寂しくなったら、とりあえず、笑っちゃうのよ。
にっこりと笑って、小さなイルカを膝の上に乗せた母が笑う。
寂しいのに、笑っちゃうの?
必死に上を向いて問いかけると、頷いて母は更に笑った。
そうよ。そうしたらね、寂しいのなんて、忘れちゃうわ。
声をたてて笑いながら、母はイルカの顔を両手で挟み込む。
でもね、それじゃ、忘れてるだけだから、足りないのね。
足りないの?
そう。だからね、一緒にいて、楽しい人のところへ行って、笑うの。
……父ちゃんとか、母ちゃんのところで笑えばいいの?
イルカが、母さんや蒼牙さんと一緒にいるのが楽しいのならね。
そう言って、母はふいに笑みを消して、イルカを見つめた。
一緒にいて楽しい人と笑ったら、寂しいのなんて、すぐに消えちゃうからね。
消えちゃう?
そう。消えちゃうの。それがね………
ぼんやりと窓の外を眺めながら、イルカは先程まで見ていた夢を思い起こした。
それは確かに、まだ母が生きていた頃の事だった。どこか気落ちした様子で帰ってきた母を迎えると、いつもの様に、母はイルカを膝に乗せ、静かな声でそう語ってくれたのだ。
「………笑っちゃうか……」
両親がいなくなった後、寂しいという気持ちを感じるようになり、誰といれば、その寂しいが消えるのかもわからず、笑って、その感情から目を背ける日が続いた。
そんな中で、自分の中の寂しい気持ちを消してくれる人たちを見つける事が出来て、それからは、あまり寂しいと思う事がなくなった。
それでも、それがいつまでも続く事はなく、一人、二人と、その人たちも欠けていった。それを悲しいと思いはしても、寂しい事だとは思わなくなった。人が死ぬ事に耐性が出来たなんてものではなく、ただ、そういうものなのだと、諦めたのに近い状態だった。
自分は、命の危険に曝される事など殆どないところで生きているけれど、そうでない人の方が、この里の中では多いと言うだけの事。
そこで、自分が安全圏にいる事を、恥じる事もやめた。そんな引け目を感じていたら、笑う事もできなくなると思ったからだ。
自分は、安全な所にいる人間として、のんびりと笑っていればいい。それを見て、誰が何を感じるかは、その人によって違ってくるだろうが、それこそ、イルカが気にしてやるような事ではないと、わかっていた。
「……笑う……笑う…」
楽しくなくても、人は笑える。目が笑っていないと見破られると困るから、目を細めて笑う。寂しい頃に覚えた作り笑いは、未だにかなりの精度を誇っているらしく、一、二度言葉を交わした事しかないような人には、そうと知られる事もなかった。
呑気そうでイイねぇ。と笑う人に、腹の中で悪態をつきながら、何を言われているかもわからないふりで首を傾げるのにも慣れた。
わからない人間は、騙しておけばいい。それを見破るだけ、自分を気に掛けていてくれる人には、きちんと対応する。それが、イルカの身につけた処世術のようなものだった。
「…………それが……なんだっけ………」
聞き逃したその言葉を思い出せず、イルカはぽつりと呟いた。
視線の先で、ぼんやりと空を見上げている姿に、カカシは小さく息をついた。
「イルカ先生。」
声をかけると、やっと気付いたようで、物凄い勢いをつけて振り返る姿が、カカシの笑みを誘った。
「いつから、いました?」
カカシの存在に気づけなかった事を恥じているらしく、イルカは顔を赤くして問いかけてくる。
「少し前です。イルカ先生が、ぼーっと空を見上げた位から。」
「………」
むーっと、口を引き結んで、イルカはカカシの方へ寄ってきた。
「墓参り、初めて来るんですよ。……今更何しに来たって、言われそうなんですけど。」
イルカがぼんやりと立ち尽くしていたそこにあるのは、嘗ての部下の墓だった。死なせたのは、もう随分前の事だが、慰霊碑を見に行く事はあっても、当人の墓に立ち寄った事はなかった。
「……死人が、語るわけないですけどね。」
「語ってると思ったら、語ってるって事なんですよ。」
イルカが苦笑を浮かべてそう言うのを聞いて、カカシもつられるように苦笑を浮かべた。
「聞く人間がいなくちゃ、話している事にはならないんですから、聞こえたと思ったら、そういう事にしておけばいいんです。」
「じゃ、返事がないなら、自分は話してる事にはならない?」
「一人言、言ってる事になるんじゃないですか。」
笑ってイルカは言い、墓を振り返る。
「今年は、線香が減ってて。……また、誰か死んだかなぁって、思ってたんです。」
ぽつりとイルカがもらした言葉に、カカシはぼんやりとその背中を眺めた。
「誰がここに来てるのかなんて、知らないし、ただ、里にいないだけかもしれないんですけど、そんな風に、考えちゃうんですよ。」
いつか、誰もここを訪れなくなる日があるだろうかと、そんな事を考えて、空を見上げたら、なんだかそれが、とても寂しい事のような気がしてしまった。色のない空が、とても寂しく感じて、余計に不安になっていたのだと思うけれど。
「……イルカ先生、今日の、仕事は?」
なんの感情も混ざらないような声で問い掛けられ、イルカはカカシを振り返り、答えを返した。
「終わってますけど。」
「じゃ、夕飯に付き合ってください。」
目を細めて笑って、カカシが言った言葉は、イルカの反論など考慮の外にあるとわかる響きを持っていて、イルカは笑みを浮かべて頷く。
「カカシさんのおごりですよね?」
「……そうきますか……」
小さくため息をついた姿に笑いがこぼれて、イルカはほっと息をついた。
「じゃ、行きますか。」
「……墓参りは?」
「もう、済みました。」
墓の前で手を合わせるのが、墓参りの全てではないだろうと、カカシは思う。手を合わせなくても、例えば遠くにいたとしても、相手に対して何かを考える事が、墓参りの重要なところであるはずだ。
墓の前で、ぼんやりと空を見上げていた後ろ姿を見て、それに寂しい思いをさせないと決めただけで、この墓参りには意味があるものだと思う。彼が、必死になって想っていた人。大事なのだと、言葉の端々にうかがわせていた人だから、その人が笑っていれば、彼だって充分だろうと思う。
「……じゃ、いいですけど……」
自分だって、線香の一本も持ってきた様子はないのに、どこか不服そうなイルカを促して、カカシは歩みを進める。
「イルカ先生の事は、オレに任せておくようにと、言っておきましたから。」
「…………」
ぽかんとした顔で見返して来るイルカに、カカシは思わず吹出してしまった。
「だってほら、親友の事は、気になってるはずですからねぇ。」
「墓参りってのは、そういう事を言うものじゃないでしょう!?」
顔を真っ赤にして叫ぶイルカに、先程までの力の抜けた様子がない事に安心して、カカシは満足して頷く。
やはり、イルカはこれくらいに叫んでいた方がそれらしいと思う。肩を落として歩いているのは見たくないし、寂しそうに笑うのも好きではない。それくらいなら、怒っていた方が、ずっとずっと、イルカらしいと思うのだ。
「いいじゃないですか。絶対、大地の奴も、安心してますって。」
「………」
また、むーっと膨れるイルカの頬を引っ張って、カカシは笑う。
「はい、笑って〜。」
「……痛いです……」
引っ張っていた手を離すと、赤くなった頬を押さえて、イルカは膨れっ面でカカシを睨んだ。
「絶対、おごりじゃないと、ついてかないですよ。」
「はい。はい。もう、なんでも、おごっちゃいましょう。」
軽く答えて先を歩くカカシの後ろを歩きながら、イルカはうっすらと笑みを浮かべた。カカシが必死に自分を励まそうとしてくれているのは明らかで、それ程、自分に気を使ってくれる事が嬉しい。寂しかったはずなのに、カカシと笑っていたら、すっかりそんな事は消え去ってしまった。
「………ああ…」
「何か言いました?」
小さくもらした声にカカシが振り返り、イルカは慌てて笑みを浮かべて首を横に振った。
「何が食べたいですか?」
「……美味しいものがいいです。」
「難しい事言いますねぇ…」
カカシはそう言って、あれこれと候補を上げていく。
そんな様子を見ながら、イルカは今朝見た夢で聞き逃した言葉を思い出した。
「……それが、嬉しいって事……」
イルカの小さな声を聞いて、カカシは振り返る事をせずに、笑みを浮かべた。
嬉しいと思ってくれる事が、多分、一番嬉しい事。
20000HITのみずみさまのリクエスト。
カカイルで『さびしくなったら』。