これは、後々の為にちゃんと取っておかなくては。
自分の手の中の銭を眺めて宗次郎は思った。
江戸の誠衛館に内弟子として入ってから随分経つが、こうして遣いの駄賃を貰ったのは初めてだった。
額にして20文。4文銭が5枚だ。団子が幾らか食べられるな、と思ったけれど、そこはぐっと堪えねばと宗次郎は思う。
歳三が自分の為にしてくれる事を、いつか返したいと宗次郎は思っている。それと同時に、歳三をお嫁に貰うのが宗次郎の将来の夢だった。
歳三がくれたように、貰った金で団子や饅頭を買うのはこれでできる。けれど、お嫁入りの道具など誂えようと思ったら、一体どれほどの金が必要なのか。きっと、吃驚する程のお金が必要なはずだ。と幼い乍らに宗次郎は考える。
今から少しずつ貯えていけば、大人になった頃にはなんとかなるかしら。と手の中の銭を眺め、部屋の隅の行李の中の袋へそれを仕舞い込んだ。
そして、はっと宗次郎は一つの事に気付く。
「歳さんが、私のお嫁さんになってもいいって思ってくれなくちゃいけないんだ。」
誰かをお嫁に貰うより、自分のところへお嫁に来るのがいいと思わせなくては、宗次郎の願いは果たされない。これは、とても大切な事だ。
「おくりものかしら…」
歳三がここへ来てくれるだけでも宗次郎は嬉しいけれど、何かを持ってきてくれたら尚嬉しい。自分の為にお金を使ってくれるなんてと思う。
ならば、自分だって、歳三の為にお金を使ってみせなくてはいけないんじゃないだろうか。貯えていたって、使うより先にお嫁を貰われてしまったら、何の為に貯えたのかわからなくなってしまう。
やっぱり、貯えるのは半分にしよう。宗次郎は袋の中の銭を取り出して、別の袋へ半分を移した。
こちらのお金で今までのお返しをして、こちらは貯え。と二つの袋を見て、宗次郎は深く頷いた。
「がんばるぞ!」
走っていって団子の一つも食べたいけれど、目先の楽しみを追って、大きな楽しみを逃してはいけないのだと、宗次郎は教えられていたのだった。
「ほら。宗次郎も。」
差し出された半分にちぎられた大福を見て、宗次郎は歳三の手元の半分の方を取った。
「こっちでいいです。」
歳三が来ていると聞いて、走って買いに行った大福である。歳三が全部食べてくれた方が嬉しいけれど、分けてくれるのも嬉しい。
だけれどここは、男らしいところを見せなくちゃと、宗次郎は小さい方を取ったのだった。
「宗次郎は優しいな。」
歳三がくれた物を半分にする時だって、宗次郎は綺麗に半分にできなかった時は、何時だって大きい方を歳三に渡していたのだ。
にこりと笑ってくれるのが嬉しくて、宗次郎は照れながら笑って返す。
「これは、歳さんのだから。」
私は歳さんが好きだから自分のものを分けてあげたいけれど、歳さんは私が好きだから分けてくれるのかしら。そんな事を考えながら、並んで大福を食べる。
「歳さん、今日は薬の行商じゃないの?」
いつもの葛籠を背負っていない理由が気になって問いかけると、歳三は頷いた。
「今日は、近藤先生へのお使いなんだ。」
手紙を届けに来ただけなんだけどな。と歳三は言い、宗次郎は出稽古のお願いか何かかしらと考える。
日野の佐藤家には天然理心流の道場がある。あまり度々ではないが、誠衛館からの出稽古も行われていた。
「じゃ、すぐに帰るの?」
「いや、返事を貰って帰らなくちゃならないから、今日は泊まっていく事になると思う。」
多分途中で足留めにあうからな。と歳三は言い、宗次郎はたまらず声を上げた。
「本当!?」
だったら、今日は沢山一緒にいられるんだ。と踊らんばかりに喜ぶ宗次郎を、歳三は微笑ましく眺める。
自分がここへ泊まるくらいの事でこんなに喜ぶなんて、なんだか少し照れくさい。
宗次郎が自分の何をそんなに気に入っているのかはわからないが、前々からよく懐いてくれていた。自分をそんなに慕ってくれる者を歳三はあまりもたないから、その事は嬉しいと思う。
けれど、先程、自分の為に大福を買ってきてくれた事や、小さい方の半分を取っていった事は、歳三にとっては驚きだった。
自分が甘やかすばかりの子供だと思っていたのに、子供は子供なりに、自立しようと思っているのかもしれない。それに、その時ばかりは少しだけ顔がきりりとしていた。
こいつも男なんだなぁ。としみじみした歳三である。いつかは好いた女も出来て、金の使い道もそちらへ向くのだろうけれど、その時はきっと、自分は少し寂しい思いをするんだろうと思うのだった。
巡察に出るとの報告の為に土方の部屋を訪れた沖田は、文机の端に置かれたものに気付き、一瞬息を飲んだ。
梅の花を象った木彫りのそれは、幼い頃の自分が贈ったものだった。
子供の駄賃を掻集めて買えるような物だけれど、当時の沖田にとってみれば、それは精一杯の贈り物だった。できれば何時でも身に着けていてもらえるような物をと、必死に考え辿り着いた答えがそれだ。
木彫りの根付。いつかもっと綺麗で素敵な物を贈るからと言って、それを渡した。
「どうした?」
いつもならばすぐに出ていく沖田がじっとしている事を訝しんで、土方が問いかける。
「いえ。行ってきます。」
軽く頭を下げて立ち上がり、沖田は部屋を後にした。
いつかもっと綺麗な物を、と言ったその時、宗次郎と呼ばれていた当時の自分は、土方を嫁に貰える日が来るものと信じていた。けれども暫く経って、男は嫁にはなれぬのだという事を知り、沖田の将来像は崩れ去った。当時は相当の衝撃で、近藤や土方も随分心配してくれたものだった。
それが、浪士組に参加して京へ上がるという話が出た頃に、土方と情を交わすようになった。世間的に嫁に貰うという形にはなれなくても、事実として嫁に貰う事はできるのだと、沖田は感動したものだ。
京に来てからも、二人の間は順調である。土方は島原に出掛けていく事もあるが、江戸にいた頃から吉原やら岡場所にはよく出入りしていたから、沖田はそれほど気にもしていない。土方とて男である。誰かを抱きたいと思う事があって当然であろうし、いちいち目くじらをたてる事もあるまいと思う。
しかし、である。
沖田は、いつかの約束を果たしていないのだ。
京へ来て、新選組という名前を貰い、月々の手当も入るようになった。それなのに、何も贈っていないのだ。
別に、土方を適当に扱っていたわけではない。二人で出掛けた時には、宿代や食事代など、互いに相手の分まで払う事は多々ある。それでも、何か形に残るものを贈っていなかった。
先日、原田が言っていた言葉を思い出し、これはいけないと思う。
釣った魚だからと慢心していてはいけない。誰にでも触れられる池に放たれている魚ならば、他の誰かからの餌を貰うようになるかもしれぬと。
原田の想い人は、店に立っているらく、ちゃんと気を配っておかなければ、もっといい誰かに攫われてしまうかもしれないと、心配はあるものらしい。
沖田だってそうなのだ。土方には誰でも会える。隊内には土方を慕うものもいる。全てがけしからぬ事を考えているわけではないにしても、その気のない者がいないとは限らない。競う相手が沖田と思えば躊躇う者も多いだろうが、土方が手を延べたなら、相手が沖田であろうと関係はない。
「大変…」
見回りの後にでも、何かあの人の喜ぶ物を買わねばと、沖田は思うのだった。
「歳さん、これ貰って下さい。」
夜も更けてから土方の元を訪れた沖田は、そう言って土方の前に手を差し出した。
土方は黙って差し出されたものを受け取ると、嬉しそうに笑った。
赤い珊瑚の根付である。赤は土方の好む色であり、細かな彫で梅の枝振りを表したそれは、一瞬で沖田の目を引き付けた。
「いいのか?」
綺麗な品ではあるが、それだけに値が張ったのは事実。土方もそれを思って問い掛けたのだろうが、今さら返してくれなんぞと言っても、返してはくれないだろうと思う顔をしている。
「ええ。きっと、歳さんに似合うと思って。」
にこりと笑って言えば、土方は指先でそれをそっと撫でてから、脇の文机へそれを置いた。
「それじゃ、なんぞ礼をしなくちゃなるまいな。」
に、と笑った土方は、沖田へ身を寄せると、その肩に手を置いて口を合わせた。
そのまま後ろに倒れ込んで、上から見下ろして嫣然と笑うその顔を見て、沖田は自分が嵌められただろうかと一瞬考えた。
時々、土方は沖田の好意を試すような事をする時がある。ほんのちょっとした事が多いが、自分の機嫌を沖田がちゃんと読み解くかどうかなどを、眺めている様子の時があるのだ。
今回もそうだったのだろうかと思ったが、あんな子供の玩具のような根付をわざわざ京へ来る荷物の中に入れていたのならば、単にそれを懐かしく眺めていただけのことかもしれない。
この人も、周りに人が増えて、私が誰かの事を想ったりしないかと心配してくれたりするのだろうか。
押し倒した沖田の着物を乱していく土方を眺めながら、沖田はそんな事を思う。
「前にあげた木彫りの根付、まだ持っていてくれる?」
問いかけると、土方は動きを止めて顔を上げた。
「当たり前だろう。俺がなんでお前のくれたものをなくしたりするもんか。」
少し怒ったような顔に嬉しくなって、沖田はえいやと土方を巻き込んで大勢をひっくり返す。
「総司!」
「お礼も嬉しいけど、私は歳さんを構う方が好きだな。」
隅々まで全部触りたい。と沖田は笑い、土方はその言葉に赤くなって固まってしまう。
「お礼なら、今日は沢山私の名前を呼んで。」
土方の帯を解きながら、沖田は耳許にそう囁いてそっと耳を噛む。
「んっ…」
ああ、本当に心配。土方を抱く時、沖田はいつもそう思う。これだけで甘い息を零す土方も、それだけで兆してしまう自分も。
「総司…」
するりと腕を回してくれる土方は、口を合わせるのが好きだ。だからこれは、口を吸ってほしいというお願い。意地悪をする時もあるけれど、結局拒みきれないのがいつもの事だから、今日はちゃんと応えてあげようと沖田は土方に笑いかけるのだった。
「お嫁入り」の続きです。歳さんをお嫁に貰いたい宗次郎。子供なりに、将来を描いてみたりするものです。
この後の甘い展開は、私に度胸が付いてから…って感じで、寸止めとなりました。
時期的には、池田屋前くらいですかね。
土方もまだまだぼんやりしていて、新選組もまだ殺伐としていない感じ。
屯所でいちゃつくのも平気。って呑気さのある頃。(2008.3.6)