心揺さぶるもの



「理一くんも一緒に行くかい?」
 そう問いかけてくれた従兄弟に、理一は大きく頷いた。
 1年前まで、理一のお気に入りは祖父から教えてもらった鉱石ラジオだったが、今夢中なのは、この従兄弟に教えてもらった無線だ。
 鉱石ラジオの最大の楽しみは、用意した石のどこが音を拾ってくれる場所かを探すことだと、理一は思っている。何も聞こえなかったところに、突然音が入ってくる。理一にとって、聞こえる音が何であるかよりも、その音を拾う行為が何より楽しかった。
 そして、見えないのに電波がそこここに飛んでいるのだと知ってしまえば、それらを拾い上げてみたいと思うのが人の常。理一は従兄弟の太助がその頃楽しんでいた、無線という電波を拾い発信する仕組みに興味を持った。
 休みになると従兄弟の家へ入り浸り、その後ろであれこれと説明を貰っては、どきどきと胸を高ぶらせる理一に、太助も自分の趣味を理解してくれる人がいるのだと、その状況を喜んでいた。
「楽しいの?」
 太助の友達が、松本の自衛隊駐屯地の基地祭に行くのだと言っているのを聞いて、理一は首を傾げて太助を見上げた。
「無線車両ももしかしたら展示してあるかもしれないよ」
 子供は戦車の上に上がらせて貰えるらしいよ。と太助の横で説明するのは、いわゆるミリオタというくくりをされる趣味を持った人物だ。
 太助よりも4つ年上で、理一から見ると8つも年上になる17歳だが、理一は既に慣れた相手で、彼から自衛隊の情報部の話なども聞き及んでいた。
「行く!」
 まだ母には言っていないが、理一の現在の憧れの職業は、自衛隊の情報部隊員だ。そこで無線車両を操れればいいと思っている。
 そんな具体的な夢を理一が抱くに至ったのは、理一があまりに無線電波に興味を持ったことを太助が心配したことに依る。
 理一が鮮明さに限界のある鉱石ラジオで、いかに鮮明に放送を受信するかに、相当の努力をしていた事を、太助は知っていた。アマチュア無線を楽しむ太助にくっついていた理一は、すぐにその仕組みも理解した。このまま行くと、聞いてはいけない電波まで拾ってしまうのではないかと、太助は考えたのだ。
 そこで太助は、理一にこう言った。
「いいかい、世の中には、聞いていい情報と、聞いちゃいけない情報っていうのがあるんだ。」
 理一は不思議そうに首を傾げ、しばらく何事か考えてから口を開いた。
「じゃぁ、どうしたら、何でも聞いていいことになるの?」
 そうまで聞きたいかという驚きと、今言っておいてよかったという安心とに、太助は大きく息をついた。
「自衛官とかいいんじゃねぇの?」
 そう答えたのは、そのときちょうど一緒にいたミリオタの友人だった。
「自衛官?」
 初めて聞く言葉に理一は首を傾げ、太助は何を言い出すのかと慌てふためいたが、彼の実家の事情など知らない友人は、得意げに理一に説明をする。
「自衛隊の隊員の事だよ。陸上自衛隊には、情報部っていうのがあるんだ。色んな情報を集めて分析したりするところだね」
「そこで、無線も使うの?」
「使うと思うよ。それだけじゃない、色んな方法もあると思うけど、扱う情報は、警察なんて目じゃないと思うね。なんと言っても日本の軍隊みたいなものだからね」
 政治家だの何だのが聞けば、自衛隊は軍隊ではありません、と否定するような言い分ではあるが、どう考えたって軍隊だ。というのが世間一般の意見だろう。
 そもそもアメリカから軍用機など売りつけられている時点で、軍隊じゃないと言われたって信憑性などないというものだ。せめて、海外に出兵しません、くらいにしておけばいいと太助は思っている。
 しかし、今問題なのはそれではない。理一は陣内本家の大事な跡取りだ。人の役に立つ仕事に就けというのが陣内家の家訓としても、自衛官は危険すぎる。
 自衛隊が派兵されることは少ない。けれど、彼らは日々訓練をしているのだ。そこで怪我をすることだってあるだろうし、命を落とすようなことがないとは言い切れないだろう。
 そんなものになりたいなんて言い出すきっかけが、自分にあると知れたら、どんなに叱られるかわからない。太助はそれにも恐れを抱く。
「でも、陸士からじゃぁ、触れる情報には限りがあると思うよ。やっぱり、それなりの地位に就かないとね」
 自分は自衛官になる気がないが、軍隊好きな友人は、自衛官の知り合いを作りたいものなのか、目を輝かせている理一に更に情報を提供し続ける。
「どうしたらなれるの?」
「まずは防大だね。高校生から入れる所もあるけれど、やっぱり大卒だと思うよ」
 未来の自衛隊幹部を養成する部署である防大は、大学卒業資格も取れるが、厳密には大学ではないという教育機関である。
「ぼく、自衛官になる!」
 理一がそう宣言するに時間は必要なかった。その宣言に大きく頷く友人にため息をつきつつ、太助は理一に向き合う。
「理一君、まだ決めるには早いんじゃないかな」
「どうして?」
「ちゃんと色々知ってからじゃないと、後からやっぱり違った、って思うかもしれないだろ?」
 とりあえず、基地祭に行ってからでもいいんじゃないかな。と太助が言えば、理一はこくりと頷いた。
「おばあちゃんたちに言うのは、それからにしようね」
「どうして?」
「きっと皆びっくりするし、もしかしたら理一君も気が変わるかも知れないだろう?」
 後からやっぱりやめるなんて言うのは、ちょっと格好悪いよ。と太助が言えば、理一はしばし考え込んで頷いた。
「もしかしたら、もっといい仕事があるかもしれないもんね」
 理一は目をきらきらと輝かせながら、他にはどんな条件があるだろうかと問いかける。
「あんまり偉くなると、自分で機械は操作できなくなるかもしれないね」
「それじゃだめだよ」
 面白くないよ。本を読むのと一緒じゃない。と理一は首を振り、その様子に自分の趣味なんて大したことはないかもしれないと太助は思う。
「理一君、そんなに楽しい?」
「目に見えないけどあるものが、自分で拾い出せるなんて、すごく楽しいよ!」
 はぁ、とうっとり息をついて友人の持参した写真資料集を眺めている従兄弟に、大変問題のある部分に火をつけてしまったのかもしれないと太助は深くため息をついた。



「お前としては、俺の後始末したのは問題なかったわけ?」
 問いかけられた内容が上手く理解できず、理一は首を傾げて侘助を見返した。
「あんな車持ち出してさ」
「成功したからいいんだよ」
 失敗していたらどうなったかはわからないが、理一は失敗の可能性がないと踏んだから、行動に出たのだ。米軍の不祥事を自衛隊が解決した。という形に取れなくもないあの結果は、自衛隊としても理一としても万々歳な終わり方だったと言えるだろう。
「問題あるって言うなら、とっくに問題になってるだろうからね」
 数年前、理一は上司から侘助のことを聞かれたことがある。あの時が一番危なかったのだと思う。
「どういうことだよ」
「お前がアメリカに行った時が最初。その時は俺も全然気付いてなかったんだけどね。君には兄弟がいたかな、とか言われて」
 姉がいますが、と理一は答えた。対外的には侘助は理一の叔父である。兄弟と言われて理一が侘助を含めることはない。
「その後は、あれの開発が進んだ頃じゃないのかな」
 君は叔父と連絡を取っているか。と上司から質問をされた。侘助が何かまずいことをしたかもしれないとはすぐに思い浮かんだけれど、答えを選ぶ時間はなく、それを否定したが、上司が立ち去ってから、その答えが適切だったかどうかは考えさせられた。
 そして理解したのは、自分の昇進はあまり望めなくなりつつあるということだ。情報部に配属された後だった事と、あまり昇進したくないという思惑があったから、理一が侘助を恨むことはなかったけれど。
「俺が幕僚長とか目指してたら、お前は日本に帰ってこられなかったと思うべきだね」
 防大を卒業して出世コースを着実に登っている人間の中には、最終的に隊内の最高幹部を目指す者がいる。大学時代からトップをひた走り、周囲に隙を見せず、必死になっている同期生を見るにつけ、理一は自分の目標がそこまで高くなかったことに安心したものだ。
 ただ、侘助が開発しているのがハッキングシステムだと聞いた時には、自分の情報部人生もここまでかと思い、暫くは上司の動向を伺う日が続いたのだけれど。
「俺らにはおばあちゃんがいたからさ、一度くらいなら何とでもなるけど、次はないと思えよ?」
 理一の笑顔の脅しに寒気を感じ、侘助はひきつった笑みを返して、本当は相当まずいことをしたのだと理解する。
 侘助が理一の立場に影響があったかもしれないと気付いたのは、ここへ帰ってきてからのことだ。
 自衛隊の機材を持ち出させた事についてだったのだが、公務員は身内の不祥事も大きな問題にされるものだとは思わなかった。
「悪かった」
「俺は、俺の邪魔をする奴は許さないから」
 そう言ってにこりと笑う理一が何より恐ろしいのだと、侘助は息が止まりそうな苦しさに、はっきりと理解した。




侘助が来る前の理一と太助。
無線大好きな当方の理一さん。教えてくれたのは太助兄ちゃんです。
だから理一さん太助さん大好き。だから太助さん理一さん心配。それって結局自分の将来の心配と一緒。
それから、侘助のした事は、理一さんの邪魔をしたと思います。自衛隊って隊外に話題出る事少ないけど、隊内は色々あるんじゃないかなぁと思うのですが、どうなんだろう。
おばあちゃんいるからさ、の辺りはまた今度。です。

(2010.4.1)




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