笑顔


そんな話、本気で信じているわけじゃないだろう?
そう問いかければ、どこか困った顔で笑った。
「俺も、そこまでお人好しじゃねぇよ。」
そう答えたから、少し安心していたのだけれど。



 助けを求めたところで、助けの手など伸ばされぬのはわかっていた。それこそ、俺はそんなにお人好しではないから、相手の顔を見ればこちらへの感情などすぐにわかる。
 会った時から、会う前からか、勝が新選組を嫌っているのはわかっていた。噂では、気に入りの弟子を殺したからだとかも聞いた。そればかりでもないだろうが、顔を見たら、そんなものかもしれないとも思った。
 自分が好き嫌いで人を見るところがあるのはわかっていたから、相手がこちらを嫌っているというより、こちらがあちらを嫌っているのだという自覚も勿論あった。けれど、そればかりでもなかったのは確かだ。
 自分の狙いにそぐわないからだというのはよくわかったし、多分、それが徳川慶喜の考えに沿っているのだろうとも思った。
 だから、その意に沿って行動する勝は将軍の為を思って行動しているのだろうし、それは多分、江戸の人々の為にもなる事だろう。余計な戦火などなければ生活も安心だろう。既に生活は荒れているだろうが、家が焼けるの身内が死ぬの、という事を考えれば、まだ良いかもしれない。
 それでも、徳川様の為と働いてきた者たちからすれば、このまま引き下がるなど出来ないと思うのも当然の事だろう。
 土方自身、慶喜に対する気持ちは微妙なものを含み始めてはいるが、それでも徳川将軍家というものに対しては、何とかしたいと思うところがある。
 結局は、藩主だの将軍だの、天皇だのは、この騒ぎには飾りに過ぎないのかと思わなくもない。
 薩長など藩主の為などではなく、己らの為に討幕に動いているようにも見えるし、将軍が恭順してもまだ戦う気でいる幕府の者は多い。天皇は元より飾りに過ぎぬが、担ぎ出せばその効果は絶大だ。
 自分も、新選組の中で、近藤をそのように扱っていはしなかったろうかと、ふと土方は思う。
 近藤は自分の意のままに操られるような男ではなかったけれど、隊を離れている時を狙って行なった事は幾つもある。軽く扱ったとは思わないけれど、近藤がそう思っていなかったとは限らないだろう。
 新選組の為だと思ってした事が、本当は自分の為でなかったかと言われれば、答えに詰まる事もある。それ程に、新選組は土方にとって己の全てを注いだものであったから。
 それぞれが、それぞれに新選組に対する考えを持っていただろう。それなのに、土方は近藤が新選組をどう思っていたのか、はっきりと聞いた事がない。攘夷を目指していたのは知っている。けれど、松本良順に会ってからは、それについても思い悩んでいたようだ。それをどう結論付けたのか、土方は知らない。自分の進む道を、どう思い据えていたのか、知らないのだ。
 嘆願の言葉もどこか虚ろであったかもしれない。本気で助けてくれると思ったわけではなかった勝は、助命嘆願の文書を用意した。近藤が戻ったところで、新選組にはもう力などないと判断したのかもしれない。元々、新選組の力なぞ、評価もしてはいないだろうが。



「トシよ、俺はきっとでかい事をしてやるぜ。」
 日野への出稽古の帰り、荷運びを手伝ってそれに従った歳三に、近藤はそう言った。
 それはいつものように歳三が言う言葉と同じもので、普段はそんな事を口に出さない男だが、腹の中にはそんなものも抱えていたのかと、歳三は些か驚かされた。
 妻を娶り、道場を継ぎ、世の変化を見て、田舎道場と呼ばれるような道場主で終わりはしまいと、野心めいたものでも心に湧いたかと、これまで見た事のなかった顔に、僅かの違和感と、それを後押ししてやりたいという気持ちが湧いてきた。
「でかい事か…」
「この時世だ、何か出来そうな気がしねぇかよ?」
 暫く後に、講武所の剣術師範を狙っているのだと歳三は聞かされるのだが、この時はただその近藤の覇気に押されるように、黙って大きく頷くだけだった。
 俺はきっと、近藤が言うでかい事を為すのを助けてやろうと、歳三は思った。そこにこそ、自分の働きどころがあるような気がしたのだ。
「やろうぜ、勝っちゃん。」
 昔のようにそう呼び掛けた歳三に、近藤はにやりと笑って、満足そうに頷いた。
 思えばあの時から、自分は近藤の為に働こうと思っていたのだ。
 それなのに、最後の最後で近藤の意志を曲げさせた事に、歳三は後悔をせずにはいられなかった。
 あの時、腹を切ると言った近藤の為に働くとは、介錯をしてやる事ではなかったのだろうか。
 もしかしたなら、武士の身分にこだわりがあったのは、己よりも近藤の方であったかもしれない。
 歳三の武士への憧れは、何も為せぬ己に対する不甲斐なさを消し去る為のものだった。豪農の家に産まれた穀潰し。そんな己を否定したくて口にしたのが最初ではなかったろうか。
 近藤は周助の元へ養子に入った事で、武士としての身分を得ていた。それが、その生まれのせいで講武所の師範の座を得る事が出来なかった。あの時の近藤の落胆は激しく、その嘆きは唯事ではなかった。
 それがあったからこそ、近藤は江戸を出て京へ上ったのではなかったか。新選組の長として、大名のようだと言わしめた行動が、それに端を発していたならば、甲州で城を得られるとの言葉は、近藤にとって捨てきれぬ望みだったろう。
 頭から信じる事は出来ない。それでも、望みを掛けずにはいられない。そんな気持ちであったかもしれない。
 だからこそ、その敗戦の後、永倉や原田を失うような発言に結びついたのだろう。
 近藤は既に武士として生きていた。近藤が欲しかったのは、誰からも難癖の付けられる事のない、完全な武士としての己ではなかったろうか。
 歳三は、生まれが百姓である事に言い様のない劣等感を感じてはいたが、身分を理由に行く道を閉ざされた事はない。
 京に上ったのも、武士になる事ができるかもしれないとの希望を持ったからだが、そこで身分は問われなかった。勿論、武士ではない事で見くびられたり低く扱われた事がなかったわけではないが、それは歳三にとっては絶望を意味するものではなく、むしろ、己の気力を奮い立たせるものだった。
 だが、近藤はあの時、武士でありながら武士ではないと言われたのだ。
 御家人株を買って武士になる町民のいる世の中で、剣の腕を買われて武士になった近藤が、剣の腕で高みへ上ろうとした時、剣の腕以外の事で否定されたのだ。
 それがどれ程の屈辱だったか、歳三には想像もつかない。
 そんな近藤が新選組にどれ程の望みを掛けていたか、今ではもうわからない。
 そしてあの時、武士らしく腹を切らせてやれば、首の在処もわからぬ事になどならなかったろうと、ひっそりと建つ墓の前で、歳三はあの日の近藤の笑顔を思い出した。





会津にて近藤さんを思う歳三さんでした。
近藤さんを差し置いて、新選組を好き勝手する土方さんという歴史小説はよく見るのですが、果たして近藤さんはそんな程度の人だったのかといつも思います。
新選組って、多分皆がそれぞれ好き勝手にできると思ってたんじゃないかと思う。その程度の大きさだったと思っています。だからあんな潰し合いになる。
そして、近藤さんの事を考えると、講武所の事は推測に過ぎない事のようだけれど、本当だとしたら、身分の事で土方よりずっと悔しい思いをさせられているのではないかと思ったわけです。
そんな思いを抱えていたとしたら、容保様にお言葉を貰って、天狗になっても仕方ないと思うんだけれども、それは近藤の器が小さいとかそういう事じゃないと思う。

(2007.7.23)



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