魂の在処



 それを口に運んだ時、サンジの言っていたのはこういう事なんだと、ゾロは思った。
 幼馴染みのナミに連れられて行った小洒落た店で、勧められるままに選んだスコーンのセットには、形のままの苺が残ったジャムと、緩く泡立てられた生クリームが添えられていた。
 ゾロの知っているスコーンは、サンジが働いている喫茶店で出されているアフタヌーンティーセットに含まれたものだけだ。
 大きめのスコーンに苺のジャムとクローテッドクリーム。ティーセットには他に胡瓜のサンドイッチとチョコレートのケーキが一緒になっていて、ミルクティーと一緒にそれらを食べるのが、その店の定番だ。
 ゾロが全部を食べ終わる前にポットの紅茶を空にしてしまい、いつも紅茶を追加をするのは、そのスコーンはちょっと口の中をもそもそさせるからだ。
 けれど、今ゾロが口に運んだスコーンはふわふわもっちりしていて、苺ジャムと生クリームと合わさって、まるでショートケーキのような食感だ。
「どう? ここのコンフィチュールが、最近評判なのよ。」
 ナミが嬉しそうにスコーンを頬張ってゾロに問い掛ける。
「コンフィチュール?」
 聞き慣れない言葉に首を傾げれば、ナミは苺ジャムを指で示す。
 そう言えば、ここへ連れて来られる道すがら、コンフィチュールを食べられるカフェでどうのとナミが言っていた事をゾロは思い出す。気乗りしない事もあって、話を殆ど聞き流していたけれど、いつもの事ながら、ナミは説明をきちんとしていたらしい。
 けれど、ゾロにとって重要な事は、ナミが本当にここへ連れてきたかったのはルフィで、ルフィと二人で来ても大丈夫そうな店かどうかを確かめる為にゾロを使うのだという事だけで、その店がどんな風に誰の間で評判なのかは、問題にもならないのだけれど。
 ナミの言い分を考えると、どうやらこのスコーンのセットのメインはスコーンではなく、この苺ジャムらしいとゾロは理解し、確かにこのジャムを活かすにはクローテッドクリームではなく生クリームだと思う。
「苺がゴロゴロしててうまい。」
 ゾロが答えれば、ナミは満足気に頷き、紅茶を口に運ぶ。
 ここの紅茶はミルクが入らないのが基本らしい。けれど、これもこのスコーンには合うとゾロは思う。だからこれは、間違いなくこの苺ジャムを活かす為に作られたもの。その為にこの店の料理人が考え抜いたものなんだと思う。
 そう思って、ゾロはサンジの事を考える。
 ゾロの思考はサンジに行着いて終わる事が多いから、ゾロはその事を不思議には思わない。何をしていたって、サンジはゾロの中にどんと居座っているのだから仕方がないのだ。
 サンジが今働いているのは、なんでもない喫茶店だと、ゾロは最初思った。だから、なんでサンジがそこを選んだのか、ゾロにはよくわからなかった。
 けれどその店で働くようになってから、サンジはとても楽しそうで、家でゾロに紅茶を煎れてくれる事も増えたのは、ゾロにも嬉しい変化だ。
 暫く前は、ミルクティーに入れるミルクを調合するんだと言って、牛乳に何やら混ぜて、ミルクティーを作ってはゾロに飲ませて、味を試行錯誤していた。
 どうやら、店ではイギリスのミルクティーを再現しようと、本の記述を元にミルクを調合しているらしく、それを自分でもやってみたくなったものらしい。
 サンジは元々コック志望だから、そうして味を研究する事もそれまでにはあったけれど、あの店で働き始めてからは、本当に生き生きしていると、ゾロは思う。
 実のところ、サンジもゾロもイギリスなんて行った事もなく、そこで出されるミルクティーがどんなものだかも知らないのだけれど、二人であれが美味しいこれが美味しいと試し続けて、ミルクが出来上がった時のサンジはとても満足そうで、これが俺達用のミルクなと言って笑っていた。そして、出来上がったミルクで作るミルクティーは、ゾロにとって特別な飲み物になったのだ。
 その他にも、サンジは店で覚えてきた知識をゾロに披露してくれる事が増えた。だから、ゾロはあの店は本当は凄い喫茶店なんだと思うようになった。他の人が何と言うかはわからないけれども。
 
 
 
 
 
「アフタヌーンティーセットに使ってる、皿を置くスタンドあるだろ?」
 サンジの働く店では、アフタヌーンティーセットは皿を3段にしてテーブルにセットされる。テーブルが狭いから、皿を3つ並べるのは到底無理だからなんだとサンジは言う。
「あれを考えた人はさ、どうやったら品数減らさずに、テーブルに物が置けるのか、真剣に考えたって事なんだよ。」
 サンジは楽しそうにそう言って、並んで床に転がりながら、ゾロの前にカタログを開いてみせる。
「テーブルに皿が載らないならさ、品数減らして皿を一つにしちまえば簡単なのに、それじゃダメだと思ったってのは、客を満足させよう、もてなそう、って思ってたって事だと思わねぇ?」
 サンジは、人に自分の作ったものを食べさせるのが好きだ。それで喜んで貰えたら、それが何より幸せなんだと言う。そんなサンジだから、そんな風に考えるんだとゾロは思う。
「それで、テーブルに置くなら見た目も綺麗にしようとか、色々考えてさ、今の形があるんだと思うんだ。」
 普通に売ってるけど、最初に考えた人って凄いよなぁ。とサンジは言う。
「そう言えば、この間、ナミに連れて行かれた店は、クリームが生クリームだったぞ。」
 ゾロはふと思い出した事をサンジに告げて、なんだかちょっと物足りなかった。と付け足した。
「そういう店は多いよ。」
 クローテッドクリームは、日本じゃまだ市民権を得てないみたい。とサンジは言う。
 サンジが店で働き始めた日、店から帰ってきたサンジは、スコーンの話を滔々とゾロに聞かせ、次の日ゾロは店に連れて行かれた。それ程に、サンジにはあのクリームが衝撃だったらしい。
「でもさ、無い物の代わりを必死に探した結果がそれだったらさ、やっぱりそれは凄い事なんじゃないかって、最近思うんだよね。」
 イギリスではこうらしいとか、インドではどうだとか、サンジは色々話してくれて、ゾロは本当のところ、食べ物にはあまりこだわりが無かったから、本式がどうだからとか言われてもピンと来ないのだけれど、あれは違ったんだ。とサンジが悔しそうにしていたのを思い出した。
「昔はクローテッドクリームなんて簡単に手に入らなかったんだって。そんな時に、何を使えば近い物ができるかって探して辿り着いたならさ、それはまがい物だなんて言えないよな。」
 違うかもしれないけど、その努力を否定するのは間違いだと思うと、サンジは言う。
「でもさ、それを本物だと思って、それに似てるからって、安いのでいいやって、植物性のホイップクリームで代用しちゃったりするのは、違うだろって思うんだ。」
 サンジはそう言ってちょっと寂しそうな顔をして、でも、と続ける。
「でも、牛乳が食べられない人がいて、その人の為に、バターを使わないでケーキを焼いて、スコーンには植物性のホイップクリームと苺ジャムを添えて、ミルクティーのミルクはコーヒークリームだったとしたらさ、それは違う食べ物かもしれないけど、その雰囲気を味わうためなら、いいんじゃないかなって気もするんだ。」
 それが体にいい事なのかとかはわかんないんだけど…とサンジは言って、難しいんだけどと笑った。
 ゾロは、サンジの言う事があまりよくはわからなかったが、サンジが言うのは、料理人の姿勢の事なんだろうというのはわかった。
 相手を喜ばせようとか、もてなそうとか思って努力した結果であれば、多少本物と違っていたっていいじゃないかと思うのだけれど、怠慢で手を抜いた結果であるのならば、それはとても認められないという事だろう。
 サンジは本当に料理が好きなんだなと、ゾロは思う。できるだけ沢山の人を喜ばせたいんだというのもわかる。そうやって、色んな事を考えて努力しているサンジが好きだ。
「そういうのは、食ってるだけの人間にはよくわかんねぇけど、お前がそう思うなら、お前にはそれが正しいんじゃねぇ?」
 判断基準はそれぞれだから、本物とそっくり一緒でない物はダメだと言う人もいるだろうし、似ていればそれでいいじゃないかと言う人もいるだろうし、それを統一する事なんて無理だとゾロは思う。
 だけど、サンジがそう思って、それに沿って行動するなら、きっとサンジは今よりずっと人を喜ばせる料理人になるとゾロは思う。
 それが、料理人としての成功と一致するのかどうかは、ゾロにはわからない。けれど、それがサンジにとっての料理人魂なら、それでいいじゃないかと思う。そういうサンジがゾロは好きだ。
「俺には?」
 サンジはその答えが少し不服だったようで、そう言ってゾロを見返す。
「食べてるだけの人間にも、少しもアレンジしてない料理じゃなくちゃダメだって言う奴もいると思う。そういう人間にしたらさ、どんなに気持ちがこもったものだって、やっぱりニセモノだって言われちまうんだと思う。」
 気持ちの問題はとても難しいく、目に見える事ではないから、伝わらない事で溝は作られる。それは、どうしようもない事なのだとゾロは思う。
 だから、もしこの先、サンジがそういう事で傷付いたりするのは嫌だなと思う。
「………そうか…」
「でも俺は、お前の考え方は好きだな。」
 それは、母親の料理人魂に近いような気がするからだろうか。とても優しい考え方のように思う。目の前の誰かの為に必死に作られる料理は嬉しい。
 食堂の温かい料理より、サンジが作ってくれた冷たい弁当が美味しいのは、それがゾロの為に作られた料理だからだ。全部、ゾロの味覚に合わせて作られているものが、美味しくないはずがない。そこに、本物、偽物なんて話は入る余地がない。
「そう?」
 嬉しそうに笑って、サンジはカタログを押しやってにこりと笑う。
「母さんみたい。」
 そう言ってやったら、サンジはゾロの背中を撫でていた手をぴたりと止めて、顔を引きつらせた。
 こんな顔もイイ男だ。と思っている内に、怒ったサンジはそのまま拗ねて背中を向けて、結局ゾロは自分からサンジにのしかかって、必死に機嫌をとってやるのだった。
 
 
 
 
 
 
 
「気に入ったの?」
 会計のついでに、苺ジャムを一瓶購入すると、ナミは驚いたように問いかけた。
「サンジに作ってもらう。」
 このジャムで、スコーンと紅茶メインのティーセットを作ってもらうのだ。濃いめに煎れたミルクティーが合うんじゃないかとゾロは思うけれど、サンジはどんな判断をするだろうかと考えるのも楽しい。
「相変わらず仲が良いのね。」
 男二人で一緒に暮らす程なんだから、仲が悪いわけもないけれど、この二人はちょっと仲が良すぎるんじゃないかしらとナミは思う。
 けれど、サンジと暮らし始めてからのゾロは、とても楽しそうだし幸せそうだから、それはちょっと羨ましいとも思うのだ。
「おう。」
 ゾロは当然の事のように頷いて、にかりと笑ってみせた。

 
 

サンジの料理人魂は、どんな風なのかなぁ。というのが不思議だったりする。
大多数にまんべんなく「美味しい」評価を受ける為には、特化しない美味しさも必要ではないかと思う。10中8、9が美味しいという料理でなく、10中10が美味しいと言う料理は、10中10が幾許かの物足りなさを感じるのではないかという気もする。味覚は様々だからね。
このサンジは、誰かの為に美味しい料理を作りたいタイプの道を選んでる感じなので、コックにはならないのではないかという気配。

(2006.12.19)



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