金戒光明寺



2007年6月8日 黒谷こと金戒光明寺へ行ってきました




門(山門は中の門なので、これを何と呼ぶのかがわからない)
ぴかぴかの綺麗な看板ついてます。
何せ大きな寺域を誇るので、当然、門からお堂は見えません



山門
下から見上げて撮ったので、全景が入ってないのですが、大きい!
これを、近藤ら新選組隊士もくぐったのかな。とか思いますが、
実際、会津藩の方々が、どこで執務をしていて、生活をしていたのか…
山門脇辺りに、山内の建物の案内看板があるのですが、本当に広い。
さすが大本山。って大きさです。
会津藩士の墓も地図で見るとかなり距離がありそうで、お参りは断念。




鐘突き堂横よりの山門
階段の上からの眺めなので、こちらの方が全景がよく見えます。

ここと知恩院が隠し城だと誰かの小説にあったけれど、直に広い道に繋がっていないのは昔からなのかどうなのか。
広いけど、お城って程の防御力があるようには見えないんだけど…
容保様は御影堂隣の大方丈で暮らしておられたんだろうか?




鐘突き堂(そう呼ぶかどうかは知りません…)
どの建物も立派だなぁ…としみじみします。
この脇で、スケッチをしてる人がいらっしゃいました。




御影堂
4時30分までは開いてました。映っているのはここのお坊さん。
私達が出ていくのを見計らって、入口を閉めておられました。
中は物凄く綺麗。しばし、御本尊の前でじっと堂内を眺めました。
黒谷に呼び出されたりしたら、ここにお参りしたりしただろうか。
それとも、そんな余裕はないかな。


実は、裏門から入ってしまったので、通った道順はこのページの逆順です。
いっそ、ここと平安神宮だけを目的に来たら、ゆっくりできたかなぁ…とも思ったり致します。




京都守護職屋敷門
黒谷近くの平安神宮へ移築されています。
15年程前に平安神宮の神苑に入った時、神苑の中にあったと思ってたんだけど。
地図を見ると、この奥が神苑、ってわけでもないような…
記憶違いだろうか。


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