「どうしてキミは、そのようなことを勝手に請け負ってくるのだ!」
キッとこちらを睨みつけ、怒りも露に叫んだ御剣に、成歩堂は小さくごめんと呟いた。
「この間の御剣の料理があんまり美味しかったからさ、ついつい真宵ちゃんたちに自慢しちゃって…」
恋する男の思考はオーバーヒートするものなんだよと、心の中で言い訳して、成歩堂は再度頭を下げた。
「そしたら二人とも、自分たちも食べたいって言い出してさ。」
「……だからと言って…」
「でも、あんまりにも凄い勢いでさ、断りきれなくて…」
勿論、御剣から断ってもらってもいいし、僕が無理だって伝えてもいいんだけど。と成歩堂が言えば、御剣はグッと息を詰めて、自分の手元に視線を落とした。
先日、御剣の家を訪れた成歩堂は、御剣の手料理を初めて食べる事が出来たのだ。
その感動を誰かに伝えずにはいられず、次の日真宵と春美に自慢してしまったのは、仕方のなかった事だと思ってほしいと思う。
そして、そのとても美味しかったという御剣の手料理を食べたいと二人は言い出し、食べ物に対する真宵の勢いなど、成歩堂に止める事はできなかった。
「ハンバーグとカレーだと?」
「お子様の好きな食べ物上位ランクだよね…」
僕もお子様じゃないけど好きだけどさ。と成歩堂が呟けば、御剣はぱっと顔を上げる。
「キミも一緒に食べるのか?」
「僕が一緒にいないなんてあるわけないだろう?」
せっかく御剣といられる時間を、無駄にするわけないじゃないかと成歩堂は思う。
ただでさえ仕事が忙しいとなかなか会えないのだ。その機会を逃すわけがないというものだ。
「……わかった」
なんとかしてみる。と御剣は言い、成歩堂はその決意に驚いて声を上げた。
「大丈夫なの!?」
本当のところ、無理だと言って断ってほしい。成歩堂はそう思っていた。
出来る事なら自分のものにしておきたい御剣の手料理を食べる権利を持つ人間を、あまり増やしたくはないのだ。
これでうっかり真宵がイトノコに自慢なんてした日には、彼が御剣にそれをねだる可能性も増える。そうなれば、あとはもうねずみ算だ。
真宵と春美ならば、成歩堂が感知せずに手料理を食べる事などないだろうが、検事局や警察局の人間となれば、成歩堂にはわかるはずもない。
「ハンバーグなんて、難しいんじゃないの?」
「肉詰めの肉を焼けばいいのではないのか?」
違うのだろうか?と反対に聞き返されて、成歩堂は首を傾げる。
「いや、僕、あれがどうやって出来てるのか知らないし…」
似たようなもののようには思うけれど、同じとは言い切れないところだ。
「……まぁ、なんとかなるだろう。」
調べればいい事だ。と御剣は言い、うろうろと視線を彷徨わせてから、もう一度成歩堂を見やる。
「その…私の鍋は、あまりカレーは作った事がないので、キミの鍋を使わせてもらえると嬉しいのだが…」
この短い期間で御剣の認識が変わっているわけもなく、再度鍋の話を持ち出されると、やっぱりおかしな気持ちになるのだが、成歩堂はその申し出を受け入れる。
ここでこの申し出を断れば、御剣が自宅で料理を作る事になる。となれば、当然食事は御剣の家で、という事になるだろう。それは避けたい。
御剣の料理を食べられる権利が自分以外に増えたとしても、御剣の家を訪れる事の出来る権利だけは、なんとか死守したい。
当然、既にその権利を得ているであろう彼の姉弟子については目を瞑る。
けれど、これだけは、この権利だけは、拡大を食い止めたい。
遊びに行ったら、他の誰かが先に手料理を食べていましたなんて、ショックすぎる。
「勿論構わないよ。食器も君の家はあまりないしね。」
「では、再来週の日曜日でどうだろうか? 食材などは私が用意して行くので、キミは構わないでくれればいい。」
「わかった。二人にはそう言っておくよ。」
再来週の日曜日まではあと10日程だ。
できれば、御剣の料理があんまり美味しくなければ、これっきりになるんじゃないかと期待もするけれど、御剣は、あまり料理が上手じゃないなんて思われたくはないだろうから、きっとその間に必死に勉強をするんだろう。
僕としても、美味しいほうがいいけれど、それでまた次も…なんて言いだされると嫌だな…と思案する成歩堂の前で、御剣はぎゅっと拳を握りしめるのだった。
「いらっしゃい」
幾つもの袋を下げた御剣を玄関先で迎えて、成歩堂はその少々緊張した表情に笑みを浮かべた。
「お邪魔する。」
御剣は言って、勧められるままに靴を脱ぎ家に上がり、リビングでありダイニングである部屋へ進むと、荷物をテーブルの上に降ろした。
「早速、キッチンを借りてもいいだろうか。」
御剣は言って、袋の一つからエプロンを取り出す。
「どうぞ。何か手伝おうか?」
「いや、それ程掛からないと思うから大丈夫だ。」
御剣は言って、袋を持ってキッチンと呼ぶには小さな成歩堂宅の台所部分へ荷物を持って移動する。
「君の家には包丁しかないだろうと思って、色々下準備はしてきたのだよ。」
そう言って御剣が袋から取り出したのは、ビニールの袋に入ったハンバーグのタネのようなものだった。
「ハンバーグはどうも焼き方が難しいので、ミートボールにしてカレーに入れる事にしてみた。」
きっと何度も失敗したのであろうその言い分に、成歩堂は頷いた。
「大きめにしておけば、文句は言わないんじゃないかな。」
「作り方は、肉詰めの肉とあまり変わらなかったが、やはり焼き具合が難しいのだよ。」
確かに、焼きすぎればパサパサになってしまうし、焼きが甘いとくにゃっとしておいしくない。
食卓によく上がった料理ではあったけれど、レストランで食べるものとはまた違うのも不思議だったものだ。
「煮込みハンバーグというものもあったのだが、私の鍋にはまだ無理だった。」
何でもなく食べていたが、奥の深い食べ物だったのだな。と御剣はしみじみ呟きながら、別の袋から野菜を取り出していく。
「……御剣、それって…」
成歩堂は袋から出てきた野菜の数々に、思わず声を上げた。
一口大の小タマネギ、小ジャガイモ、小ニンジン、マッシュルーム、ブロッコリー。
カレーの基本の野菜と言われる3点は揃っているが、その大きさが全く違っている。
「……別に、大きな野菜を使わなくてはならないという決まりはないはずだ。」
御剣は気まずい気持ちを隠すように、成歩堂に向って鼻で笑うようにそう言い放ったが、成歩堂は包丁を使わない為にそれらを揃えた御剣の思考に感動した。
御剣は袋から野菜を取り出し、丁寧に水で洗っていく。この中で切らなくてはならないのはブロッコリーだけだが、ブロッコリーは皮を剥く必要がない。大変手軽な野菜の一つだ。
「でもさ、その肉の中には、タマネギ入ってるんだろう?」
「肉の調理など、フードプロセッサーに任せればよいのだよ。」
そりゃまぁ、確かに。成歩堂は御剣の言い分に多いに頷いた。
そうだ。出来ない事を必死に頑張るより、別のものに頼った方が上手くいくのなら、それを頼ればいいのだ。
その感覚が御剣にあるのであれば、彼が自分をもっと頼ってきてくれるようになるはずだと成歩堂は期待を抱かずにはいられない。
それからの手順は慣れたもので、鍋に油を引いて肉を軽く焼き、取り出したそこに野菜を放り込んで軽く炒めてから、お湯を注いで煮込んでいく。
「手慣れたものだね。」
「ウム。だが、この量は流石に初めてなのだよ。」
沸いたお湯の中に切り分けたブロッコリーを放り込み、ゆで上がった頃にそれを取り出すと、代わりにミートボールを投入し、ブイヨンを入れて更に煮込んでいく。
「なんでブロッコリーは出すの?」
「ブロッコリーは、一緒に煮込むと残念な事になるのだよ。」
御剣はそう言って、更に何やら瓶を取り出した。
「残念な事?」
「ウム。よくはわからないのだが、母がそう言っていた。」
それをずっと守っているわけか。と成歩堂は納得したが、生憎その残念な事には思い当たる事がなかった。
「カレーを作るときは、緑色の野菜は一緒に煮てはいけないのだそうだ。」
「シチューはいいの?」
「それは聞かなかった。」
いけないのではないだろうか?と自信なさげに御剣は言って、瓶の中身を計量スプーンで正確に量って投入する。
「それは?」
「カレーの素だ。以前に研修先で知り合った検事が送ってきてくれるのだよ。」
とても美味しいのだ。と御剣は嬉しそうに笑う。
どうやら自作のカレールウらしいと理解して、更に投入された甘そうなものに首を傾げる。
「それは?」
「辛さがまろやかになるとかで、送ってくれたのだ。」
どうやら、カレー作成にあたり、知人に色々と聞いて研究をしたらしい。
何事も完璧を持ってよしとする狩魔流の身に付いた御剣らしいと成歩堂は思う。
「彼のカレーはとても美味しくてな、研修生はよく彼の部屋に集まったものだ。」
私は人付き合いが上手くないから、あまり頻繁ではなかったけれど。と御剣は言ったけれど、わざわざこんな手間のかかりそうなものを送ってくれるのだから、その人は御剣の事を気に掛けてくれていたのだろうと成歩堂は少し不安になる。
御剣の事が好きで、御剣も自分を好きだと言ってくれるけれど、こんな風に少しずつ人と接点を持とうとするようになってきた御剣は、成歩堂の知らないところに新しい知人を増やしていくのだろう。
そこで御剣がどんな事を話すのか、どんな事を思うのか、それを全部知りたいと思うのは、自分がおかしいのだろうけれど、できれば自分だけのものでいてほしいと思ってしまうのは、どうにもならない本当の気持ちだった。
「私が、誰かに料理を作ろうとするなんてと、驚いていた。」
あとは鍋に任せよう、と言って、御剣は片付けを始める。
「ふぅん…」
「でも、作るからには美味しいと思わせたいよね、と言ってくれて。色々と相談に乗ってくれたのだ。キミも食べるのだから、子供向けの味になってはいけないだろうと思って…」
私には、キミの感想の方が気になるところだから…とぼそぼそと呟いている御剣の言葉に、成歩堂はびっくりして御剣を見た。
「僕?」
「君が好きだというから。」
だが、美味しくないものを食べさせたくはないのだよ。と言って、御剣は成歩堂を見返してそっと笑ってみせた。
「美味しいハンバーグが焼けるようになったら、キミを招待しよう。」
ああ、御剣が料理を食べさせたいのは僕だけなんだ。そう思って、成歩堂はなんだか泣きそうになってぐっと目に力を入れる。
誰と出会って、何をしても、御剣が好きなのは僕で、僕の為だから何かしたいと思って、努力してくれるんだと思うと、自分の狭量さが情けなくなるけれど、恋する男はやっぱり馬鹿で自分勝手なんだと成歩堂は言い訳をする。
「そうしたら僕は、君の為に美味しい紅茶をいれるよ。」
紅茶の事なんてさっぱりわからないけれど、自分の為に御剣が努力をしてくれているのなら、自分だって御剣の為に何か出来るはずだと思う。
「楽しみにしている。」
そう言ってにこりと笑った御剣はとても綺麗だと、成歩堂はしみじみと思うのだった。
「すごいです!」
「すごいよ、御剣検事!」
カレーが出来上がった頃にやって来た二人は、自分の前に用意されたカレーを見て声を上げた。
切り分けて食べなくてはいけない大きさのミートボールと、全部一口大のころころとした野菜達。
制作現場を見ていた成歩堂が見ても、それは随分豪華に見える品だった。
「そうだろうか?」
きちんと味見もして作られたものだから、味に抜かりがないのは成歩堂も確認済みだ。
御剣は二人の喜ぶ様子に満足したようで、さぁ食べようと、二人を促した。
「いただきます!」
元気に声を上げて、スプーンを持った二人は大きな口でカレーを頬張る。
「おいしい!」
真宵が声を上げ、春美も大きく頷いてみせる。
「彩りも綺麗ですよね。うちのカレーはアスパラが入るんですけど、色が悪くなっちゃってて…」
御剣の作ったカレーは、ブロッコリーが鮮やかな緑をきちんと主張している。最後の仕上げにカレーの中へ投入したそれは、食べる分だけ鍋の中に入れられたものだ。
「そうなんだ…」
緑の野菜は残念な事になるって、そういうことかと納得した成歩堂は、ちらりと御剣を見やり、彼がさっぱりその結論に辿り着いていない事に気付いて驚いた。
これは、お鍋の話に気付くのも、きっとずいぶん先の事だなと思い、楽しい気分でカレーを口に運ぶ。
「どうだろうか?」
味見もしたから美味しいと言ったというのに、御剣は心配そうにそう問いかけてきて、思わず笑みがこぼれた。
彼の姉弟子ならば、『他人が作ったのであれば、同じ事よ!』と言って、このカレーに手料理判定をしないのかもしれないけれど、成歩堂にしてみれば、市販品を使おうと、他人の努力を借りようと、御剣が作ってくれたものは、全部彼の手料理判定だ。
その上これは、自分の為にと作られた料理だ。一体どこに文句のつけどころがあるものか。
「凄く美味しいよ。」
満面の笑みでそう伝えれば、御剣は嬉しそうに笑ってみせた。
皮が剥けないのならば、皮を剥かずに済むようにすればよいのだよ!
御剣さんちのお鍋の得意料理は、ピーマンの肉詰めのトマト煮だけのようです。
2回目の手料理は、できるだけ包丁を使わないお料理。
御剣さんちには、フードプロセッサーとかスライサーとかピーラーとか電動缶切りとか色々揃ってるけど、包丁は1本しかないです。(2009.11.9)