私たちが所謂「恋人同士」になってまだ日は浅く、またお互いが多忙であるため、会えるのは必然的に週末の夜、ということになっている。
それでも毎週末とは言い難く、土日のどちらかは出勤しなくてはならないことも間々ある。時間的余裕があれば、飲みに出かけたり映画を見に行ったり、街中で過ごす事もできるのだが…如何せん二人とも定刻通りに終業できる職種ではないため、待ち合わせの時間の変更を余儀なくされる場合も多々ある。
この寒空の元、待ちぼうけを食らったり食らわせたり、ということが続いて、いつしか街中での待ち合わせは無くなった。
もっぱら最近は、成歩堂のアパートが待ち合わせの場所となっている。(大抵彼の方が早い帰宅ではあるが、万が一に備え、私たちは互いの家の合鍵を持っている。)
もちろん、そこからどこかへ出かけるということは無く、大抵そのまま夕食を食べ、宿泊してくる。傍から見れば面白味がないかもしれないが、仕事で疲れた身には、それはありがたいプランだった。
出かけるのも嫌いではないのだが、仕事でひたすら現場を駆け回り、検事局と裁判所の往復を何度もこなしていると、週末の頃には出かけるのが億劫になってしまう。
のんびりと部屋の中でくつろげる週末は、私の貴重な休息の時間となっていた。
反対に、夕食の準備をしてくれる成歩堂にとっては負担が増えたかもしれないが。
それでもキッチンに立つ成歩堂は、自炊は気にならないと嬉々として言う。
ちゃんと作れる訳じゃないから、と言いながらも、それでもテーブルいっぱいに並ぶ皿の数はたいしたものだと思う。
成歩堂のアパートに向う車の中、つい考えてしまう。
今日の食事のメニューは何だろうか、と。
「……すごいな」
「見た目はね」
成歩堂のアパートに着くと、もう既に炬燵の上には食事の用意がしてあった。勧められるままいつもの場所に腰をおろすと、成歩堂は目の前に缶ビールを突き出した。
「はい、御剣。グラスじゃなくてもいいよね?」
「ああ、ありがとう。いただく」
「夢だったんだよね〜、こうしてコタツで、御剣と鍋を囲んでビール飲むの」
成歩堂が言うとおり、炬燵の上には鍋が湯気を立てていた。
それにしても夢とは…相変わらず大袈裟なヤツだ。
「君は夢をたくさん持っているのだな」
「そりゃあね、15年分だからね。土鍋もこのために買ったんだ」
そう笑いながら、器や皿を私の前に置いていく。
鍋の中身は、野菜や魚介がふんだんに入っている。食欲をそそる香りと、ぐつぐつと言う鍋の音。
「わざわざ鍋を買ったのか?」
「だって一緒に食べる人がいないと、土鍋なんか買えないじゃん。一人でする鍋なんて寂しいし」
「…真宵くんや春美くんがいるではないか」
「んー、確かにね。けどぼくは、真宵ちゃんたちにご飯作る気は無いんだよね〜」
意外な返事に驚く。料理が好きなのかと思っていたのだが。
「真宵ちゃんたちとご飯を食べるなら、どこか店に連れてくよ。家でご飯を作って食べたいって思うのは、お前だけだよ?」
そう真っ直ぐに言えるのが、この男の凄いところなのだろう。普通ならそんな殺し文句、恥ずかしくて言えない。
「これは…全部君が用意したのか?」
「見た目は派手だけど、鍋は一番簡単なんだよ。野菜も肉も魚も、適当に切って全部鍋にブチ込むだけだからね。ついでに後片付けもラクなんだよ」
ささ、飲も!と成歩堂は缶ビールのプルを開けた。私も彼に倣い、プルを開ける。炭酸が弾ける小気味良い音に、成歩堂の陽気な声が被る。
「じゃあカンパーイ!」
カツンと缶を付き合わせ、冷たいビールをあおる。外はすっかり寒くなったが、部屋の中は暖かく、冷えたビールが旨い。
「もう大体できてると思うけど…御剣は好き嫌いってある?」
成歩堂は杓子で鍋をつつきながら聞いてきた。
「特に食えないものは無いが。メイの家で鍛えられたからな」
「好き嫌いなく、カンペキに食べるようにって?」
「ああ。君よりは好き嫌いは無いはずだ」
「ぼく、どうしても香草系は苦手なんだよね〜」
そんな他愛の無い話をしながら、夕食を頂く。鍋の他に、炬燵の上には小鉢に入った和え物や、皿に盛られた漬物など、家庭的なメニューが並んでいる。
あまり私には馴染みの無かったものだ。いや、遠い昔の、思い出の中にだけあった光景、ではあるが。
「懐かしいな」
思わず口に出てしまった。こういう時に限って成歩堂は、必ず聞き逃さずにツッコミを入れてくる。
「え?漬物が?そりゃまあ、お前がたくあんを齧ってるのって新鮮だけど」
「──私も漬物くらい食うが?」
「そうかもしんないけど、なんかイメージがさぁ、狩魔冥の家ってカンペキに洋食っぽいイメージだからさ」
「確かに。洋食も多かったが、基本的に和洋半々くらいだったように思う。だが、こうして炬燵で鍋を囲むと言うのは、初めてかもしれない」
「御剣んちも、炬燵ってイメージじゃなかったもんね」
「和室はあったのだが、もっぱら食事はダイニングでとっていたからな。鍋も、テーブルで食べていた」
「じゃあこうして炬燵で飲み食いして、ついでに炬燵でうたた寝するなんて…なかったんだ」
「うム、うたた寝はいつも暖炉前の揺り椅子でしていた気がする」
「へー、それはぼくも経験してみたかったなぁ」
喋りながらも成歩堂は、私の器が空になると、すぐさままた肉や野菜を取り分けてくれた。甲斐甲斐しくマメな男だとは思っていたが、ここまでとは…。
「ほら、君の器もよこしたまえ。取り分けてやろう」
「えっ、いいよそんなの」
「さっきから私に取り分けてくれていただろう?私にもさせたまえ」
そう言って手を差し出すと、成歩堂は何やら照れた笑いを浮かべながら、自分の器を寄越した。
「うム」
私は鍋の中、成歩堂が好きそうな肉と魚を取り分けてやり、器を返す。
すると、成歩堂はますますニヤけた顔になった。
「……なんだ?」
「……いやぁ」
「……………何なのだ?」
「……………えへへ」
「ええい、何をキサマはしまりの無い顔をしているのだッ!」
「なんか、こうして鍋を取り分けてもらうのってさー、新婚さんみたいだよねぇ」
この、馬鹿がッ!!
何を満面の笑みでそのようなことを恥ずかしげもなく…ッ!!
「幸せだよねぇー、こうして鍋を挟んで差し向かいでビール飲めてさ。それどころか、御剣がぼくに鍋を取り分けてくれるなんてさぁ…夢だったんだよね」
もう酔っているのか、成歩堂はフヤけた笑顔のままビールを飲み、器を箸でつついては嬉しいなぁとか呟いている。
「全く、キサマの夢はお手軽なことだ」
私は軽くため息をついて、食事の続きに取り掛かる。
しかし、この状況を謳歌しているのは…成歩堂よりも私の方かもしれない。
きちんと同じ大きさにそろえて切られた野菜や、肉や魚。料亭のそれとはもちろん違うが、家庭的な具材と味は、私の食欲だけではなく、心をも満たしていく。揃えられた茶碗や箸や湯呑み。小皿や盛皿も、和風を意識して設えたらしい。
ずっと家庭的なものから遠ざかっていた私にとって、こうした食卓は憧れでもあったのだ。
「ぼくね、大学入学と同時に家を出たからさ、ずっとウチごはんは侘しかったんだよね」
「そうは思えないが…君ならば仲間がたくさんいただろうに」
「もちろん、友達とワイワイ飲み食いはしたけどさ、鍋ってあまりやろうって気にはならなくてね…今思うと不思議なんだけど」
「そんなものなのか?」
「けどお前と再会して、真っ先に思ったのは『御剣と炬燵で鍋を食いたい』だったんだ」
「………」
それは……喜ぶべきこと、なのだろうか?
「なんかね、やっぱ昔を引きずってるのかもしんないけど。冬の楽しみをお前と色々味わいたくてさ。子供の頃に出来なかったこととか、色々やりたいなぁって……ずっと思ってて。そん中のひとつが『炬燵で鍋』だったんだ」
「………他にも色々あるだろうに」
「うん、まぁね。でもこうしてビール飲んでしょーもないこと喋って、酔っ払いながら鍋つついて…って実現できた今は、とっても満たされてる感じがするよ」
うム、確かに、な。
「ありがとうな、御剣」
「は?いや、礼を言うべきなのは私の方なのだが…いつも食事の世話になって申し訳ない」
「いやいやいや、そうじゃなくて!申し訳ないとか思われると困るんだけど」
「しかし、週末の君の負担が増えたのではないのか?」
「だから、ぼく好きでやってるんだからさー。そういうのナシにして」
「うム、了解」
そんな酔っ払い同士の会話を経て、お互い何本目かの缶ビールを開ける。
「冬ってさ、ぼくらの仕事が増える忙しい時期だけど、楽しいイベントもたくさんあるんだよね」
「……ああ」
「去年はできなかったクリスマスとか。年末年始の大騒ぎとか、初詣とか…今年はめいっぱい堪能しようよ」
「……遊ぶことばかりだな」
「そりゃそーでしょ!なんてったって冬休みだし!」
「……君はワンシーズン丸々休みにでもするつもりか?」
「ま、それは贅沢な夢だけど。今年の冬のコンセプトは『御剣と冬休みを堪能する』!昔できなかった冬休みを再現するのがテーマね。クリスマスと年末年始はぼくんちで過ごすんだよ?炬燵でみかん。年越し蕎麦に紅白歌合戦。年が明けたら初詣におせちに雑煮。……いいよね、日本の古式ゆかしい年末年始の風景って」
一人で盛り上がる成歩堂を眺めながら、私はビールを飲む。
長年、クリスマスも年末年始も、自分には関係の無いものだと思っていた。しかし今の成歩堂の話を聞いていると、二人で過ごすであろうその日々が容易に想像できた。不思議なことだ。
「御剣、もしかして馬鹿だなぁって思ってる?」
「いや」
「本当に?呆れた顔してたよ今」
「いや、例えそう思っていても顔には出さぬ」
「ぐっ」
「ただ…いいものだなと、思っていたのだよ」
「えっ、何が?」
「こうしてのんびり先の予定を立てながら、炬燵で食事をするのが、な。まるで家族のような気持ちになる」
そう言った瞬間、成歩堂は私の隣に移動し、いきなり手を掴んだ。
「な、なるほ…?」
「そーなんだよ御剣!!ぼく、なんで『御剣と炬燵で鍋』なのか自分でも不思議だったんだけど。でも今分かった!炬燵で鍋ってのはそういう象徴だったんだよ!!」
一体なんなのだッ!?
「どーしよー、今すぐ御剣にキスしたい!」
「ばばば馬鹿者!私はまだ食事中だ!」
「だってー!」
「そもそも何だというのだ!?いきなり…」
「うん。御剣と家族になりたかったんだ、ぼく。今すぐじゃないけど、ちょっと先の将来、一緒に暮らせたらいいなぁって…生涯のパートナーとして、さ」
「………それの象徴が鍋、だと?」
「うん」
にこりと笑った成歩堂は、次の瞬間は真面目な顔で私に唇を寄せてきた。
唇をかるく啄ばまれ、体が離れると成歩堂は照れくさそうに笑った。
「ま、今はまだ恋人同士を堪能したいけどね。いつか家族になれたらいいよね──さ、次はこれで雑炊だよ?食べるよね?」
「ああ、いただく」
成歩堂はほぼスープだけになった鍋にご飯を投入し、次いで卵も溶き入れた。
優しい湯気の立つ鍋の向こうで、酔っ払って赤い顔をした成歩堂が、鼻歌交じりで楽しそうに笑っている。
いつか遠い昔も、このように家族で食卓を囲んでいたことがあった。
少し酔って上機嫌な父と、笑って料理を運ぶ母。私も学校であったことを喋りながら、ご飯のおかわりをしている。
ふと、そんな風景が浮かんだ。
ずっと思い出すことがなかった、家族の光景──封印していたはずの過去。
しかし、思い出したからと言って心が乱されることは無かった。
むしろ懐かしく、愛しい記憶となって蘇る。
こうして、父と母の笑顔を穏やかに思い出せるのは。
「成歩堂」
君のお陰だ。
「ん?何?」
「クリスマスには、私のマンションへ来ないだろうか?」
「えっ、御剣んちでいいの?」
「ああ、もちろんかまわない。それと、だな、私の家にも鍋を置こうと思う。何を買えばいいだろうか?」
一瞬、きょとんとした顔をした成歩堂だが、すぐににこりと頷いた。私の意図が分かったのだろう。
「じゃあ明日買い物に行こうか?」
「うム、時間があれば…」
「んー、それはお前次第かなぁ?」
「そ、それこそキサマ次第だろうがッ!」
「はい、できたよ雑炊」
私の目の前に、ほかほかとした雑炊の茶碗が差し出される。
「う、うム、すまない」
「今度は御剣んちでも鍋しようね。」
「私も何か作れるように……努力、する」
「じゃあ一緒に作ろうよ。今はいろんな鍋料理があるから、飽きないよ」
「うム、ではそうしよう」
こうした日常的な幸せを思い出させてくれた君に、私からも何かできれば良いのだが。
とりあえず私の自宅でも君が寛げるよう、鍋のひとつも購入してみるのも良いだろう。
硝子の箱庭の如月みずは様よりサイトの7632カウントを踏んで頂きました。
何か食べているナルミツ。というリクエストをさせて頂いたのですが、ふんわり温かなご飯風景に、ホッと安心です。
御剣にとっては、本当に想像もしなかった幸せな時間だと思うので、物凄いものを貰ってしまった!と思いました。
如月様、ありがとうございました。