いるもの



「世の中には、いらないものがいるって、本当かな?」
 背中側から聞こえた声に、ちらりと視線をやって、その小さな背中にそっと息をつく。
 不寝番の見張りの定位置、メインマスト上部の見張り台に、彼が一人で上がってきたのは少し前。船で一番の宵っ張りのコックが眠りについてからの事だった。
 彼がこうして、夜遅くに来るのは初めての事ではない。そしていつも、ただじっとそこに座っているのが常だったけれど、今日、やっと口を開く気になったらしい。
 この小さな仲間は、とても心根が優しく、何か少しの事でも悲しんだり喜んだりの起伏が激しい。今は丁度、悲しい気持ちが膨れ過ぎてしまっているだけの事なのだろうけれど、根本には彼自身の深い傷があるのも確かだ。
「………これは、俺がガキの頃に、村の和尚から聞いた話だから、俺も何だかよくわからなかったんだが」
 何の折にか、祖父母に連れられて行った先で、ふと気になって聞いたのだ。
『いらない子っているの?』
 自分がいらないと言われた記憶はない。だからきっと、誰かがそう言うのを聞いたのだろうと思う。
「世の中に要るものは、居るものなんだとさ。」
 背後の彼が、不思議そうに首を傾げて振り返るのが気配でわかる。
「それで、居るものは、要るものなんだと。って事は、世の中には要らないものなんてないって事だ。」
 流石に和尚だけあって、子供の頃にはさっぱりわからなくて、今でも今一つ嘘臭く感じる言い分でもある。
 単に、全肯定したいだけの言葉と取れなくもないからだ。
「悪い人も?」
 小さな仲間は、小さな頃の自分と同じ事を問いかける。
 振り返って、彼の視線に近付く為に腰を下ろせば、不安に揺れる目がじっとこちらを伺ってくる。
「悪い人ってのは、悪い事をした人の事だな。」
 小さく同意するように頷いて返して、彼はぽふりとその場にしゃがむ。
「物凄く悪い事をした人間でも、もしかしたら、良い事をする事もあるかもしれないだろう?」
「そうだな。」
「その、良い事をしている姿しか見てない人がいたら、その人にとって、そいつは悪い人間か?」
 問いかければ、ピンクの帽子は横に振られる。
「その良い事が、自分にとって良い事だとしたら、その人にとって、そいつはとても有り難くて、いてほしい人になると思わないか?」
 戸惑うように、小さく頭が縦に動く。
「俺の事もな、どこかで物凄く恨んでる人間がいると思う。あんな奴はこの世にいなければいいとか、あんな奴は早く死んでしまえばいいとか、思ってる人間もいると思う。」
「俺は思ってないぞ! 俺は、ゾロがいないと嫌だぞ!」
 ハッとしたように俯いていた顔が上がって、必死に言い募る姿が、彼の優しさと彼の傷を表わしているのだと最初に言ったのは、この船の良心のような奴だ。
「俺も、お前がいねぇと嫌だよ。」
 そう言って、ひょいと膝の上に抱き込んでしまえば、わたわたと暴れて、暫くしておとなしくなる。
「この世の人間の全部の意見が纏められるわけはねぇから、この世にいない方がいいものがいるなんて、ないんだってさ。」
 意見を聞いていない誰かが、その何かを肯定するかもしれない可能性は捨てきれない。だから、世界中から否定されるものは存在しない。
 故に、この世に居るものは、要るものなのだ。
 何度聞いても、こうして誰かに話しても、今一つ信用しきれない意見ではあるけれど、そういう考え方も世の中にはあるのだという事は、知っておいてもいいのではないかと思う。
「神様は、無駄なものは作らねぇ。っていう意見も、聞いた事はあるけどな。」
 なんだその全面的な依存思考は。と思って呆れたのも事実だが、自分が生きている事を必死に肯定したい人間が唱えた説だと言うのなら、そういう考え方も有りだろうとも思った。
「とりあえずお前は、この船には要るんだから、諦めてここにいろよ。」
 他の誰かの意見は知らないが、この船に乗る人間は、皆がそう思っているのは間違いない事だ。
「………うん」
 眠っている人間を起こして話を持ちかける事もできない優しい彼は、相談事にはあまり向かない不寝番に相談にやってきた。
 そんな彼が、いない方がいいなんて言う奴がいたら、そいつは何もわかっていないのだと言ってやりたい。
「もう寝ろ。」
「うん。おやすみ。」
 ここへ上がってきた時とはまるで違う顔で、彼は見張り台からおりていった。

 
 

悩むチョッパーと、悩み終わってるゾロ。
そろそろ、何か更新しないとまずいなぁ…と思ってたところに、ふいに降って湧いたので、深いところは突っ込まないで頂きたい。
別に、こんな話を私にした和尚がいるわけではありません。

(2006.1.20)



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