千変万化



 歳さん
 そう呼び掛けると、彼はにこりと笑ってくれる。それは綺麗な綺麗な笑顔で。
「おう、なんでぇ。」
 それなのに、この言葉。
「相変わらず、ここは金目の物がねぇなぁ。」
 更に追い討ちをかける、この言い分。
 綺麗な顔をしているくせに、口が悪くて喧嘩早くて、足癖も悪い。
「お前、また金を借りに行かされたりしてねぇか?」
 それでも問いかけてくるその顔は、心配と気配りを見せているから、よくわからない人だと思うのだ。
「私は別に。」
 庭から入って、勝手に井戸で足を洗っていた歳三は、濡れ縁までやってきて葛籠を開ける。
「俺も、金があるわけじゃねぇからこんなもんで悪ぃけど。」
 葛籠から出てきた手拭いに包まれたそれは、結構な重みで惣次郎の手の上に置かれ、そっとその端を開けて中を見れば、栗やら茸が顔を見せる。
「凄い!」
 明らかにどこかで採ってきた物ではあるけれど、食べる物に金を掛けなくて済むのならば、金は別の物に掛けられる。そう思えばこれはこれで嬉しい貰いものだ。
「ちゃんと土地の人間に食えるか聞いてあるからよ、安心して食え。」
 喜ぶ惣次郎に歳三は頬を緩め、惣次郎はそれを持って厨ヘ急ぐ。この手土産があれば、お茶の一つも出しても叱られたりはしないはずだ。
 歳三は多摩の日野宿石田村の生まれで、家伝の薬を売り歩く手伝いをして暮らしている。そして、ここ試衛館の教える天然理心流を学んでおり、行商のついでに、各地の理心流道場へ顔を出しているらしい。
 そのせいか、試衛館から出稽古に行く日野で剣を学んでいるが、どこか少し違いがあると、近藤周助から時々注意を受けている事があった。
 それを聞き、周助の代で流派が別れたに過ぎないというのに、違いが出るものなのかと惣次郎は驚いたものだ。そしてそれならば、歳三の型が少々違う事は、仕方のない事なのかも知れないと思うと同時に、自分はできる限り周助や勇と同じ型を身に付けねばと思わされた。
 でも、歳さんはあれでいいと思うのだけれど。と惣次郎は口元を緩める。
 歳三はバラガキと呼ばれるような悪ガキで、喧嘩に明け暮れて育ったと惣次郎は聞いている。当然、身一つの喧嘩が基本ではあろうけれど、そこらの棒切れを振り回す事もあったろう。そういう癖を、後から直すのは至難の技なのだそうだ。惣次郎が特別に剣の修行もせずに試衛館に来た事を、周助が良い事のように扱ったのは、その為だったろうと思っている。
 だから、歳さんはあれでいいのだ。あの人が剣を学ぶのは、多分、その道を極める為ではなく、それをもって何かを成す為だから。
 歳さんと俺の剣への考え方は違っている。だからいい。惣次郎はそう思っていた。




 『千変万化臨機応変』
 天然理心流の極位にそうある。
 剣の極位としての臨機応変ならば、自分は身に付けられたのではないかと、少々の自負のある総司だが、歳三を見ていると、あの人はそれを生き方として身に付けているのだと思う。
 鳥羽伏見の戦いで負け、江戸に戻る船の中、歳三はこれからは銃も使えるようにならねばと、戦いの変化に対応しようとしていた。
 歳三とて、剣を捨てる事はできないだろう。けれど、戦いに勝つ為に、剣を脇に置き、銃を取る事を躊躇わない心がある。
 けれど、自分には無理だと総司は思う。
 剣の道を極める事、それが総司にとって全てだった。剣の道を極め、その道を与えてくれた師の為に働く。それが総司の誠だった。だからこそ、総司は剣を脇に置く事はできない。
 歳さんは昔からそうだった。と総司は笑う。
 その時々、成そうとする事を果たす為に、自分を変える事ができる。それでもその芯は僅か程も揺らいだりはしない。
 そうして今も、羽織袴を脱いで髪を切り、洋装で現われたその姿に、総司は驚きつつも、納得してしまうのだ。
「私は、そういうところ、歳さんには絶対適わないよね…」
 剣の腕だって絶対に負けないし、意外に口でだって負けたりしないけれど、そんな風に思わされる。
「何の事だよ。」
 お前も洋装にしたらいいとか、銃を持ってみるといいとか、そんな事は歳三は絶対に言わない。総司が剣を置く事ができない事を知っているからだ。
 もし、総司が病んでおらず、共に戦えたとしても、銃を持てとは言わなかったのではないだろうか。
 自分が変われるからと言って、他の誰もが変われるわけではない事を、歳三はよくわかっている。だから、こうして自分だけが完全に洋装に変えているけれど、他にはそこまでを求めない。
 けれどもきっと、ゆっくり時間を掛けて、剣の集団を変えていくだろう。そしてそこに、自分がいない事を、どこかで喜ぶ己を感じて、総司は苦笑を浮かべる。
「千変万化臨機応変、だよ。」
 色々なものを取り入れて、自分の中で形を作る。時々に必要なものを増やし、不要なものを減らす。そういう生き方ができるのだろう。
「歳さんは、間違いなく、天然理心流の人だね。」
 浪士組を組織して、迷わず理心流の技をそうとは告げずに隊士達に教えたのは見事だったと、総司は思う。
 二人掛かり、三人掛かりで敵に対応するその戦法は、天然理心流を田舎剣法と言わしめた理由であったそうではあるが、新選組の役目にはこれ以上ない程はまった。隊士達は、そうとは知らぬ間に天然理心流の門下生になったようなものだ。
「歳さんは、変わるのに、変わらない。……私はちょっと、無理みたいだ。」
 そう言えば、歳三は噴出すようにして笑った。
「お前は、昔ッからずっと、極める人間だったからな。」
 俺は、だから安心だった。と歳三は言って、総司の髪に触れた。
「でも、それは俺には真似出来ねぇ事さ。」
 だから、俺はお前に適わねぇんだ。そう言って、互いが違うが故に勝ちも負けもあるのだと示してくれるのが、歳三の総司に対する立ち方だった。
 どんな時でも、自分にきちんと向き合ってくれる。そんな歳三に今までずっと言えぬままにいた事を、言ってしまうのならば今しかないかもしれないと総司は思った。
 告げたところで歳三にとっては迷惑に違いないと、ずっと隠し通してきたものの、伝えぬままに死んで行くのかと思うと、それも辛いような気になってきたのは、自分の死期が近付いているのを実感したせいだろう。
「土方さん。」
 不意に畏まって名を呼ばれ、歳三は真直ぐに己を見る総司を見返した。
「私の事は、置いていって下さい。」
 ゆっくりと紡がれた言葉を、歳三は咄嗟には理解できなかった。
 甲州へ行くのだと告げた最初、総司は自分も行くと言ったのだ。病の事を考えれば、それは無理だとは思えども、共に行くと言ってくれた事が歳三には嬉しかった。だから、無理だとは思っても頷いたのだ。
 それなのに、置いて行けとその口が言う。それが酷く辛い。
「私が隊の足を引くなら、置いていって下さい。私がどんなに行くと言っても。」
 近藤先生も歳さんも、きっと私を連れて行ってくれるだろうけれど。できることならば、どこまでも共に行きたいと願ってはいるけれど、それが周りの為にならない事も理解している。
 なにより、自分の命があと僅かならば、張りたい意地だってある。
「………総司」
「歳さんに、みっともない格好なんて見せたくないんです。」
 京都にいた頃から、見舞いに来た歳三に、布団の上に横たわっているまま会った事などない。今だって、本当は横になっていたいけれど、そんな弱った自分は見せたくない。
 幼い頃からずっと、歳三は総司にとっては眩しい程に鮮やかな人で、あの人が振り向いてくれるような人間になると決めていたのだ。だから、こうなった今でも、自分を奮い立たせられるような気がする。
 けれど、自分の体の状態は、嫌でもわかるようになっている。甲州まで着いて行けるはずもない。着いて行ったとして、役に立てる場所などない。そんな自分が悔しくてならない。
「歳さんには、弱った私なんて覚えていてほしくない。」
 見舞いに来てほしいと、会いたいと思う反面で、病に臥せる自分ばかりが歳三の記憶に残るくらいならば、会えない方が良いかもしれないと思った。何の役にも立たない自分など、絶対に許せるわけもない。
「どうしてそんな事を言うんだ。」
 幼い頃から総司を見てきた歳三にしてみれば、病に臥せる姿をみっともないなんて思った事はない。どんな姿でも、歳三にとっては総司が大切な存在である事に変わりはないのだ。
 それでも、自分の良い姿だけを覚えていてくれればいいと思うのは、歳三とて同じ事だ。京都へ上がる前の、何の道も見えていなかった己の事など、忘れてくれればいいと思ってしまう事は消えるはずもない。だから、その言い分を頭から否定する事はできないけれど。
「ずっと、あなたを想っていたんです。」
 あなたが、誇らしく思ってくれる私だけ残ればいいと思う。
 笑みを浮かべてそう言った総司を見つめて、歳三は返す言葉を失った。
 今になって告げられた言葉が嬉しいと思うのと共に、何故それが今になって告げられたのかも予想がついてしまう。
 置いて行けと言い、みっともない姿を見せたくないと言う。それは、あと僅かの内に、歳三の傍から自分がいなくなる事を、総司が気付いているからだ。仮令この言葉を喜び受け入れても、その事で総司はまた苦しむ事になるのだろう。それならば、受け入れるわけにはいかないと思った。
「俺は…そんなこと、考えた事もなかった。」
 半ば諦めを含んだ言葉であったからだろう。総司はじっとその言葉を噛み締めるようにしてから、小さく頷いた。その事が、歳三にとっては辛い。
 幼い頃に出会って、自分にできる限りの事で大切にしてやろうと思ったのは、ただ弟を可愛がるだけの気持ちであったかもしれないが、次第にそれは形を変え、それでも告げても詮無い事と、隠してきたものであったのに、その欠片すらも伝わる事はなかったのかと、その程度の関わりであったのかとも思う。
「………わかってます。」
 揺らいでいる視線が、言葉の通りの意味を伝えない事に気付いていないらしい歳三へ、総司はそう返して笑った。
 もっと前に素直にそう告げていたなら、こんな結末は迎えなかったろうにと思うけれど、それももうどうしようもない事。自分達は選ぶものを間違え、伝える言葉を間違った。
 相手の何もかもをわかっている気でいたのに、本当に知りたかった事も伝えたかった事も、気付いてもいなかったのだ。
「だから、置いて行って下さい。」
 あなたにばかり辛い思いをさせているけれど、せめてそんなでもあなたの中に残りたいのだと、そんな自分を許してほしいと、総司は歳三を見つめた。
「………わかった。」
 伝わっているのだと、その目が語っているのを見落とすわけもなく、それでも自分の言葉を否定する事はできず、歳三は頷いた。
「出発の日に、また来る。」
 これ以上ここにはいられないと、歳三は慌ただしくそう告げて立ち上がった。
「支度をしておけよ。」
「はい。」
 今生の事はもうどうにもならぬと諦めて、弟に対する兄のようにそう言って、歳三はその部屋を後にした。
 総司は自分を変わっていく者だと言ったのに、こんな時ばかりに変わってやる事もできず、伝わっているのならば手を取ってやればいいのにそれすらしない自分を、歳三は後悔の内に呑み込む。
 結局は、何一つ変えられないのかもしれない。
 千変万化など、買被りもいいところだと、歳三は出てきた部屋の障子を振り返って笑った。




「歳さん。」
 自分は一つの事を極める人間だと言われたのに、どうしてたった一つだけ守り通せなかったのかと、外の光を通す障子を眺めて思う。
 ずっと黙っていればよかった。そうならば、あの人は余計な苦しみなど感じずに済んだだろう。
 一番苦しめたくなかったのに、堪えられなかった事であの人は悲しんで、自分を責める。そうさせた自分が悔しい。
 死が目の前にあるから尚更、あの人の為に強くありたかったと言うのに、あの人を目の前にすれば堪える事ができなかった。
「ごめんね…」
 自分が本当に死ぬまで何かを貫き通せる人間だったらよかったのに。そう思って総司は小さく笑った。




告白話を読むのが好きです。そこに辿り着くまでに焦れ焦れしていると更に好きです。
なので、そんな話を書いてみようと思ったのですが、何故かこんな展開に。
ずっと傍にいると、なかなか言い出せなかったりしないかな。と。

(2007.7.14)


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