「私がいいのではないかと思うのですが。」
そう言った相馬に、一斉に視線が集まった。
五稜郭で土方の戦死を聞いて戻った相馬は、降伏の決定と共に、新選組の新しい長を決める為、隊士を集めた席でそう切り出した。
「お前は、まだ若いのだから。」
単に幕軍の一員として降伏しただけならばいざ知らず、新選組の長として降伏するとなれば、その身に負わされるものの重さは、その場の誰もがわかっているところだ。
幕軍に参加し、箱館戦争を戦っただけならばまだしも、新選組は京からすでに勤王派との戦いを始めている。この戦争の責任だけ問われて終わりになるはずもないのだ。
その上、会津を徹底的に叩いた官軍である。新選組への恨みが引き起こす事などわかりきっている。箱館政府の首脳陣が助けられるとしても、新選組はその恩恵には与れないだろう。
そう思えばこそ、まだ若く、先のある相馬がわざわざその立場に就く事はないと思った島田はそう諌めた。
「そういう事ではなく。」
相馬は島田の言葉にそう返し、苦笑を浮かべた。
「近藤局長の助命嘆願の書状を預った時、土方副長は、私ならば大丈夫だろうと言われました。」
その言葉に、周りは相馬の意図を計りかねた。
相馬は箱館に於いて、隊長格を務めるようになってはいたが、至って謙虚であり、これまでの隊長格同様、土方や近藤の言った言葉などを持ち出して、自分を飾ろうとする事などは皆無だった。
それが、今この時になって、土方の言い分を持ち出してくるとは、違和感を感じずにはいられなかった。
「あれは、私ならばどうにかできると言われたのではなく、私ならば何も知らないから大丈夫だという意味だったのだと思うのです。」
あの時、自分の何が土方副長の信頼を得てその役目を託されたのかはわからないものの、それはどこか誇らしかった。結局その役目を果たせなかったものの、仙台で再会するまでの間、野村と共に、両長の信頼を得たのだからと、身を律して戦ってきた。
けれど、陸軍隊で働く内に、別の理由が思い当たるようになった。
助命嘆願の書状を運んだ相馬も、近藤に付き従った野村も、伏見では準隊士に過ぎなかった。隊のそれまでの行動にも疎く、さしたる情報を持っているわけでもない。何を聞かれたとしても、知らぬ、と答える事ができる立場だった。
結局のところ、重要なのはそこだったのだ。野村も相馬と同じ結論に達したらしく、顔を見合わせて苦笑を浮かべた事が一度あった。
あれから、野村も相馬も、本当の信頼を得ようと必死になった。そうして野村は死に、相馬は生き残った。結局自分達が彼からの信頼を得たのかどうか、それは未だにわからない。
けれど、できる限り、彼の思う通りにこの後を進めていきたいと思うのだ。
「今回も、私ならば大丈夫だと思います。」
土方の添役として傍について行動していた事も、新選組の長として行動した事がある事も、隊長として出頭する事に問題はないはずだ。
「だが」
「島田さんは、最古参である上に、監察方です。知っているはずの事を話さないのと、知らないから話せないのとでは、扱いが違って来るはずです。」
何を詮議されるかなど、今ではまるでわからないが、拷問などがないとも限らないだろう。当然、牢での拘束は間違いない。それだけでも、命に関わるかも知れぬところだ。そこで命を奪われるのは避けたい。
「土方先生が、私達の命を惜しんで下さったのならば、私達は生きねばならぬでしょう。」
土方が死んだと聞き、箱館奉行の永井から、彼が自分達の命を惜しんでいたのだと聞かされた。
命を無駄に散らしてはならないと言われ、それが彼の人の願いであるのならばと、降伏を決めた。共に戦って死ぬ事が、彼の意志に沿わないのならば、それも仕方ないと思ったのだ。
そう思う程にこの戦いの先行きは、誰の目にも明らかだった。
「あの人の言葉を借りれば、私達には売るものがない。」
笑って相馬は言い、その言葉に周りから苦笑がもれる。
箱館に来てからの土方は、京都にいた頃の厳しさを殆ど消してしまい、どこか砕けた様子でそう言った時があった。
俺は武士の生まれじゃねぇから、武士のものの考え方なんてのは結局わからねぇままだったが、商人のものの考え方でいけばこうさ。そう笑って言ったのだ。
「榎本総裁や大鳥奉行のような洋学の才もなければ、永井様のような経験もない。あるのは剣の腕と官軍からの恨みだけ。」
その剣の腕も、これで世が平になれば役立てる場所もない。そして残るのは恨みだけだ。
「土方先生は自分の首で、それをどうにかする気でいたようですが、私達の首にはその価値もない。」
良くも悪くも、新選組は名だたる幹部の他は、名も知られぬ平隊士となる。箱館の幕軍の中ならばいざ知らず、官軍となった薩長に今ここにいる新選組隊士など、名も知られてはいないだろう。悔しくはあるが、それが新選組の現実である。
「責めは軽く済んだ方がいい。だから、私がいいと思うのです。」
相馬はそう言い、彼等は意見を受け付けない相馬の態度に、仕方がないと、同意を述べた。
「横倉さん」
日に日に弱っていく彼の姿に、相馬はかける言葉を探し出せなくなっていた。
「………大丈夫だ。」
嘗て勤王を唱えて新選組を出た伊東甲子太郎の暗殺についての詮議として、横倉は捕えられていた。
「俺は、歳さんじゃなくて良かったと思ってるのさ。」
あの人がこんな目にあうなんて、俺には耐えられねぇよ。そう言って、傷だらけで笑う横倉に、相馬は頷く。
土方が生きていて、新選組が隊として存在している間、横倉が土方をそう呼んだ事は一度もなかった。初めて彼がそう呼ぶのを聞いた時、この人も、彼等の同門だったのだと気付いた程だった。
箱館戦争についての詮議が終った後、場所を移され、土佐の坂本竜馬の暗殺と、伊東の暗殺についての取り調べを受ける事となった。
坂本については、全くわからない。正直、新選組は坂本を大きな存在とは見ていなかったところがある。それをわざわざ暗殺するかと言えば、それはないだろうと思った。結局、それについては追求は止んだが、伊東に関してはどうしようもない。横倉などは実行者である。詮議は相当厳しいもののようだった。
とは言っても、当時の伊東など、勤王派からしてみれば大した存在でもなかっただろうに、新選組を処罰の対象にしたいからと言って、そこまで突いて来るのかと思ったのも事実だった。
そして、暗殺の実行者が大石と横倉と聞き、あの人達は、自分の身内で事を運ぼうとしていたのだと気付かされた。それとも、そんな汚い事は、身内以外にさせられなかったと見るべきなのか。
結局あの人は、そういう甘いところがあって、そんな部分を知っている人間が、助けてやらねばと思って行動したのかもしれない。
横倉にしても、その様子のどこにも、土方に対する恨みなど見えはしない。むしろ、彼への信頼のようなものしか見えては来ない。
「あの人達は、俺達の憧れだったんだ。」
多摩の百姓が、将軍様の為に武士として戦っているのだと、故郷では彼等を英雄のように見ていたところもあった。今だってきっと、逆賊だなどと誰も言いはしないだろう。
だから、共に戦える事が嬉しかった。昔のように、笑いあって話をする事などできなかったけれど、それでも彼が自分の知る優しい男のままだと信じていた。
「武士になった先生や、歳さんの役に立てるのが、俺は嬉しかったんだ。」
だから、伊東暗殺を横倉は後悔はしていない。二人の作った新選組には、伊東は邪魔だった。それは、横倉の居たかった新選組にも邪魔だったという事だ。
今、自分がこうして牢内で苦しんでいたところで、それを後悔などするわけもなかった。
「横倉さん…」
「だから俺は、あの人達が悪し様に言われる世の中は見たくねぇんだ。」
ここを生き延びて、そして迎える世の中で、自分達のした事の何もかもが間違っていたなどと言われるのならば、そんな世は見なくていい。だから、どこかで安心している自分もいるのだ。
「お前は、生きなくちゃならねぇ。俺よりも苦しかろうが、それが、お前が選んじまった行く先さ。」
言われて、相馬はやっと自分の選んだ道を理解したような気がした。
あの日選んだ道は、確かに生きていく道であったのに、自分の中ではそれは死に直結するもののように感じていた。
けれどそれは、横倉の言う通り、生きていく道だ。全ての汚名を負って、それ以上の汚名を残さぬように生きる道。
そんな事にも思い到れぬ程、あの時の己は周りが見えていなかったのだろう。
「……俺は…」
「俺は、一足先に会いに行くが、お前は務めを果たしてからにしろよ。」
自分だけではあるまいが、新選組とは如何に大きな存在だったろう。自分の選んだものもわからぬ程に、大きく鮮やかすぎるものだったのだ。
「横倉さん。」
「その時は、皆で迎えてやるからよ。」
それは、なんと甘美な響きを持った言葉であろうか。そう思ってしまう己に驚かされる。
自分ならば殺されずに済むと言いながら、心の底では、死を望んでいたというのだ。
「あんまり、急いで来るんじゃねぇぞ。」
あの人達が、嘆くから。
そう言って横倉は、しっかりしろよと、相馬の腕を叩いて笑った。
終身流刑となりながらも、罪を許され、明治政府に出仕することとなった相馬は、明治8年になり突如免官された事を、新選組故かと思わないでもなかった。
けれど、二君に仕えることに迷いのあった己には、丁度良い機会だったろうと迷うことなく東京へ戻った。
新選組の最後の隊長として。そう思えばこそ、明治政府内で足場を作ることも必要ではないかと思いもしたが、死んでいった者たちへの罪悪感を拭い去ることはできず、何より、たった一つ願わずにいられないことが胸の内から消え去ることがなかった。
妻には済まぬことをしていると思えども、これ以上の時間を堪えることはできなかった。
それ程に、あの日々は鮮やかで、懐かしく、失うことなど考えられないものだったのだ。
局長、副長。
もう、いいでしょう。
箱館戦争終結後、何故相馬が隊長になり、流刑で済んだのか。
東京に戻って彼は何故自害したのか。
新選組の隊長になりながらも、明治政府に出仕した事は、彼にとって誠の道ではなかったからかな。とも思ったりします。
ちなみに、横倉と相馬の牢が一緒だったかどうかはわかりません。御免なさい。(2007.7.7)