「なぁ、ゾロは、なんでそんなに必死に鍛えるんだ?」
人とは認めたくなくなると、日々、ナミにため息をつかせるバーベルを下ろしたゾロに、ぽてぽてと傍に寄ったチョッパーは問い掛けた。
「なんで、って…」
はい、と差し出されたタオルで流れる汗を拭いながら、ゾロはその場に腰を下ろして首を傾げた。
「怪我だって、まだちゃんと治ってるわけじゃないんだぞ。なのに、俺が言っても聞いてくれないし。」
なんで、怪我も治らないうちから、そんな無茶をするんだ。と、チョッパーは腰を下ろしたゾロの隣にちょこりと座って問い掛ける。
「少しも休んじゃいけないのか?」
「少しも、って事はねぇけどなぁ……」
ゾロは何と答えたものかと、チョッパーの帽子を撫でつつ考えた。
実際のところ、ここまで必死に鍛練を続ける理由があるか、と問われると、ゾロとしても自信を持ってそうとは言い切れない部分もないわけではない。どちらかと言えば、自分の満足感と趣味の問題に近いような気もするからだ。
ただ、日々の鍛練は現状を維持するには必要な事で、疲れたから休んでいいというものでもないのは確かだ。
「お前だって、毎日なんか調べてるだろう?」
「うん。俺は、何でも治せる医者になるんだからな。」
チョッパーは、彼独特の笑い声を上げ、ゾロはそんなチョッパーを抱き上げて立ち上がり、更に持ち上げて肩に乗せる。
「ゾロ?」
「俺も、世界一の剣士になるために、休んでるわけにはいかねぇ。」
下ろしたバーベルを拾い上げて、チョッパーを肩に乗せたまま鍛練を再開すると、チョッパーはゾロの頭に掴まりながら、上からゾロの顔を覗き込む。
「でも、あんまり無茶をすると、体に負担もかかるんだぞ?」
「そうだな。」
チョッパーの言う事が正論なのは、ゾロにもわかっている事だ。怪我の治らない体で無理をしても、自分が満足するだけで、本当はあまり意味がない事なのだと思う。
それでもやめられないのは、自分が弱いせいだと思う。まだ弱いから、手を止めたくないだけ。
「………オレ、何でも治せる医者に、なれるかなぁ。」
暫く黙っていたチョッパーが、小さな声でそう呟いた。
ぎゅっとしがみついてくる手と、心なしか弱くなった声に、ゾロは苦笑を浮かべた。
「不安か?」
「……だって…そんなの、誰もなった事ないんだぞ?」
俺にできるのかな。と、小さく呟いた声と、頭にぶつかった帽子の感触に、ゾロは笑みを漏らす。
「誰もなった事がないだけだろ?」
「……ゾロ?」
「お前がなれねぇって話じゃねえ。」
浮き沈みの激しい小さな船医は、こうして時々ゾロの傍にやってきては、怪我を心配してくれる。
これまで、こんな風に自分を心配してくれる者は少なかったから、慣れないながらも、遠ざける事もできずに、こうして傍において話などするのだが、こんな弱気を見せるのは久方ぶりではないだろうか。
「俺は、ミホークを倒して、世界一の剣士になる。これまで、あいつに勝った奴がいないから、俺も勝てないって、そんな話があると思うか?」
一度負けたから、次も負けるなんて決まりがあるか?
「……でも、難しいんだろ?」
だから、いつも鍛えてるんだろう? と、チョッパーは問い掛ける。
ゾロの日々の鍛練を見ていれば、ゾロが勝とうとしている相手がどれほど凄いのか、チョッパーにでも想像がつく。それに、ゾロの怪我を見れば、どれほどの事だったかだってわかるものだ。
「そうだろうな。」
最初は簡単に考えていたけれど、あれだけ負ければ、嘘でも簡単な事だなんて言えるわけもない。
それでも、それだけの事だ。
勝つ事は難しいだろうけれど、あの日負けた自分は、この先一生勝てないという意味じゃない。
「お前だって、難しいと思うから、毎日勉強してんだろ?」
「うん。」
「俺だって、だから鍛練してるんだ。」
「……そうか…」
「でもまぁ、お前が言うなら、程々にしとくか。」
振り下ろしていたバーベルを肩に担いで、倉庫に足を向けるゾロの肩の上で、チョッパーは笑みを浮かべる。
「俺が何でも治せる医者になったら、ゾロがどんなに怪我しても、俺が治してやるからな!」
「ああ、頼むな。」
元気になったらしい事に安心して、ゾロは腕を伸ばしてチョッパーを肩から下ろしてやる。
「だから、ゾロも、世界一の剣士になるんだぞ。」
「ああ。」
約束だ。と、ゾロの後ろをついて歩くチョッパーに言われて、ゾロはそれに頷いてやる。
「ついでに、競争でもするか?」
振り返って問い掛けると、うっと詰まって、チョッパーは困ったように下からゾロを見上げる。
「……ま、早さを競う事でもねぇか。」
笑ってそう言ってやれば、チョッパーはほっとしたように頷き、ゾロの先に立って倉庫のドアを開ける。
「ゾロは、早い方がいいのか?」
「いいな。」
急がなくては、ミホークが他の誰かに負けるかもしれない。まぁ、そうなったらそうなったで、ミホークを負かした相手を負かせばいい話だが、戦って負けるのではなくて、老衰で死なれたりしたら堪らないではないか。
それで世界一になったとしても、『ミホークが生きている間は勝てなかった』と、延々言い続けられるに違いないのだ。そういう勝ち逃げをされるのは冗談じゃない。
「だったら、鍛練も大事だけど、怪我もしないようにしなくちゃダメだぞ。」
「……気をつけるよ。」
ゾロは苦笑を浮かべ、それでも怪我を心配するチョッパーに、小さくため息を漏らした。
「お前さ、ミホーク倒して、世界一になったら、どうすんの?」
夜も更けて、キッチンへ酒を飲みに来たゾロは、火の前で明日の仕込みらしきものをしているサンジの背中を見ながら、のんびりしていたところに問い掛けられた言葉に首を傾げた。
「どうって、なんだよ。」
似たような事を、目標であるミホークにも問われたが、ゾロは今一つ、その質問の意図が読み切れていなかった。
世界一になる事にどんな意味を求めるか、というのが、ミホークの質問だろうかと思い、あれから鍛練を続けながら、色々考えた。
世界一の剣豪として、多分、多くの挑戦者を退けてきたのだろう、ミホークの様子を思い返すと、世界一と言うものが、やたらとつまらないもののように感じているように思えた。
船団一つ潰すのでさえ、つまらなさそうな顏で、『暇つぶし』とか言っていたし、後から思い出して浮かんだものは、ああいう大剣豪にはなりたくないな、という事だった。あの時は、目の前にいる目標に、周りが見えていなかったから、そんな事欠片も思わなかったし、問われた言葉の意味もさっぱり理解が及ばなかったのだけれど。
「だから、世界一になった後の事だよ。」
くるりと背中が振り向いて、サンジはゾロがそちらを眺めていた事に驚いたように、微かに肩を震わせた。
「次の目標はどうすんだ?」
問われて、その意味がよくわからなかった。
「どうもしねぇよ。一度勝ったら一生世界一ってわけじゃねぇんだし。」
それまで、ミホークに向いていた目が、自分に向くだけだ。それを退けなくては、あっという間にその地位は自分の物ではなくなって、『まぐれだった』とか、失礼な事を言われるわけだ。しかもそれは、『まぐれで勝たれた粗忽者』などと、ミホークの立場すら失墜させるわけで、倒すべき相手として、尊敬の念のないわけでもない人間の事を考えると、責任は重いとゾロは思う。
まぁ、ミホークが死んでいれば、その辺はあまり言われないかもしれないけれど。
「それに、今度は、あいつが追っかけてくるんだろ? ぼんやりしてる場合じゃねぇ。」
「………あいつって、鷹の目か?」
ゾロの言葉に驚いて、サンジが問い掛けると、ゾロは当然と言った表情で頷いた。
サンジは、剣士の戦いとは、生死を賭けるものだと思っていたのだが、ゾロはそうは思っていないのかと、驚かずにはいられなかった。
例えば、最初に見た二人の戦いでは、ゾロは自分が死ぬ事まで覚悟したのだとは、見ていてわかったし、ああまで見事に負ければ、殺されて当然の事と、サンジは思った。
だが結局、ミホークは加減をしてゾロを生かした。ゾロは、生かされた事に何の屈託も見せず、ただ黙々と、鍛練に励んでいる。
その点で見て、剣士の戦いに関する心構えは、サンジの思うものと少々ずれがあるのだろうが、それでも、ゾロがミホークを殺す気などない事もよくわからなかった。あれは、『殺す気でかからねば殺される』相手ではないのだろうか。
「……殺さねぇの?」
「なんで。勿体無いだろ?」
ゾロはサンジの問いに、考えもしない事を聞かれたような、きょとりとした表情でそう答えた。
「勿体無いって……」
勿体無いから殺さないって、どういう理由なんだと、サンジは少々呆れ気味に苦笑を浮かべた。
「だってお前、思い出してみろよ。あいつ、物凄く、つまんなさそうな顏してただろ? 暇つぶし、とか言って、船団一つ潰すような、そんな世界一は俺は嫌だ。」
自分と近い実力の持ち主がいないから、挑んでくる相手が弱すぎるから、だからつまらないのだと言うのなら、自分と拮抗する実力を持つ人間を、殺してしまうのは勿体無い。そんな、命を取らなければ勝てないような戦いになんてしない。
「だからって、お前…」
「だから、あいつが俺に手加減したみたいに、俺もあいつに手加減できるくらいに強くなりゃいいんだろ?」
「そんなの…」
「できねぇ、と思うか?」
問い返されて、サンジは言葉に詰まった。
ゾロの負けを見てしまっているサンジには、どうしても、そんなゾロの望みが夢物語のように聞こえてしまう。あの時の、ゾロとミホーク程の実力差を、逆転できるなんて、可能だとはとても思えない。
「……お前ならできるって、言ってやりたいけど……」
ゾロの毎日の鍛練や、あれ以降の戦いを見ていれば、ゾロの実力が桁違いに上がってきたとは思う。それでもサンジは、次にゾロがミホークと戦って、勝てるだろうかと、無事に戻ってくるかと、不安ばかりが先に立つのだ。
「一度負けたから?」
「………」
ゾロだって、わかっているのだと思う。まだ、自分の実力では叶わない事は。それでも、ゾロはその夢を諦めたりはしない。だから、毎日の鍛練を欠かさない。
「俺は、ミホークに勝つ。できそうにもなくても、俺はやる。」
俺にはできる。と、ゾロは言わなかった。そんな自信過剰な言葉は口にできない程、ゾロにもその力の差はわかっているのだ。それは、端から見ているサンジの感覚とは違い、実感できるものであろうし、もしかしたら、サンジが考えている以上の差を、ゾロは感じているかもしれない。
「次にあいつと戦う時は、あいつよりずっと強くなっててやる。」
誰が無理だと言おうと、どんなに遠い話だろうと、そうと決めたのだから、必ず成し遂げる。
「次で決めるの?」
「三度目はねぇよ。」
「なんで。」
一度目に、ゾロの力を認めたのだから、無下に殺す事はないだろうと、サンジは思う。だけれど、ゾロはそうは思っていないらしい。
「一度目があったから、二度目があるなんて思ってるような奴を、あいつが認めると思うか?」
そんな甘えた考えで自分にかかってくる人間を、自分に挑むものとして、ミホークが認めるとは思えないし、自分がそんな甘えた考えで剣を持つような人間であるのは、御免だと、ゾロは思う。
次こそ勝つと、勝てると思うだけの実力をつけて挑むのでないのなら、あの男は多分、次こそ自分を殺すだろうと思う。そんな、相手を馬鹿にしたような人間など、再度彼に挑む資格など認めてはくれないだろう。
自分を生かした男は、再度挑む資格を与えてくれたのだ。多分、彼も、そうして戦う事を望んでいたのだろうと思う。だけれど、彼が戦う相手として認める程の、技量を持ったものがいなかったが故に、彼はああして、愚にもつかない事を繰り返して日々を送っていたのだとしたら、その資格を与えられた自分は、どれ程の期待を掛けられているかと、最近になって、思うようになってきた。
ならば、彼が最初からあの刀を抜きたくなる程の人間になってみせると、そうして、彼を倒し、世界一の座を手に入れて尚、あの男と戦う日をなくしてなるものかと、思った。
「あいつが生きてる間に、あいつと戦って、殺さずに勝てる程に強くなる。」
大体、俺は殺そうと思って戦った事なんかねぇし。と、ゾロが言い切るのを聞いて、サンジは更に驚いた。
「…そうなの?」
サンジは、死んでも仕方ないよな、と思って、敵と戦っている。正直、蹴り殺せる相手なんてそうそういないが、自分に突っかかってくる相手を、生かしてやらねばならぬ理由もないと思っている。
それに、ゾロの普段の戦いぶりを見ていると、どう見ても、生かして終わらせようなんて意図は見えない。思いのままに剣を振り、血飛沫を上げさせているではないか。
「そりゃまぁ…加減しきれなくて死んだ奴もいるし、手当て間に合わずに死んだ奴もいるだろうけど。」
剣の戦いは血が流れるから、放っておかれれば、出血多量で死ぬだろうが、戦いの後の面倒まで見ていられない以上、そういう結果が出る事はどうしようもない。
でも、ゾロは人殺しで世界一を目指したいわけではないから、できるだけ殺さずに済むようにしてきたし、これからもそうするつもりでいる。
「で、ミホークも、生かすわけ?」
「あいつだって、俺に追い掛けられたくて生かしたんだろ? だったら、俺だって、あいつを生かしときたいじゃねぇか。」
きっと、楽しくなる。と、ゾロは嬉しそうに笑った。
「……ふぅん……」
「あいつ、きっと、あれで負けず嫌いだと思うんだよな。あの剣へし折ったら、絶対、やり返しに来ると思うんだ。」
ゾロは、それはそれは楽しそうに、これまで見せた事もないような、どこか陶然としたような笑み浮かべて語り、サンジはそれを眺めて、少しだけ、それを面白くないと思った。
でもこれが、自分が惚れたロロノア・ゾロで、これが、自分に惚れていると言ってくれたロロノア・ゾロなのだから、面白くないと思っても、どうしようもない事で、俺の前で、他の男の事を、そんな嬉しそうな顔で語るな、なんて言えるわけもないのだ。
「………で、そんなロロノアさんは、俺のどんなとこが好きなの?」
何やら、色々と嬉しそうに語っていたゾロの言葉を遮って問い掛けると、ゾロは言葉を止めて、カクリと首を傾げてサンジの表情を伺った。
「ん?」
答えは? と、視線で促せば、暫く不思議そうな顏をしてサンジを見ていたゾロは、くくっ、と喉の奥で笑って、口を開いた。
「そういうこと、あっさり聞けるとこ。」
ここで、お前の事なんか好きじゃねぇ。とか、照れ隠しに言い募ってくれないのが、ゾロの凄いところで、更に、そう言って、にっこり笑いかけられてしまうと、サンジはもうどうしていいやらわからなくなるのだ。
「……俺も、お前のそういうとこ好きだよ。」
目の前で、他の男の事をうっとりしながら語っていても、呆れもせずに、自分の事を好きなんだと答えてくれるから、もし、こいつが、他の男の前で、俺の事を話す事があったなら、きっと、あんなの目じゃない程に、嬉しそうに俺を語ってくれるんだろうと、期待してしまうじゃないか。
「そっか。」
笑うゾロが、自分を呼んでいるような気がして、サンジはコンロの火を止めて、ゾロの元へ足を進めた。
誰も適えていないから、俺にも適えられないなんて、絶対に言わない。
誰も適えていない事は、誰にも適えられないって事じゃないだろう。
俺は適える。
だから、お前も諦めるな。
ポルノグラフィティの『見えない世界』は、ワンピイメージソングだと、私は思うのですが、そうでなくてもいい歌です。
でも、ちょっと、狙ってた内容と違う方向へお話が進んでしまい、あいや〜って、感じです。何故なら、同じネタを他所様で見つけてしまったから。パクリじゃないんだけど、私の方が後だから、この場合、私が退くしかないのよね。でも、退きたくなかったから書いてしまいました。
私、ゾロは意識しての人殺しじゃないと思います。浄・不浄にこだわらないと言ったからには、それまではこだわってたって事だもの。死んだ人はいるだろうけどさ…(2003.11.18)