15年前の今日、自分が産まれてきた事を喜んでくれた人がいる事を知っている。
その人達が今何をしているかもわからず、一番喜んでくれた人達は既にこの世にはいないけれど。
今、自分の周りには誰もいなくて、どこかで自分が産まれてきた事を恨んでいる人がいるかもしれないけれど、でも、それだけでない事を知っている。
遠くで、自分の産まれた日を祝ってくれている人がいると信じていられる。
そういう事を、嬉しいと、幸せだと、言う事を知っている。
だから、まだ、大丈夫。
今、自分は独りぼっちで、暗い道を歩いているけれど、それは、単に今が夜であるだけの事だと、知っているから。
まだ、大丈夫。
「幸せ?」
と問われて、首を傾げた。
幸せというものについて、深く考えた事がない。
幸せでないと思った事もないけれど、幸せだと思った事もあまりない。
今までの人生の中で、それを感じる必要がなかったから。
でも、不幸でないという事が、幸福であるという事ではない事はわかる。
他人から見て、自分が幸福に見えるのかそうでないのを、考えた事がない。
けれど、数少ない、幸せを実感した時には、共通点がある事は知っているのだ。
「……そうだな。」
目の前に、綺麗に飾られたケーキの皿と、ブランデーをたっぷり入れた紅茶。
その向こう側に、笑みを浮かべる青い目。
どれも全部好きなもの。
だから、幸せだと思うのだという事を、俺はちゃんと知っているのだ。
だからもう、大丈夫。
負け犬だった、2005年ロロ誕。
お茶を濁すように日記に書きなぐったお話。
15歳の頃、一人で旅をしているゾロと、19歳になって仲間のいるゾロ。
15歳の子供が、何もかも達観しているとは思い難いので、時にはぐらぐら揺らぐ時だってあった事でしょう。それでもここまで歩いてきたのは、約束だけじゃない他の何かもあったに違いないと思う。