神成り



俺を、忘れないでくれ。
俺はお前の為に神になる。
お前の生きているこの世界の為に神になる。
けれど、お前は俺を忘れないでくれ。
神になった俺ではなくて、ここでお前と暮らしていた俺を覚えていてくれ。
俺はお前でない者の手を取って神になる。
けれど俺はお前の事だけ思っている。
お前が生きているから、俺はこの世界の為に神になる。
それを覚えていてくれ。





 太陽神となる為に自分が選ばれた時、それ程驚いたりはしなかった。
 それは名誉な事であったし、自分には将来を言い交わした者もいなかったから、それを嘆く者もいなかった。
 神殿に入り、女神として選ばれた少女と出会い、自分達の世話をする人々と出会った。
 その時、彼に会ったのだ。
 俺は、その時初めて後悔した。もっと早く彼に会っていれば、俺がこの役目を負わされなければと思った。
 この先のない生活の中で、俺は初めてそれを嘆いた。





「サンジ、食事はどうする?」
 そっと入口の布が上げられ、鮮やかな若草色の髪の青年が姿を見せると、彼は顔をあげてにこりと笑った。
「ここで食べる。お前の分もここへ運んで来いよ。」
「……ショチケツァルはお前と食事をできないのを悲しんでるぞ。」
 そう言われて、サンジは大きくため息をついた。
「お前は、俺の世話をする役目だろう? ショチケツァルの事なんて放っておけよ。」
 手招いて寄ってきた彼の腕を引いて傍へ座らせると、彼は大きく首を振る。
「彼女だってこんな事になって、お前しか頼る相手はいないのに。」
 儀式で太陽神になる為に選ばれたサンジは、本来ならばその名前を捨ててここで神として暮らすのが正しいあり方だ。そして、彼の妻になる少女と夫婦として生活する。それを支えるのが世話係に選ばれたゾロたちの役目だ。
 それなのに、サンジはゾロだけを自分の傍に置き、女神となる少女を遠ざけてしまった。儀式の為だけに選ばれた二人である。絶対に夫婦として暮らさなければならないという事はないのだろうが、それでは彼女が不憫だとゾロは思う。
 彼女だって、他に好いた男がいたかもしれないのに、選ばれてここへ連れて来られてしまった以上、もう逃げ出す事もできず、1年後の儀式までここで暮らすしかない。そして、1年後には女神として死ななくてはいけない。それまでに、幸せな日々を過ごしてもらいたいと思ってしまう程、彼女は儚気な少女だったのだ。
「せめて食事くらい、一緒に食べるようにしてやれよ。」
 本当ならば、ゾロがこうしてサンジに意見する事だって有り得ない事だ。サンジができるだけ今まで通りに暮らしたいと願い、せめて二人でいる間だけはと認めさせての事だが、他の世話係たちはこれを知らない。
 多分知られたとしたら、ゾロはここから去らねばならないだろう。儀式の妨げになるような事になっては、この世界が危ういのだから。
「テスカトリポカの役目の一つだろう?」
 言い含めるゾロにサンジはため息をついて頷いた。
「昼と夜の食事だけなら。」
 これも惚れた弱味だとサンジは思う。ゾロの言い分は正しく、自分が身勝手な事をしているのもわかっている。けれど、1年しか時間がないのは自分も同じ事なのだ。その限りある時間を、できるだけゾロと二人で暮らしたいと願う事すら許されないのかと嘆きたくなるのも事実だ。
 相手は本当の名前も知らない少女だ。彼女もサンジの名前を知らない。ここでサンジの名前を知るのはゾロだけだ。ゾロと二人でこの部屋にいる間だけは、自分は元の自分のままでいられる。それが、サンジにとって何より大切な事なのに、ゾロはまだそこまで自分を思ってくれないのだろうか。
「お前がいなかったら、俺は彼女と幸せな夫婦になれたろうに。」
 そう言われて今度はゾロが顔色を変える。まるで何もかも自分が悪いというような言われ方である。ゾロだって別に二人の間を裂こうとしてここへ来たわけではない。太陽神と女神の為に働けるのだと喜んで来たのだ。それが、こんな事になって、戸惑っているのはゾロの方だ。
 テスカトリポカもショチケツァルもとても美しかった。自分達とはまるで違う美しい衣装を着た姿を見て、本当に神のように感じたのに、テスカトリポカはゾロを傍に置くと言い、ついには名前で呼ぶようにとまで言った。ゾロの事を好きだとも言った。
 ゾロの混乱は嘗てないものだった。男に好きだと言われた事など勿論ない。そんな話を聞いた事もない。その上それは神からの言葉である。拒否するという選択肢は当然なかった。けれど、それが神に言われたからというだけではない事が、更にゾロを混乱させた。
 サンジはとても人当たりのよい人間だった。ここで会うのでなければ、自分達はとても仲の良い友人になれたのではないかと思う、好ましい人間だった。好きか嫌いかと言われれば、ゾロもサンジを好きなのだ。けれど、相手にも自分にも立場があり、行着く先を知っている。
 サンジにはもう1年しか時間がない。それが辛いと思う程には、ゾロもサンジを好きだと思うようにはなっていた。
「ついてない。」
 頬に手を添えて口付けて、サンジは苦笑を浮かべて立ち上がった。
「テスカトリポカに選ばれた時は、色々してやろうと思う事もあったのに。」
 擬似的なものであれ、妻を迎えるのだと思えば、それを嬉しく思う気持ちもあったのに。
「………サンジ。」
「愛してる。ゾロ。」
 笑う顔が悲し気で、ゾロは言葉をなくしてその後ろを歩いていく事しかできなかった。

 
 

テスカトリポカは太陽神、ショチケツァルはその妻。
この二人は儀式の1年前から夫婦として暮らし、儀式まで何不自由なく暮らした後、儀式で生贄になります。
テスカトリポカは心臓を抜かれた後に首を切られ、ショチケツァルは心臓を抜かれた後に生皮を剥がされ、神として再生し世界を守ります。
それはとても名誉な事とされていて、テスカトリポカに選ばれると、1年の間、ありとあらゆる特権が与えられるとされています。
だからって、全員に悔いがなかったとは言えないと思うんだけれど、彼等が犠牲にならないと世界が崩壊するというわけで、儀式から逃げる事など考えられなかったのではないかと思います。



夢追いの海TOPへ