2007年2月11日 日野へ行ってきました
高幡不動尊の殉節両雄の碑
最初はお堂の裏の方にひっそりと建っていたらしい。
やはり、色々憚るところがあったという事ですね。
両雄の碑の隣に建っている像
最近建てられたものらしい。
顔が似ているかどうかは、とりあえずおいておこうか…という感じではある。
この日は月曜だったのですが、祝日だったので宝物殿が開いているという事で、勿論拝観。
源さんの脇差し、中島登覚え書きの写し、土方の手紙などの他、
大鳥圭介、山岡鉄太郎、松本良順らの書も展示されています。
じ〜っと見入っていたら、丁度前に入っていたおばさま方が、
『うちのご先祖も、新選組について箱館まで行って、帰ってきたらしいのよ』
ってびっくりな会話を。
土地柄有り得ない話ではないとは思うが、誰のご子孫だったの…
大日堂
ここに、土方、近藤、沖田の位牌が納められています。
お堂の天井に竜の絵が描かれていて、その真下で手を叩くと、音が凄く響く。
ちょっと、震えがくるような感動。
お堂の裏側の位牌段に、写真も一緒に飾られて、お位牌があります。
大日堂前の梅の木
丁度梅の季節だったので、綺麗に咲いてました。
高幡不動尊を出て、多摩モノレールで一区。万願寺駅へ移動します。
すると…
駅のホームにこんなものが。
突然の攻撃に思わず吹き出し、写真に納めてしまいました。
駅を出て、地図を見ながらてくてく歩きます。
しかし、段々、ここでいいのか不安になってくる。
そんな時に、折よくこんなものが現われます。
ああ、あってるんだ。と安心して矢印の方向に進みますが、この資料館の矢印の向き、絶対違ってると思うんだけど…
土方家のお墓のある石田寺。
土地のお寺って雰囲気の、小さくて静かなお寺です。
入って右手側にお地蔵さんが並んでいます。
うちのお寺もお地蔵さんが本尊なので、親近感が湧いてきます。
本堂にお参りをしてから、お墓の方へ。
カヤの木と土方歳三の碑
多摩モノレールに乗って万願寺駅に向かっていると、このカヤの木ととうかん森の木がにょっきり伸びているのが見えます。
それを確認して、あの方向…と歩き出すといいですね。
境内に道順板があるのですが、カヤの木の後ろを通ってお墓の方へ行ってしまったので、『どの土方さん家が土方さん家の墓なの…』と思って一瞬慌てました。
辺りを見回して、案内版を発見し、お墓へお参り。
お墓の奥の方は、檀家さん以外は立ち入り禁止の立て看板。
お参りに来て騒いだりした人がいたのかしらと残念な気持ちになりますね。
石田寺を出て、目印に従って、とうかん森へ。
昔はもっと大きな森だったんでしょうが、今はほんの一区画。
写真を撮ろうかと思ったのですが、入口の旗が悲しい程にぼろぼろになっていて、それが入ってしまうので断念。
万願寺駅に戻る途中、閉まっているけれども土方歳三資料館へ。
資料館の前で残念そうな顔をした御夫婦の姿が。
お隣の門が立派だったので見に行ったら、説明看板がありました。
往時を偲んで、万願寺駅へ。
一区乗車して甲州街道駅で下車。甲州街道を歩いて日野宿本陣へ向かいます。
徒歩で20分程でしょうか。天気がよければ呑気に歩ける距離です。
大河のちょっと前までは、お蕎麦屋さんだったそうですね。
大河をきっかけに、これで町おこしをしようと、日野市が買い取ったと、中で説明をしてくれた方が言ってました。
天然理心流佐藤道場の碑
何が書いてあるかは、皆目読めませんが、ここに道場があったんだよ。という事が書いてあるのではないかと思います。
中に入って、説明を聞きながらお部屋の説明を受け、説明が終った後も、延々おしゃべりをしていました。
明治天皇が2回立寄られたんだよ。と聞いた時には、自分を担ぎ上げた人達が追い回した人の家だって知ってたのかしらね…なんて思いましたが、榎本武揚がお気に入りだったという明治天皇に、榎本が土方歳三って人がいてね…なんて話をしたからだったとしたら、それはちょっと楽しいかな、とか思ったりなんかも。
何が気に入ったのかわかりませんけど…って言ってたから、実際どんな理由があったかはわかりませんが。
説明は辿々しかったけれど、楽しい時間でした。
この後、日野ふるさと歴史館に移動し(結構遠い上に坂道を登らなくてはならない)、『総司、襖を開けといてくれ』に狂喜し、丁度やって来たバスに乗って高幡不動尊へ戻り、お土産を買って帰りました。
次は是非、食事処池田屋と各資料館を巡りたいけれど、イベントのついでに来ようなんて考えている限り無理ですね…