「私だって、料理くらい作れるのだよ。」
君のように、手早くとはいかないが。
そう言って迎えてくれた御剣の顔は、僕以外の誰かが見れば、自慢げに笑っているようにしか見えないのだろうけど、僕にはそうじゃないってことがよくわかった。
君のように、なんて僕を引き合いに出すのは、本当のところ、手早く作れない自分にコンプレックスがあるってこと。だから、それは彼なりの強がりだ。
確かに、御剣は手先があまり器用じゃない。手早くみじん切りなんて事は無理難題に近いけれど、几帳面だから、時間を掛ければ大体の事はなんとかこなす。
以前、僕が鍋を洗い桶代わりにして流しに置きっぱなしにしていた食器を見つけた時、御剣は信じられないものを見たとばかりに、目を見開いて固まっていたが、その後、猛然とそれを洗ってくれたものだ。
以来、御剣は僕が料理をする横でそれを洗ってくれる。特に鍋なんて本当に綺麗に磨いてくれて、洗い桶代わりになっている鍋を見る度に、御剣は呆れたように僕を見て、鍋は大切にするものだろう、と嗜める事も多い。
だから、別に手早く料理が出来ない事なんて、僕から見たら全然欠点なんかじゃないんだけど、御剣にしてみれば、それはとんでもなく大きな欠点に思えているらしい。
大体、御剣は元々できがいいんだから、料理が出来ないくらいの事なんて、本当に全く問題ない事だと僕は思う。
むしろ、もっと色々出来ないでいてくれた方が、僕が御剣の中に食い込める部分が増えるってことで、僕としてはそちらの方が大歓迎なんだけれど、そんな事を口に出してしまえば、怒らせてしまう事は間違いないから口に出したりはしない。
だけど、それより何より重要なのは、御剣が僕が来るのを知っていて、わざわざ料理を作って待っていてくれたってことだ。
御剣が僕の家で僕の作ったものを食べることや、料理を手伝ったりすることはあったけれど、御剣一人が、僕一人の為に料理を作ってくれたのは、これが初めてのこと。それが嬉しくなくって何が嬉しいって言うんだって程、僕にとっては最高の状況だ。
「嬉しいな。何を作ったの?」
テーブルに着けば、御剣は少し緊張の面持ちで、僕の前へ皿を運んでくれた。
「これ…」
目の前にやってきたそれは、僕にとって特別な料理だった。
僕が初めて御剣と一緒に作った料理。ピーマンの肉詰めのトマト煮。初めて僕がピーマンがおいしいと思った料理だった。
その日、僕は御剣の家に泊まる事になっていた。理由はもう覚えていないけれど、約束をしてそうなったわけではなかったような気がする。
御剣のお母さんが夕食の準備を始める頃、御剣は当然のようにキッチンに手伝いに向って、僕もそれに着いていった。
僕は家で母の料理を手伝った事なんてなかったけれど、御剣には特別な事ではなかったようだった。僕は御剣のお母さんにエプロンを借りて、その指示の元で料理の手伝いをした。
と言って、僕らがした事といえば、トマトの缶詰を開ける事とか、その中身をザルで漉すとか、鍋をかき混ぜるとか、そんな手伝いと言えるかどうかの事だったけれど、御剣の不器用さから言うと、相当のお手伝いだった事は確かだ。だって、缶詰の缶切りを扱うのは僕で、御剣は缶を支えていただけだったから、包丁を持つなんて事は、有り得ない事だったのは想像がつくだろう。
そうして、僕らの軽いお手伝いが終わると、御剣のお母さんはにこりと笑って、後はお鍋に任せて、二人はテレビでも見ていてと言ってくれた。
満足そうな御剣と一緒に居間へ戻って、僕らは二人でテレビを見て夕食の時間を待ったけれど、僕はその時、本当は気が気じゃなかった。
何故なら、僕はピーマンが苦手だったのだ。
学校の給食では、ピーマンが丸ごと出て来る事なんてなかった。だから、なんとか我慢して食べていたけれど、その料理に使われているピーマンは丸ごと一つだったのだ。
上の方を切って、中の種をくり抜いて、そこにひき肉を詰めてあるそれは、ごまかしようもなくピーマンだった。
御剣はとても美味しいのだと言っていたけれど、僕には正直キビシい品に見えた。
でも、御剣の前でピーマンが嫌いなんて言いたくなかったし、せっかく作ってくれているものに文句なんて言えるわけもなかった。どうやって食べようかと、僕は必死に考えていたのだ。
夕食の席で、僕と御剣の前に置かれた皿には、ピーマンが二つトマト味のスープの中に入っていた。
御剣は行儀よくいただきますと言った後、真っ先にそのピーマンに箸をのばして、ぱくりとそれにかじりついた。
「熱いから、気をつけてね。」
御剣のお母さんは優しく笑ってそう言い、御剣は美味しいと声を上げ、僕は決死の覚悟でピーマンに箸をのばした。
緑色のピーマンは、トマトの赤色を含んで、ピーマンらしくない色をしていたから、僕はそれをトマトだと自分に言い聞かせて、口に入れた。
「……?」
もぐもぐと噛み砕いても、ピーマンの苦い味は気にならなかった。
僕の嫌いなピーマンの味はした。でも、その料理はとっても美味しかったのだ。
「美味しいだろう?」
御剣はにこりと笑って僕に問いかけ、僕はこくこくと頷いた。
よくわからないながら、僕は結局ピーマンをおかわりまでした。本当に、美味しかったのだ。
その後、僕が御剣の家でピーマンを食べたのを聞いたのか、母が家でも同じ料理を作ってくれたけれど、それは何が違ったのか、やっぱりあまりおいしくないピーマンだった。
今でも不思議なのは、あれがどうしてあんなに美味しいと思ったのかってことだ。
初めて作った料理だったからなのだろうかと思ったけれど、家庭科の調理実習でも料理はした事があったのだから、それは違うような気もした。
じゃぁ、御剣と一緒に作ったからだったというなら、と考えると、僕は一体どれだけ御剣が好きなんだ、って話にもなるわけで、ちょっと自分に呆れるような気にもなる。ただし、それが一番近いんじゃないかって思うのも事実。
結局、あれは僕にとって、とても不思議な体験だったってことだけが真実だ。
「懐かしいな。」
「君が、とても気に入っていたからな。」
御剣はそう言って、僕の向いに座ると、あの頃と同じように行儀よく手を合わせた。
「本当に美味しかったんだよね…僕、あの頃ピーマンは苦手だったんだけど。」
今は平気だし、御剣に苦手なものがあるって告げる事は全く苦ではないけど、あの頃僕は、御剣にかっこわるい自分を見せたくはないと思っていた。
「そうだったのか? てっきり、ピーマンが好きなのかと思っていた。」
御剣はびっくりしたようで、僕の皿の中をじっと見ている。
「今は平気だよ。不思議なんだけど、あの時は本当にピーマンが美味しくてさ。」
実際に僕がピーマンを克服したのは、あれから結構後の事だった。だから、あれは本当に奇跡的な事だったんだと思う。
「そうなのか…」
「僕も作ってみたこともあったけど、なんか違うんだよね…」
なんであんなに美味しかったんだろう。と僕が言えば、御剣はちょっと心配そうな顔をして僕がそれに箸を伸ばすのをじっと見ている。
これがあの時よりずっと美味しかったとしたら、やっぱりあれは、御剣が好きだった僕の心のなせる技ってことだった、ということになるんだけど。
そう思いながら口に運んだそれは、びっくりする程美味しかった。
「美味しい!」
思わず声を上げれば、御剣はほっと息をついて、ちょっと自慢げに笑った。
「そうだろう。私の鍋も、最近なかなかやるようになったのだよ。」
僕ってどんなに御剣が好きなんだろう。と思いながらそれを咀嚼していた僕は、御剣が言った言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
「え?」
「だから君も…」
御剣は僕の反応が芳しくないことに気付く様子もなく、何やら僕に言っているけれど、僕の頭の中にはそれが日本語として入って来ない。
僕らが子供だった頃、確かに御剣のお母さんは『後はお鍋に任せておけばいいのよ』と言った。それは間違いない。
だけどそれは、鍋で煮込んでいる間は放っておいて大丈夫、という意味だってことは、料理をするようになった頃に理解した。普通、そう理解するはずだ。
「………え?」
視線の先の御剣は、自分がごく当然のことを言っているような顔をしていて、僕をからかっているような様子は欠片もない。
御剣の家で見た鍋は、ごくごく普通の両手鍋だった。美味しく煮込むと有名な圧力鍋でもなかった。だから、僕の理解は間違いないはずだ。
御剣がいつも丁寧に洗ってくれる僕の鍋だって、なんでもない片手鍋だ。カレーもラーメンも全部それ一つで作るという、ごくごく一般的な大きさでもある。
テーブルから覗けるキッチンの調理台には、ちょっとお洒落な鍋が乗っているけれど、あれだって別に誰でも買える品だから、御剣がどこかで特別な鍋だと言われて買って来たとは思えない。
あの鍋が、料理を美味しく作れるようになってきたと御剣が信じているなんて、本当にあるんだろうか。
僕は御剣のことを一番わかっているのは僕だって思っているし、その表情や声から、御剣が本当に思っていることなんて間違いなく読み取れているのだと思っていたけれど、今の御剣は自分の言い分に欠片も疑いを持っていないように見えるのが正直怖い。
「聞いているのか?」
あまりに反応の鈍い僕に不審を抱いたように、御剣は眉間にしわを寄せて僕を見る。間違いなく、自分の発言に疑いなんて持っていないとわかる反応だ。
「うん」
僕はここで、御剣にその認識を間違いだと教えるべきなのか、このまま黙っておくべきなのか、どちらが正しいのかという答えがまるで見つけられない。
「だったら、今度からは、鍋はちゃんと大切にするのだぞ?」
「………うん。そうするよ。」
きっと僕はこれからも鍋を洗い桶にするだろうけど、ここで御剣に本当のことを教えて、余計なショックを与えるのがいいのか、黙っていて何事もなく過ごすのがいいのかと考えれば、やっぱり黙っているべきだろうと思う。
だって、御剣が誰かの為に料理を作ることなんて、きっとそうそうあることじゃない。まして、自分の鍋の事を自慢するなんて、僕か狩魔冥相手くらいに違いない。
いや、多分、狩魔冥はもう言われている可能性が高いはずだ。それでも御剣がまだ僕にそれを告げるなら、彼女が訂正する事を避けたって事だ。
そうなると、僕の言い分は否定される可能性もある。だったらやっぱり、僕は黙っているのが正しいってことになるはずだ。
「他にも、何か作れるの?」
「シチューとカレーは作れるのだが、メイにはそれは手料理とは呼ばないと言われたのだ。」
市販のルウを使うのは反則らしいのだよ。と御剣はどこか納得いかない顔でそう言って、自分の皿のピーマンを口に運ぶ。
「今日も、なかなか上手く出来ている。」
満足そうに頷いた御剣は、自分の腕ではなくて、あの鍋を褒めているのかと思うと、僕は何とも言えない気持ちになったけど、それはそれでいいかと思う事にした。
だってこの料理を美味しくしているのは、御剣の僕への愛情なんだって、僕は信じているからだ。
冥ちゃんは、お鍋が美味しくしてくれているという言い分が、正しいんだと思っているのだと思います。
初めての手料理をメインに、初めてのお泊まり、初めての共同作業、初めての疑念…などなど、色々詰め込んでみたのですが、如何だったでしょうか?
(2009.11.9)