「歳さんも。」
はい、と手の中の饅頭を半分に割って差し出せば、歳三はにこりと笑ってそれを受け取ってくれた。
自分の物は歳三と半分に分け合うのだと、宗次郎は心に決めている。
とは言え、今半分に分けた饅頭は、先程歳三が宗次郎にと持ってきてくれた物で、自分の物を分けてあげるという形としては不完全なのだが、宗次郎にしてみればそんな事は関係ないのだった。
「美味しいね。」
二人で食べるから余計に美味しいと、宗次郎は思う。
「そうだな。」
歳三は宗次郎にとって憧れの人だ。
顔立ちも綺麗だし、性格もはっきりしている。こうして時々姿を見せては、宗次郎にと菓子を持ってきてくれるのも嬉しい。
歳三ほど、宗次郎の中に入り込んでいる人はいないと思う。
「道場の手伝いは辛くないか?」
「大丈夫です。」
日野での暮らしから離れ、江戸の誠衛館にやってきてからというもの、宗次郎は道場での剣の修行と共に、下働きのような事もしている。
他人を預かって生活の面倒を見てくれるのだから、家の事の手伝いは当然だと宗次郎は思う。それに、大先生も若先生もとても優しく、宗次郎の事を気に掛けていてくれる。慣れない事ばかりではあったけれど、何も、辛い事はなかった。
「そうか。宗次郎は偉いな。」
そして、こうして歳三が自分の為に時間を使ってくれる事、誉めてくれる事が嬉しい。
歳さんは、私の事を好いていてくれるかしらと、こんな時に宗次郎は思う。
日野にいた頃からずっと、宗次郎は歳三が好きだった。歳三が自分を大事にしてくれているのはわかっていたけれど、それは私を好きだって事なのかなというのが、宗次郎の心配だ。
まだまだ早いけれど、いつか歳さんが誰かをお嫁に貰うような事になったらどうしよう。それより先に、色々と準備をして、歳さんをお嫁に貰わなくてはと宗次郎は思う。
しかし、宗次郎には、身分がどうという事も、性別がどうという事も、結婚するという事も、実のところはよくわかっていない。
ただ、お嫁に貰うとその後はずっと一緒に暮らせるのだという事と、結婚には手続きとか準備とかが必要だという事、それから綺麗な衣装を着て皆に祝ってもらえるという事を、姉の結婚を見て知っているだけの事だ。
それでも、だからこそ、宗次郎は今の自分にとって一番大切な人に、それを願うのだった。
「歳さんは、今日は泊まっていくの?」
問いかければ、歳三は残念そうに首を振る。
薬の行商の途中で江戸を通る時には、歳三は必ず誠衛館に顔を出すが、泊まっていくのはほんの時々の事だ。精々が、こうして宗次郎と菓子を食べる間だけ、ここにいてくれるだけの事。
「今回は、ちょっと遠くまでの予定だからな。もう行かなくちゃならねぇな。」
「そう…」
「また、帰りには来るからな。」
にこりと笑ってそう言って、歳三は縁側から立ち上がり、脇に置いた葛籠を背負う。
「しっかりやるんだぞ。宗次郎。」
「はい。」
しっかりとした返事をする宗次郎を見て、歳三はほっと息をつく。
自分の身を振り返ると、こんなに幼いうちに親元を離される宗次郎が不憫だと思う事よりも、こうしてしっかりと暮らしている事が立派だと思う。
自分だったなら、剣の修行の傍ら、下働きのような事までさせられて、我慢していられただろうかと思う。
これは、宗次郎が侍の子だからだろうかと思う事もあったが、単に、自分に堪え性がないからだという事は、歳三にもわかっている。
だから、宗次郎が誠衛館に入ってからというもの、歳三は真面目に家業の手伝いをするようになった。勿論、他のねらいもあったのではあるが、武士になりたいという自分が、ふらふらと遊んでいるわけにはいかないと思うようになったのには、宗次郎の存在は大きかった。
「歳さんも、お気をつけて。」
「おう。」
軽く手を上げてそこを後にし、歳三は母屋へと暇を告げに足を向ける。
それにしても、宗次郎は、普段はもっと大人びた言葉を使って話をしているのだろうなと、時々見える言葉遣いに歳三はすこし面映い思いをする。
知らぬ大人の中に放り込まれて、必死になっているであろう宗次郎が、自分にだけは甘えた子供のような様子を見せるというのなら、自分は宗次郎にとって家族の代わりのようなものなのかもしれないと、歳三は思う。
だから、自分だけは、宗次郎を甘やかしてやってもいいだろう。そんな風に思って、歳三はここを訪れる時は菓子を買って来るようにしている。
歳三にしても、自分が自由にできる金など殆どないのだが、それでも団子や饅頭の一つならばどうにかなる。それで宗次郎が喜べば、歳三もどこか嬉しいのだ。
そして、宗次郎が半分を自分に分けて、嬉しそうな顔をしているのがまた、微笑ましかった。
「歳さん、いらっしゃい。」
待ちかねていた、という顔で自分を迎える宗次郎を見て、歳三は苦笑を浮かべた。
「よろしくお願いいたします。」
きちんと頭を下げて挨拶をすれば、宗次郎は驚いたように歳三を見返していた。
「宗次郎の方が、兄弟子だものな。」
こういう事はきちんとしねぇと。と笑う歳三を見て、宗次郎は変に自分の心の臓が乱れているのに慌てていた。
これは、子供の頃に見た事のある景色だと思ったのがいけなかった。よりにもよって、思い浮かんだのが結婚をする姉が兄に挨拶した姿であったのだ。
「宗次郎?」
「歳さんに、そんな丁寧にされると落ち着かないよ。」
まだまだ、歳さんをお嫁に貰うのは早い、早い。と子供の頃の自分のような事を考えて、宗次郎は苦笑を浮かべた。
「なんだよ。せっかく…」
ふん、とふて腐れたような顔をして立ち上がった歳三につられて立ち上がり、宗次郎は歳三の前に立って歩き出す。
今日から、歳三は誠衛館に正式に入門し、ここで暮らす事になる。それが宗次郎には嬉しくてならない。
これからは、ずっと一緒にいられるんだと思うと、落ち着かなくもあるのだけれど。
子供の頃、時折菓子を持って自分を訪れてくれていた歳三に、どんなに救われただろうと思う。あの頃は、何も辛い事なんてないと思っていたけれど、あの時間がなかったら、自分は辛くないなんて思えただろうかと思うようになった。
大先生も若先生も優しくしてくれた。辛く当たられたなんて思ってもいない。けれど、師に対して甘える事などできるわけもなく、子供のような我侭を言う事もできなかった。そんな時に、歳三はやって来るのだ。
心細くなりそうな頃、ふらりとやってきて、ほんの僅かの間だけでも、傍に座っていてくれる。だから、心細い思いもしなかったし、辛い思いもしなかったんじゃないかと、最近の宗次郎には思えるのだ。
きっと、この人はそんな風には考えてもいないんだろうけれど、きっと私は、これでもっと剣に精進できるような気がすると宗次郎は思う。
「これから、よろしくお願いしますね。」
返礼を忘れていたと、振り返ってそう言った宗次郎に、歳三は笑って大きく頷いた。
「任せとけ。」
この人の、このわけのわからない自信が好きだと、宗次郎は思う。
吃驚するほど前向きで、何時だって自信たっぷり。本当は、そう見せているだけの時もあるような、見栄っ張り振りも。
本当に、お嫁に貰えたらいいのにな。と分別のついた今でも思う宗次郎だった。
歳さんをお嫁に貰いたい宗次郎です。まぁ、数年後には貰うんですけど。
この二人の歳の差は、小さい頃には物凄く大きいだろうなと思います。
末っ子だけにお兄さんぶりたい歳三と、長男として立てて立てて育てられたであろう宗次郎の関係って、結構難しいところだなぁ、と思います。(2008.2.17)