花まつり



「なぁ、それで、クリスマスって、何なんだよ。」
 手伝いと称して、傍に置いておきたいものをキッチンに呼びつけたのだが、呼ばれた方は、あまり深い事を考えてはいないようだと、その質問を聞いて、サンジは小さくため息をついた。
「何って。知らねぇの?」
 ゾロは、テーブルの上に並べられたボウルの中から、砂糖漬けの果物を取り出しては、ペティナイフでそれを小さく刻んでいる。
 刃物に慣れているから、というわけではないと思うが、意外にゾロはそういう細かい作業を器用にこなす事を、今日初めてサンジは知った。
「ツリー飾って、サンタがプレゼント持ってくる。ってのは知ってる。」
 でも、なんか、謂れがあるイベントなんだろう? と、ゾロは手元に下ろしていた視線をサンジへ向けて問い掛けた。
 クリスマスのパーティーをしよう、と言い出したのは、勿論ルフィで、それに、チョッパーの誕生日を祝ってやれと言ったのは、ゾロだった。
 結局、チョッパーの誕生日祝いとクリスマスのパーティーをまとめてしてしまおう、ということになったのだが、ならば、いつもより豪華に行かねばと、船を挙げての準備で大忙しなのだ。
 船の飾り付けはウソップの指揮の元、ルフィとチョッパーがせわしなく動き、ナミやロビンも、楽し気にその準備につきあっていた。
 ゾロも、最初はそこにいたのだが、珍しく、キッチンの人手が足りないと言って手伝いを求めたサンジによって、料理の担当に振り替えられていた。
「クリスマスってのは、キリストが生まれた日で、それを祝うんだよ。」
「……誰、キリストって。」
 なんで、それを知らない人間まで祝うんだ、と、ゾロは不思議そうな顔をして問い掛け、また、砂糖漬けを刻みに掛かる。
 トントン、とゾロがナイフを動かす音を聞きながら、サンジはまたも、隔たりを感じて粉を篩う手を止めて、ゾロが本気で言っている事を確認する。
「神様の遣いだよ。預言者。」
「占いする奴らのことか?」
「そっちじゃなくて……神様の言葉を伝えてくれる人。」
 よくある間違いを正して、サンジはそんなものを信じていた時があったかな、と、考えた。
 船に乗る前は、教会に出掛けた事もあったけれど、教会の祭壇に飾られた像を見て、その人の語った言葉を聞かされて、それをきちんと理解していたかと聞かれると、まだ子供だった自分には、よくわからない事だったとしか言えないような気がする。
 クリスマスに教会に行ってお祈りするのも、両親がするからしていた事だったし、貰えるクッキーが嬉しかったというのも大きかった。
 クリスマスのプレゼントは勿論楽しみで、朝になってツリーに駆け寄って、プレゼントの数を数えたりしたのも記憶にある。
 バラティエにいた頃は、クリスマスは稼ぎ時で、家族連れのディナーを必死になって用意していた記憶が殆どだ。自分達の為の祝いの料理なんて、終わってからの賄いのテーブルに、珍しくシャンパンが用意されるとか、そんなものだった。
 仕事が一番重要だったから、一緒にディナーを楽しむ女性達もいるわけもなかったし、終わるのを待っていてくれるような、そこまで親密な相手もいなかった。考えてみると、かなり悲しい状況だ。
「ああ……じゃ、花まつりみてぇなもんだな。」
 嘗ての自分を思い出してしんみりしていたサンジは、ゾロの言葉を聞き逃しそうになり、慌ててそちらに意識を向けた。
「ハナマツリ?」
 また、知らねぇ言葉が出てきたぜ。クソジジイ。
 思わずそこにいない人物に語りかけ、サンジはゾロの説明を待つ。
「お釈迦さんの誕生日のお祝だ。」
 『オシャカサン』の話は、前に聞いた事がある。『三千世界』って何よ? と聞いた時に、ゾロの暮らしていた村の宗教観を教えてもらったのだ。
 確か、『悟りを開いた』とかいう偉い人で、どこぞの国の王族に生まれたのに、その地位を捨てて、人々を救うべく行動したとか。
 立場としては、キリストと似ているから、ゾロの言うのは、間違っていないだろう。
「祭りなの?」
「ん〜。本当は、灌仏会とか言うんだ。確か。」
「カンブツエ?」
 ゾロの持ってる知識は、どうも、自分にはちょっとわかりにくいのが多いと、こんな時にサンジは思う。
 漢字とか書かれると、さっぱりだ。あの難解な文字の一つ一つに意味があるってのも不思議だし、あれを綺麗に形取って書いていくゾロには、驚かされた。そうサンジが言うと、ゾロは、俺にはお前の書く文字はよくわからねぇと、ぼやくのだが。
 でも、ゾロの教えてくれた算盤は結構役に立ってると、サンジは思い至る。
 紙にガリガリ書込んで計算をするサンジを見て、ゾロがウソップに作ってもらってくれたのだ。作ったウソップも凄いものだと思うが、わざわざ自分の為にゾロが頼んでくれたかと思うと、感動もひとしおだった。
 そんなことを思い出したサンジの目の前で、ゾロは難解な文字を粉の上に書いた。勿論、サンジにはそのどれがどの音に当たるのかすら、わからない文字ではあるが、ゾロは気が向くと、そうして文字を書いてみせるのだ。
「でもまぁ、花まつりのが、よく使うな。」
 粉で白くなった指もそのままに、ゾロはまたナイフを持って作業に戻った。
 やっぱり、ゾロだって、俺の傍にいるのが嫌いだってわけじゃないんだと、サンジは思わず頬を緩ませた。
 ずっと黙って、二人で向き合っているのに作業だけしていたから、ゾロだって、何か話がしたかったのだろう。そんな事を言ったら、ゾロは否定するかもしれないけど、こうやって、俺の質問に答えてくれれば、それくらいわかるってものだと、サンジは口には出さずにゾロに語りかける。
「で、それは、何する祭りなんだ?」
 知らないものを知るのは楽しい。それが、ゾロの知っている事で、自分の知らない事なら尚更に。
 そう思ってサンジ問いかければ、ゾロがちゃんと答えを返すのは、きっと、ゾロもサンジしか知らない事を知りたがっている証拠だと、サンジは思う。
「誕生仏をな、…って、誕生仏ってのは、お釈迦さんが生まれた時の姿をしてる仏像なんだけど…それを、花で飾った御堂に入れて、それに、甘茶をかけるんだ。」
 ゾロは、サンジが篩った粉に、不思議な形の絵を描いて説明をする。多分、上と下を差している人の形なんだとも思うから、それが、『タンジョウブツ』の形なんだろうと推測して、サンジはゾロの指の動きを追い掛けた。
 続いて、ゾロの指は、幾つもの文字をサンジの前に描いてみせる。どうやら、篩った粉に文字や絵を描くのが気に入ったみたいだと、サンジはその表情が楽しそうなのを確認して思った。こういうところ、ゾロはルフィといい勝負の子供みたいなものなのだ。
「甘茶って?」
「……わかんねぇ……甘い飲み物なんだけど…俺は、あんまり好きじゃなかった。」
「飲む物なのか? なんで、それを仏像にかけるんだよ。勿体無ぇことしやがる。」
 食べ物を粗末にするなんて、例え、飲む物とは言え、口に入れられる物を無駄にするなど、サンジには納得いかない事だった。そんなものを、宗教が奨励していいものか。
「かける甘茶は、御堂の底んとこにあるんだよ。それを掬ってかけて、それがまた底に溜まるようになってんだ。」
 飲むのは、別に用意するんだ。と、ゾロは答え、サンジはそれならばまぁ、許すか、と思った。
「で、なんでかけるの?」
「お釈迦さんの生まれたのを祝って、竜王が空から甘露を降らせた。って謂れがあるんだよ。」
 だから、それにならって、仏像に甘茶をかけて、誕生を祝うのだ。
「……ふぅん……」
「クリスマスみたいな、楽しいイベント、って感じでもねぇけど。」
 ケーキが食えるわけでもないし、プレゼントも貰えないし、子供にはあんまり人気ねぇからな。とゾロは言う。
 ゾロにとって、クリスマスと言うのがあまり神聖視されていないことと、人気がないと言いながら、自分はちゃんと説明ができる程に、それに慣れ親しんでいるのだと知れて、サンジはそれがまた嬉しく感じる。
「知らないけど、クリスマスのパーティーはするのか?」
「うちは、あんまり派手にはしなかったけど、まぁ、皆してるからな。」
 手袋とか、新しいコートとか、ばあちゃんがくれた。と、ゾロは答え、サンタクロースは信じてないのだな、とサンジは思った。
 サンジは、サンタクロースをずっと信じていた。プレゼントをくれるのはサンタクロースではないのは気付いたけれど、それはいるものだと思っていたのだ。まぁ、いたって、会えないものかもとは思っていたけれど。
「やっぱり、そういうのを祝うってのは、皆、なんか、救われてぇって思ってるって事なのかな…」
 あらかた砂糖漬けを刻み終わったゾロは、しみじみとそう呟いて、サンジはその内容に驚かされた。
「……お前も、救われたい、なんて思うの?」
 神様に縋るような気持ちになる事があるのか? と、それが意外で、サンジは思わず問い掛けた。
 ゾロは、いつだって真直ぐに立っているから、誰かに頼ったり、縋ったり、そんな事を考えたりするとは思わなかった。
 まして、その口から、『救われたい』なんて言葉が出るなんて、サンジは考えた事もなかった。ゾロはきっと、救いなんてものを求めたりしないんだろうと、何の根拠もなく、それでも疑いもせずに思っていたのだ。
「時々は、まぁ、俺だって、弱気になる事もあるさ。」
 ゾロは苦笑を浮かべてそう答え、サンジはその答えに思わず、ゾロの手をがつりと握りしめた。
「…?」
 吃驚したように顔をあげたゾロは、自分を睨むように見据えているサンジに驚いて、何ごとかを言おうとしているのを待った。
「…か……神様に縋る前に……俺に……。」
「サンジ、飯!!」
 縋ってみませんか。という言葉は、タイミングよく開けられたドアを開けた人物の声によって、かき消された。
「………何してんだ?」
 ゾロの手を握るサンジの姿に、ルフィは首を傾げ、サンジはその狙ったようなタイミングに、ギッと、ルフィを睨み付けた。
「キッチンに入る時は、ノックしろって、いっつも言ってんだろ!」
 これでゾロも、俺にメロメロだぜ〜。なんて思ってたわけではないが、少しくらい素直に靡いてくれたりしないかなんて思っただけに、ゾロの大好きなルフィが現れた事に腹が立つ。
「だって、腹減ったんだよ〜。」
 ルフィはサンジの睨みに怯みもせず、戸口でどたどたと足を踏みならして主張する。
 サンジの意識がルフィに向いた事で弛んだ拘束に、ゾロはそっと自分の手を引いて、刻まれた砂糖漬けをボウルに移動させ、ぎゃぁぎゃぁと応酬を始めるサンジとルフィに関わらないようにと、立ち上がる。
「ゾロ、お前は、まだここで手伝いだ!」
 逃がすか。と、サンジの叫ぶのを聞いて、ゾロは小さくため息を漏らしてそのまままた腰を下ろす。
「お前は、これでも食ってろ!」
 叫びと共に投げ付けられたクッキーを、ルフィは器用に口で受け止め、そのまま首を傾げた。
「固ぇぞ。サンジ。」
「ゆっくり、味わって食え!」
 あれは、ツリーに飾るのだと言っていたクッキーではなかったろうか、と、ルフィの口に放り込まれたクッキーの置き場所を見やり、ゾロは思った。
 蜂蜜を入れて焼いたというそのクッキーを、食べてみたいと言ったら、食べる物じゃないからやめておけと言われたのは、ついさっきの事だ。やっぱり、食べられるんじゃないかと、ゾロは少しそれを不服に感じる。
 サンジは、ゾロがルフィに構い過ぎると言うけれど、サンジだっていい勝負だと思う。
 テンション上がりっ放しで、こちらの事など気にも掛けていないようなサンジに、ゾロは小さくため息を漏らした。
 
 
 救われたいと思う事はあるけれど、自分は神に祈る事もないし、縋る事もない。
 だけれど、例えば縋らなくても、縋っていいのだと言われるのは、それだけで救いだという事を、ゾロは知っている。
 それが、ずっと以前に自分の手からすり抜けていってしまった事も。
 
 
「……まぁ、気が向いたらな…」
「何?」
 振り返ったサンジに首を横に振って、次は何をするのだと、ゾロは問い掛けた。

 
 

クリスマスなのに、実はクリスマスのはないじゃないようなお話。
どうやら、ゾロは日本人。サンジは西洋人。そんな感じでお話を作っている模様。
ちなみに、蜂蜜入りのクッキー、レープクーヘンは、食べるのと、飾るのとあるらしい。ドイツの菓子です。サンジは、シュトーレンを焼いただろうか…

(2003.12.24)



夢追いの海TOPへ