していく。
「………へぇ…」
まだ、実も付けていないどころか、精々が腰までにしか育っていない苗ではあるが、俺にはこの先の成長が見える。
トマトを育てること5度目。苗や種を売る店の主にも、目利きを誉められたりする程に成長した。去年など、隣家から物々交換で肉まで手に入れた出来栄だった。
鍬を振るのだって手慣れたものだ。始めの年は畝一つ作るのも一苦労だったが、今や、経験の長いはずの近藤よりも手早くなった。おかげで、今年は俺一人だけで畑の世話をしている状況だ。
勿論、俺は別に、ここに畑を耕すために居着いているわけではないけれど、やってみるとなかなか楽しいのも事実。特に、出来た物を喜んで受け取ってくれる人間がいると、喜びも倍増する。
総悟だって、去年の夏はトウモロコシを渡してやったら、跳ねるようにして家へ帰っていった。ああいうのは、子供らしくて可愛いと思い、来年も植えようと思ったのだ。
「何か用だったか?」
総悟はあまり自分から俺の傍へはやって来ない。こうしてやって来るのは、大体が近藤に何かを言い付けられた時だから、多分今回もそうだろうと踏んで問いかけた。
「別に。」
そう言って、総悟は畑の端の石の上に腰を下ろして、つまらなさそうな顔で畑の緑を眺めている。
総悟はなかなか難しい子供で、こちらから積極的に働きかけても反応は薄い。どうやら俺を嫌っているようだというのはわかったから、適度な距離を取るように心掛けているけれど、時々こうして自分から寄って来る事がある。だからといって、それでこちらに慣れたと思ってはいけない。うっかり近付こうものなら、じりじり寄せてきた距離はあっという間に遠ざかる。
俺としては、もう少し歩み寄りたい気持ちはあるのだ。
先日、俺達が度々喧嘩をするのを気に病んで、近藤がどうにかならないのかと聞いてきた時、俺はそう答えた。あちらはこちらを嫌っているかもしれないけれど、こちらはあちらを嫌う理由がない。
子供が憎まれ口を叩いたくらいで、それを嫌うなんて事もない。蹴飛ばされれば、腹も立って殴り返しもするけれど、だからって嫌いだと思う程子供でもない。
俺にとって喧嘩なんて日常の事で、自分の居場所に必死に踏ん張っているのだと思えば、総悟の言い分なんて好ましいと思っても、憎らしくもない。
どうやら、総悟はそれが一番気に入らないようだとは気付いているのだけれど。
「来年は、さつま芋でも植えてみようかな。」
「そりゃいいや。」
反応があるとは思わなかったところに答えが返った。どうやら今日は、あちらから歩み寄りに来たらしい。
ここへ来て5年になるのに、未だに俺達は距離を詰めるのにこうしてじりじりしていて、なかなか一息に傍へ寄る事ができないでいる。けれど、どうやら、あちらも少しずつ様子が変わってきたようだと、笑みが漏れる。
水の入った桶と柄杓を持って、総悟には背中を向けて水撒きを再開する。
「粥とか飯の嵩増しになるし。」
「さつま芋は焼き芋と相場が決まってるじゃねぇか。」
去年の秋、落ち葉を集めて燃やした時に、近藤は台所からさつま芋を持ってきて、3人で1本の焼き芋を分けて食べた。その時は楽しかったし満足したけれど、それから三日の粥は大変心許ない品だった。そんな事を思い出して、上手く作れば、焼き芋をしても夕飯が寂しくなる事はないのだと思い至れば、どうして今年から植えなかったのかと後悔が浮かぶ。
「焼き芋は飯にならねぇだろ。」
旨いけど。ここで作っているのは、空腹時のおやつではないのだから仕方ない。
「あんた、すっかり飯炊きになっちまって…」
ため息混じりにこぼれた小さな声を聞き取って、それは俺も時々思う事だけれど、と続いてため息が漏れた。
本当に、俺はここで何になろうって言うんだろうか。
長い黒い髪がゆらゆらと揺れているのをぼんやりと眺める。
自分のものよりも長く、陽の下でキラキラしているそれを、姉が少しだけ羨ましがっているのを聞いたのは昨日の事。
髪は女の命だなんて言うくせに、どうして男の人の方が綺麗なのかしら。と、不服そうにしていたけれど、そんな事を言いながら、その髪に触れられる程近くにいる事には満足しているようにも見えた。
土方は、近藤さんが拾ってきて道場に居着いた男だ。会った時、既にその髪は長くて、男のくせにどうしてあんなに長いんだろうかと不思議に思ったけれど、ある日、適当に掴んだそこからブツリと髪を切るのを見て、単なる不精なのかもしれないと思った。髪を洗っても、濡れっぱなしで放っているし、姉が聞いたら、さぞかし理不尽だと思うだろう。
それでも、そんな話は、姉にとって本当に重要な事じゃないのは、少しずつわかってきていた。
こいつの、何がいいって言うのだろう。姉上も、近藤さんも。
そう思うのに、自分だって、こうして傍に来て姿を眺めている。嫌いなはずの人間なのに。
「来年は、さつま芋でも植えてみようかな。」
そんな声が聞こえて、賛成する言葉が口から出ていた。
顔が見えなかったら、こうして普通に返す事もできるのに。そう思う自分に驚いた。
土方がせっせと世話をしている畑は、土方が来るまではあまり使われていなかった。精々、葱が植えてあったくらいだ。それを、土方は自分から耕し始めた。多分、きちんと使われている畑だと思ったんだろうと、大先生が言っていた。なかなか気が効く。とも言っていたのを覚えている。
その年の夏はトマトと胡瓜だった。冬には大根と葱。あまり大きくはならなかったけれど、おかずが増えたのと味噌汁に具が入ったのとで、近藤さんは嬉しそうだった。
次の年は、トマトが豊作だった。真っ赤に大きくなって、土方は自慢げに笑いながら内緒だぞと言って、稽古に呼びに来た俺にそれを食わせてくれた。
それまで笑った顔なんてあまり見た事がなかったから、俺はちょっと驚いた。それからトマトが美味しかったから、素直に旨いと言ったら、土方は更に嬉しそうに笑って、うちへ持って帰れと言って、トマトを4つくれた。
土方は、その日一日凄く嬉しそうで、俺はそんな上機嫌な土方を見ているのは嫌ではなかったから、稽古の後に胡瓜の収穫を手伝った。
そうして、土方の傍にいるのは、そんなに嫌いじゃないと、その時気付いた。
嫌いじゃない。じゃなくて、好きだ、と自覚したのは、もう少し後の事。
俺は、さつま芋の収穫を手伝って、刈り取った蔓を燃やしながら、その年初めての焼き芋を二人で食べた。
「あ! 焼き芋!」
なんで、俺に黙って!と、慌てたように走ってきた近藤に、ため息混じりで土方は今し方焼き上がった芋を差し出す。
「持って行こうと思ってたところだよ。」
秋になって、屯所の庭の落ち葉を集めたら、焼き芋をするのが秋の一番最初の年中行事だ。
近藤は差し出されたそれを受け取って、ぱこりと二つに折り分ける。
「トシ」
半分こ。と差し出そうとした近藤の目の前で、沖田が自分の持っていた半分を土方に差し出していた。
「あぁ!」
声を上げた近藤を、沖田は不思議そうに見返し、土方は沖田が持ったままの差し出された芋に齧りつきながら、視線だけ近藤へと向ける。
なんでトシは、総悟の手から芋を食べるんだろう。と、一瞬その二人の様子に戸惑った近藤は、口をもぐもぐ動かしながら、土方がそれを受け取るのを見て、割れた所が落ちそうだったに違いないと、微かに土方の顔が赤くなっている事から思考を反らして結論付けた。
「俺が、トシにやろうと思ってたんだぞ。」
いつも当然のように受け取っていたから、今回は自分が譲ろうと思っていた近藤だが、もしかしたら、それはいらぬお世話だったのだろうかとも思いつつ、声を上げた以上はと控えめに主張した。
「あんたの取るわけにいかねぇし。」
土方は戸惑うようにそう答え、困ったように沖田へ視線を投げる。
土方が沖田に助け舟を求めるような様子を見せる姿をこれまでに近藤は見た事がなく、自分はいてはいけない場所にいるのではないだろうかという気にさせられる。
そうして、自分達三人の距離が、いつからか変わっていたのにふと気付かされた。
「昔は、三人で分けたろう。」
まだ道場にいた頃、縁側に三人揃って腰を下ろして、1本しかない芋を三人で分けた事があった。
真ん中の美味しい所は総悟に渡して、嬉しそうに頬張る総悟を見て、二人で目を交わして笑ったのだ。
それがいつの間にやら、近藤が1本、土方と沖田で1本と、振り分けが変わってしまった。そうして今も、当然のように二人は1本を仲良く分けている。
「たまには、俺と分けてもいいじゃないか。」
初めて土方が道場に来た頃は、沖田と土方の距離は遠くて、もっと仲良くしなさいと近藤に言わしめたものだけれど、こうなってくると、もっと離れなさいと言いたくなるから、人間とは勝手なものだ。と近藤は思う。
「こればっかりは、ダメでさぁ、近藤さん。」
そんな近藤の不服をあっさりと拒否して沖田はそう言い、ぱくりと芋を齧る。
「なんで。」
俺だけのけ者にする気なのか。とむくれる近藤に、沖田はにこりと笑う。
「その権利は、俺のものなんでさぁ。」
笑顔は可愛らしいものなのに、どうして気配が恐ろしいのかと、ギギギ、と視線を土方に向けた近藤に、困ったような、どこか嬉しそうにも見える表情で土方は小さく謝った。
「……ごめん」