差し出されるもの



「お前さ、そんなに酒飲むと、麻酔効かなくなるぜ?」
 瓶に直接口をつけて酒を飲む姿に、呆れたように声をかければ、奴は少し驚いたような顔でこちらを見返してきた。
「そうなのか?」
 俺の言いたかったのは、『だから、酒は控えろ』という事だったのだが、聞いた方は、声になった言葉の中身だけを受け取って首を傾げていた。
 バカでも、ガキでもないんだろうが、こういう含みを理解しない性格に、時折呆れる。これが、『血に飢えた魔獣』とか『海賊狩り』とか呼ばれていた人間なのだから、噂ってのはあてにならないな、と思う。
「俗説だ、俗説。」
 事実そうなのかなんて事は知らないが、そういう話は聞く。
 剣士と仲の良い船医に聞けば、答えをくれそうな気はするが、俗説はそのまま置いておけ。と思う。そんなの追求して間違っていたって、誰も困ったりなんかしないのだから。
「……そうか…」
 だから、あの時、麻酔効かなかったのか…、なんて小さく呟いた内容を考えて、『あの時』が、未だにはっきり残っている腹の傷を縫った時の事だと、思い至る。
 ココヤシ村での騒ぎがおさまった後、開いた傷を村の医者に手当てされたゾロは、村中に響き渡るような声を上げていた。麻酔なしでやられたのかと思っていたが、そうではなかったらしい。
「つっても、お前、最初の時は効いたんだろ?」
 酷く適当な縫い目だったが、開く前の傷には手当てがされていた。あれは、意識がない時にされた事だったのだろうか。
「麻酔掛けたら、縫えねぇじゃねぇか。」
 あっさり返された答えに、目をむいて、当然の事を主張していると言った様子のゾロの表情を伺った。
「……お前…自分で縫ったのかよ!?」
 正気を疑う。死にかけの人間が、自分の腹を自分で縫って塞ぐなんて、まともな人間が考え付く事じゃないだろう。
「おう。」
 普通に頷かれて、ため息がもれる。こいつの頭の中はどうなってるって言うんだろう。
「喚きながら縫ったわけ?」
「ンな事したら、手元が狂うじゃねぇか。」
 あのバラバラの縫い目が更に狂ったら、意味がない程だったかもしれねぇな、と思い、やっぱりこいつはどこかおかしいのだと思った。普通の人間なら躊躇う事をしてのけてしまうのだから。
「信じられねぇ奴だな…」
 自分で自分の体を傷つけるのも同然じゃないかと思う。
「怪我の手当ては自分でするもんだろ。」
 あっさりゾロは言い、それくらい人に任せればいいのだと言おうとした俺は、こいつにはそういう感覚が抜けているんだってことに気付いた。
 自分一人きりだった事がない俺と違って、ゾロはルフィに会う迄は一人で海を移動していたらしい。そうなれば、自分の事は自分でしましょう。ってのは、どうしようもなく身につく事だ。
「そういうのは、周りにいる奴に頼めばいいんだ。」
 その為に一緒にいるんだから、頼ればいいじゃないかと、俺は思う。
「……まぁ……そうなんだけどなぁ……」
 ゾロはそう言ってから、ため息をついた。
「てめぇより、青い顏してる人間に向かって、縫ってくれって言うのは、意外に難しくてな。」
 手は震えてるし、痛いなんて言ったら、そっちの方が卒倒しそうな雰囲気だったし。と、ゾロは呟いた。
 それは、ウソップが意気地がないとかそう言うんじゃなく、心配し過ぎで身動きが取れなくなっていたって事なんだってのは、ゾロの表情が困ったような嬉しそうな、なんとも表現し難いものだった事でわかった。
 こう見えて、ゾロはウソップの事を買ってる感じがする。俺に対する態度よりはずっと、好意的だからそうだろうと思うんだけど。
「包帯巻くのは上手いけどな。あいつ。」
 笑ってそう言うから、なんとなく、悔しいような気分になる。
 俺の何が気に入らないの? なんて、馬鹿らしくて情けなさ過ぎるから言わねぇけど、やっぱり、そういう事を考えるような人間だからダメなんだろうか?
 尽く、自分から遠い人間だと思う。行動も、考え方も、何もかもが、予測がつかない遠さだ。
 大体、目指すものに対する考え方が違い過ぎて、一生、相容れないんじゃないかって気がするのだ。
 世界一の剣士になる為に、本当に命を掛けているのだ。とてもじゃないが、理解できない。
「………お前さ、なんでそんなに、約束にこだわるの?」
 ゾロの目標は、親友との約束を果たす為にあるのだと言う。世界一の剣士になる事。それが、約束。
「あぁ?」
 突然変わった話の内容に、不機嫌そうな表情を見せて、ゾロはこちらを見上げてくる。
「約束したから、命懸けなんだろ?」
「……俺の望みだから、命掛けても悔いがないって言ってんだろ。」
 何言ってやがる。と、こちらの方がわけのわからない事を言っているような顔で、ゾロは答えを寄越した。
「友達と約束したから、世界一の剣士になるんだろう?」
「約束なんてなくたって、俺は世界一の剣士になるつもりだった。」
 ただの約束に命なんて掛けるか。と、ゾロは呟いた。
 命を掛けてもいいだけの望みだったから、今でも抱えている約束になったという事なのだろうか。
「んじゃ、何の為の約束なんだよ。」
 問いかけつつ、向いに腰を下ろすと、ゾロは暫く黙り込んでから、口を開いた。
「お前の夢は、俺に任せろって事だ。」
 その答えは、俺にはさっぱりわからないものだったけれど、二人分の夢を背負い込んでいるならば、ゾロのあの狂ったような鍛練の意味も、わからないではないような気にはなった。
 俺は、ゾロの言う『親友』がどんな人間なのかもしらないし、その約束がどんな状況でされたものかも知らない。多分、この船に乗ってる誰も、詳しい事は知らないんだろうと思う。
 実際、俺が、この船にいる前の事情を知ってるのは、ナミさんとチョッパーだけで、他の奴らの事情なんて、薄ぼんやりとしか知らないのだ。
 それでも、この船では何の問題もなくて、結局誰も追求しないから、ゾロは俺が飢え死にしかけた事があるなんて事も、クソジジィとの因縁も、全く知らないんだろうと思う。
「……どんな約束なんだよ。それ。」
 世界一の剣豪になるのは、元からのゾロの夢。それを叶える事で親友の夢も叶うなら、その親友の夢も世界一の剣豪になる事。でも、何らかの事情でそれが叶わないだろうとわかっているという事。
 例えば、病気で倒れて剣を持てなくなったとか、そういう事情だろうか? と想像して、何か違和感を感じた。
「俺か、あいつが、世界一の剣士になる。そういう約束だ。」
 そう答えるゾロの表情は、普段のゾロからは想像も付かない程に優し気だった。その顔を見て、もしかして、その約束の相手というのは、女なんだろうかと、ふと思った。例えば、相手が病気をした男友達だったとしても、こんな優し気な顔なんてしないんじゃないだろうか。
「女の子?」
「もう、死んじまってるぜ?」
 普段の俺の行動から出た言葉なのか、ゾロの言った言葉は二重に俺を驚かせてくれた。
 ゾロの親友が女の子である事。あっさりと死んでしまったと言えてしまう程、以前の事であろう事。
「……だから、任せろ、なのか?」
 でも、墓前に誓ったというのは、普通『約束』とは言わない。約束は、二人以上の意志が必要だ。一つでいいのは『誓い』。だから、ゾロが約束だと言ったからには、それは、その親友が生きている間に取り交わされたもの。
「女は世界一の剣士になれないなんて言うからさ、そんなので、諦められるのは嫌だったんだよ。」
 でもそれはきっと、本当の事。だからゾロは、その夢を自分に任せてほしいと思ったんだろうか。それくらいに、大切な子だったってことなんだろうか。
「……でも、どちらかが、ってことはさ、どっちかは2番以下、ってことだろ? それでいいのかよ?」
 問いかけると、ゾロは少し驚いたようにこちらを見返し、それから暫く考え込んで、苦笑を浮かべた。
「負ける気なんてねぇけど………あいつに負けるなら、そんでもいいような気はする。」
 そう答えるゾロが、あまりに幸せそうで、俺は返す言葉を無くしてしまった。
 俺が、奪ってしまったと思っていたものは、もしかして、こんな顔を浮かべるような優しさで、差し出されたものだったんだろうか。
「命懸けの夢でも?」
 どんなに傷付いたって構わないような行動を取るのに、必ず叶えるのだと言い切るのがわからない。
「なんか、お前、やけにそれにこだわるよな。」
 わけわかんねぇ奴。と不思議そうな顔で言われて、こちらが面喰らう。普通、命賭けてますなんて言い切って、本当に死にそうな怪我をする人間がいたら、こだわりたくなって当然だろう。
 大体俺は、そういう命を無駄にするような事を言う奴は、どうにも許せないのだ。
「俺は、死にたがりの気持ちがわかんねぇよ。」
 そう言い返せば、ゾロは呆れたようにこちらを見返してきた。
「俺は、いつ死んでもいいって言ってんじゃねぇ。命惜しんで逃げるようなまねはしねぇって言ってんだ。」
 世界一の剣士になるまでは、死んでたまるか。と、ゾロは吐き捨てるように言った。
 あの日、一歩も引かなかったゾロの姿が思い浮かんだ。引かなかったから、今、ゾロは生きている。
「……俺が言ってんのはそういう事だ。」
 死ぬかもしれないからやめる。そんな事はしないと言っているのはわかる。あの日だって、そう思っていたから、かかって行けたって事なんだろう。それをやめろなんて言ったって、聞かないのだってわかる。
「……わかってる…」
 でも、ちょっとは惜しんでくれないかと思うのは、もうどうしようもない。怪我をすれば、やっぱり心配になる。
「………だから、俺達がいるのも、忘れんな。」
 心配して、青くなる人間が傍にいるのは忘れずにいて、自分の手じゃ追い付かなくなったら、その手を借りてくれればいい。
 その夢の手助けはできないから、それ以外のところで手助けをしたがっている人間がいる事だけは、忘れないでくれ。
「忘れるかよ。」
 笑ってそう言い放ち、ゾロは背伸びをして立ち上がった。そろそろ、俺との話にも飽きてきたのかと見て取って、とりあえずこれだけは言っておかねばと、口を開く。
「次は、俺のとこに来いよ。ちゃんと縫ってやるから。」
 それを聞いてゾロは、ぽかん、として暫く俺の表情に見入ってから、口を開いた。
「船医に頼むから、遠慮しとく。」
 にぃ、っと口の端を引き上げる、彼独特の意地の悪い笑みを見せて、ゾロが背中を見せて船首の方へ歩き去っていくのを、俺は呆然と見送った。
 あそこで赤くなって動揺してくれれば可愛いのに。そう思いつつ、あれが俺の好きな人間なんだと納得できるのが悲しい。
「………参りました……」

 
 

書き出しが『片足』と一緒なのは、それを二つにぶっちぎった名残りです。
削ってしまうと話が続かないので、無理矢理残してまいました…

(2003.11.1)



夢追いの海TOPへ