公然の秘密



 あのワビスケというアバターの持ち主が、あのラブマシーンの製作者なんだそうだ。
 というのは、既に世界中が知っている話だ。そして。
 あの黄緑色のアザラシの持ち主は、結構凄い人らしい。
 というのは、漠然としすぎた噂だ。
『リイチ、この間、あんたの事話題にしてる子を見たわよ』
 餃子頭に眼鏡を掛けたアバターが、黄緑色のアザラシに声をかける様を、遠巻きにしているアバターたちがいる事を、彼らはさっぱり気にしている様子はなかった。
『そうなの?』
 あの一件で、俺たちも有名になったもんだよねぇ。と、アザラシの上の吹き出しはのんびりした様子で言葉を表示している。
『ナツキやカズマの家族だって話?』
 花札ゲームの際に、彼らがナツキの家族である事は宣言されてしまっているから、どこの誰かはわからないにしても、どこかの一族が、必死になってラブマシーンの脅威と戦ったというのは、それこそ皆が知っている。
『アバターの見かけより、年取ってるっぽい、って話』
『あはは!!!』
 アザラシは宙をくるくると舞いながら、ビチビチと尾びれを振りたくって笑い声を上げる。
 リイチの公開プロフィールの中にある個人情報は一つ。『男』それだけだ。年齢や職業は、チャット中の言葉遣いや、内容などから察する他にない。だから、この緑のアザラシを見て、40越えた自衛官が持ち主だとは思わないだろうとは理一自身も思う。けれどまさか、そんな事が話題になる事があるとは思いもしなかった。
『笑い事でもない気がするけど』
 普通、こういった仮想空間では、アバターが本人とは似ても似つかない事などは、誰もが知っている事だ。けれど、OZの場合は、年齢や職業に沿ってアバターを選ぶ事が多い、子供はあまりそういう事を考えないようだが、年齢が上がるに連れて、自分の個性を反映するようになって来るものだ。
『姉さんだって、想像はつかないと思うけど』
 餃子が凄く好きってわけでもなかったはずなのにな、と理一は姉のアバターを始めて見た時に思ったものだ。そんな理香は、理一のアバターを見て、あんたらしいと言ったものだけれど。
『まだまだ、あの騒動は話題に上る事があるってことかな』
『カズマやナツキの影響でしょう?』
 カズマはあの後またキングと呼ばれるようになった。ナツキの可愛らしいアバターは記憶に残るものだったろうから、あの後、動物をモチーフにしたアバターが少し増えたという噂もある。そんな動物モチーフ家族の中にいる、アザラシが局地的に話題として残っているのも有り得ないわけではないのだろう。
『それにしても、意外におっさんか…』
 おっさんとは誰も言っていない。二人のアバターを遠巻きにしながら、その会話を盗み見ている人々は、アザラシの吹き出しを見ながらそう思う。
『ハズレではないけど』
 ハズレじゃないのかよ! と思った持ち主たちの驚きを表すように、びょびょびょ、と周囲のアバター達の頭上に『!』マークが出るのを、理一は笑いながら眺める。
 オープンスペースでの立ち話は、個人的な話題を出さないのが得策だ。込み入った話は相手以外は見えないチャットルームに入るのが一般的で、余程迂闊な人々でない限り、人目がある事は忘れない。ただ、この程度の話なら、わざわざ非公開にするまでもないレベルの立ち話だろうと理一は思う。
『意外に、見られてるってことだね』
 理一はあまり頻繁にOZに顔を出す事はないが、これは意外な話題だったと思う。
『ま、ごく一部の人だけでしょうけどね』
 そうリカが言った時、その隣にぽこんと豹の耳と尻尾を付けたアバターが現れる。
『遅れた?』
『大丈夫』
『ワビスケがまだだから』
『何よ、あいつまた遅刻なの?』
 ラブマシーンを作ったと言われている人物に、勢いよく文句をつけるのが、それからOZを救ったはずの家族の一員だという事に、その様子を伺っていた人々は首を傾げる。
 しかもどうやら、彼らはここで待ち合わせをしているらしい。という事は、現実世界では離れて生活しているという事だろう。
 ラブマシーンの騒動はまだ事後処理がきちんとは終わっていないようで、アメリカでは裁判も続いているという話だ。製作者側に罪が有るのか無いのかも、まだはっきりとした答えが出ているわけではない。
 ラブマシーンをOZで展開したのは軍である。だから、製作者には罪は無い。そういう主張が製作者側から出るのは当然考えられる話だ。
 しかし、ハッキングシステムなどを作った上で、軍にその試用を認めたという事は、今回のような事故が起きる事は想像できたはずである。その防止手段を講じなかったのは、製作者側の手落ちである。という反論が出るのも必至だ。
 実際に直接被害で死者が出るような事態は確認されてはいないが、どこまでを今回の騒動の影響として見るかに依っては、被害の範囲は相当変わって来る。
 企業活動の停止に依る被害の賠償を請求される可能性を思えば、どちらも自分の責任を認めるわけにはいかない。裁判が短期決着を迎えられるかどうかは、微妙なところだろう。
『色々、忙しいんだと思うよ』
『それでも、あいつが時間を指定したんじゃないの』
 別にメールだっていいのに、会いたいって言ったのはあっちでしょ。と勢いよく言葉が流れて行くのを、理一は笑いながら眺める。
 直美はいつでも侘助に手厳しい。というより、彼女は誰にだって遠慮なく直球を投げる人間だ。侘助はそれをいつもデッドボールとして受けているタイプで、理一や理香のように打ち返したり避けたりできないから、尚更また遠慮ない球を投げられるというところがある。
『まぁ、まぁ、もう少し待ってやってよ』
 リイチが宥めれば、ナオミは仕方ないわね、と言った表情を浮かべて辺りを見回す。
『ショッピングモールが大きくなった、って話があったけど、そうでもない感じ?』
『入口は変わらないからね』
 ショッピングモールと言っても、現実空間で大きな建物が建つのとは話が違う。ショッピングモールの入口を潜った先に、各店舗の入口が増えているというだけで、外から見れば何も変わらないのだ。
『ナオちゃんは、こっちで買物とかするの?』
『使った事のある化粧品とか、お菓子の類いは買う時もあるけど、服とか靴は買わないわね』
 写真じゃ正直判断できないもの。そう答えるナオミに、リカも頷いている。
『便利だけど、なかなか慣れないわよねぇ』
 こういう会話を見て、意外に年を取っていると思うのかも。と理一は思う。
 結局、理一たちの感覚では、仮想空間がどんなに便利になったって、現実空間が一番安心で安全なのだ。勿論、現実世界の危険と、仮想空間の危険には大きな違いがあるが、手で触れられるものに安心する感覚は、どうしようもない。
 遠距離恋愛の人が長続きしないのって、結局そういう理由だろう。と理一はぼんやり思う。やっぱり、触れない恋人より、触れる友人の方が影響は大きい。そういうことだ。
 最近のおすすめのお菓子は何か、などという話にリカとナオミが盛り上がり始めた頃、ぽん、と音がして、何の装飾も無いアバターが現れる。
『悪い。遅れた』
『遅いわよ』
『誘って最後って無いわよ』
 即座にリカとナオミがそう返し、白いアバターは項垂れて首を振る。
『ま、いいわ。さっさと決めましょ』
 そう言ってナオミは先に立ってショッピングモールに足を向ける。
『まだ、忙しいのか?』
 先を行くナオミとリカに続きながら、リイチはワビスケに問いかける。
 今日は、侘助がナオミとリカに誕生日のプレゼントを贈りたいという話を理一に振って来た事が発端だ。いっそ、二人に選んでもらったらどうなの。と理一は答え、侘助はそれもそうかと頷いた。結局、理一も侘助も、二人が好むものの想像がつかなかったせいだが、案外女二人の方は嬉しそうだった。
『今日はちょっと暇だったんだけど、寝てた』
『無理はするなよ』
 アメリカで侘助がどんな生活をしているのか、理一には想像ができないが、あまりまともな生活はしていないんじゃないかと勝手に思っていた。
『ああ』
 さっきまで項垂れていた白いアバターは、ぴょこりと顔を上げて、ぶんぶんと腕を振り回し、黄緑のアザラシに自分の元気さをアピールする。
『お前も何か欲しいものがあれば言えよ』
 その言葉、先月にも見たな。と遠巻きにしているアバターたちの持ち主は思う。
 確か、連れのアバターは黄緑のアザラシと警察官をイメージさせる猿のアバターだったと思う。その時は、猿の方が二人を誘った様子だったが、結局ワビスケはリイチに同じ事を言っていたのだ。
 この人、よっぽどこのリイチって人に頭が上がらないんだな、と思った彼は、少し離れたところで同じようにそれを見ていたらしいアバターたちの会話に目をやって首を傾げた。
『ほら、やっぱり、ワビスケってリイチが好きなのよ』
『これで5回目だもんね〜』
 言葉からしてどうやら持ち主は女性のようだが、随分盛り上がっている様子だ。彼らはショッピングモールに入って行ってしまったから、もうその会話は彼らに見られてはいないだろうが、辺りを見回すと、興味津々でその様子を伺っていたらしい人々が、やいやいと会話を繰り広げている。
 彼らに注目していたのは自分だけじゃないのか、と思いつつ、あのワビスケという人物は、この注目を知っているのかな、と思うのだった。




10周年キリリク 桐生薫さまより、公然の秘密
OZ 家族。 って事で、全世界に公然の秘密。です。
この侘助はまだ絶賛片思い中ですね。なんとか理一にアピールしたくて必死ですが、相変わらず、金と物以外が思い浮かばないという。
名も無き第三者が沢山いますが、あの世界って、こんな風に覗き見されてるわけですよね…
もう、侘助には、全世界の人々の前で、理一に愛の告白でもしてもらえばいいと思います。
リクエスト、有難うございました!

(2010.6.1)




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