「理一か!?」
はい、も何も返す間もなく、いきなりの叫びに、理一は小さく息をついた。
「そうだよ」
このやり取りも、今日官舎に戻ってから既に4回目。
多分、これで最後だとは思うが、用件も多分同じであろうと思うと、流石に愛想よく相手をする気も萎えるというものだ。
「今日、お歳暮が届いたんだ。」
理一の疲れた声に落ち着きを取り戻したのか、数秒黙った後、この世の終わりが来たかというような、重々しい響きで彼はそう言った。
「うちにも来たよ。」
理一の元に届いたのは昨日だが、その辺は居住地に依る誤差だろう。
ただ、それを送って来た人間の事を思うと、どうしていいのかがわからない、というのがこの事態の理由だ。
「どうした!?」
「開けたよ」
当たり前の事なのだけれど、最初に電話をしてきた人物は、箱を開けもせず、荷札だけ見て慌てふためいたらしく、電話の最中に箱を開け、更にパニックに陥った。
「俺だって、開けるくらいするよ。」
テンションが大揺れしている様子で、彼は大きくため息をついた。
「それから、電話した」
「なんて?」
「お返しに困るもの送ってくるな。って」
理一の官舎に届けられた箱は、小さなものだった。だから理一は精々がハムとか、ありがちなものだろうと思って箱を開けた。
「それは理一だからできるんであってさ…」
俺にどうしろって言うんだよ。と彼は心底困った様子で呟いて、理一は今日も机の上にどんと載ったままのそれをちらりと見やった。
「これって、高いものか?」
「本人は、そんなことはないって言ってたけどね」
あれは意外にカッコ付けな上に、思ったより金を持っているから、実際は安くはないのだろうとは思う。
「見るからに高そうなんだけど」
「本人がそうじゃないって言ってるから、安いってことにしたらいいんじゃないかな。」
机の上には豪華さを醸し出す硝子の瓶が1本。
瓶の側面に貼られたラベルに印字されているのは、初めて見る横文字の銘柄。
「そうは言ったって、あんまり安いもの返せないだろう?」
それではどうにも納得できない。という様子の彼に、理一は小さくため息をついた。
「侘助が言うには、知り合いの農場の作ってるものだって話だよ」
種類で言うならウィスキーだ。陣内家ではあまり出番のない種類の酒になるが、アメリカ暮らしの男に、飲み慣れた上田の地酒を送ってこいとは言えない。
本当に知り合いの農場が作っているというのなら、ある意味、地酒ではあろう。
「お返しの品より、電話してやって」
理一が電話をした時、彼は多分ビビっていた。慣れている理一にすらそうなのだ。頼彦たち相手では、どれだけビビっているのかなんて、予想もつかない。
夏の騒動が終わって、結局事後処理だ何だといって、侘助は日本に戻って来てはいない。
昨日の電話では、来年の春には日本に戻りたいと言っていたが、その時どこに侘助が落ち着くのか、まだはっきりとした事は考えていないようだった。
それでも、こうしてお歳暮などを送ってきたというのは、どうか親戚付き合いをよろしくお願いしますという意志の現れだろう。
ここで、とりあえず物を送って来るところが、人付き合いに小心な侘助らしいと理一は思うのだが、そんな侘助に慣れていない頼彦たちには、お互い様でビビりあいの状態だ。
理一の元に掛かって来た電話は、頼彦たち三兄弟に太助の4人だが、直美や聖美たちは理香のところへ電話をしているだろうし、万助たち兄弟組は、当然万理子へ電話をしているに違いない。彼らの中では、万理子の家族が侘助の家族なのだ。
「携帯、ちゃんと通じるから。」
「でも、俺からいきなり電話あってもさ」
「いきなりお歳暮送って来たの侘助だから」
無視はされたくない。だけど、物を送っただけなら、反応がなくても諦められる。多分、侘助の心理状態はそんなところだ。それでも今、彼は必死に期待感と戦っている事だろう。
「話す事もないだろうけど、謎の酒の話題があるから大丈夫だと思うよ」
知らない名前の酒。高そうな瓶。他の話題がなくたって、それについて尋ねるだけでもいくらかの会話はできるはずだ。
多分、侘助は無意識でそういうものを選びとったのだろうけれど、理一から見れば、そんなところだと簡単に想像ができた。
「わかった」
暫く考え込んでいた彼は、黙って待っていた理一にそう言って、礼を言うと電話を切った。
やっと終わり、と息をついた理一は、せっかくだから1杯飲もうと思い立ち、ふと首を傾げる。
「ハイボール流行ってたの、知ってたのかな」
今年はテレビでもよく見た四角いジョッキの絵面を思い出す。
生憎理一の部屋の冷蔵庫にはミネラルウォーターまでしか入っていないので、それを作る事は不可能だが、もし侘助がそれを知っていたと言うのなら、それこそ本当に必死に考えた結果だと思うのだが、さてどうなのか。と今頃誰かからの電話を受けているであろう彼を思って笑みが浮かぶ。
電話をかけた中の誰かが、一人でも、『正月には帰って来るのか』なんて言葉をかけてくれたとしたら、きっと彼はぶっきらぼうに返事をしながら、泣きそうになって喜んでいるに違いないから、もう暫くしたら、電話をしてみようと理一は思い、ふと見やった携帯が着信にライトを点滅させている事に気付く。
「はい」
相手の名前を確認せずに返事を返せば、大きなため息が聞こえて来た。
「姉ちゃん?」
「頼彦君たちから電話あった?」
「さっき終わったとこだよ」
いきなりため息から入った姉に、これはあちらも大変だったらしいと可笑しくなって、笑いを漏らせば、姉の方は怒って笑うなと返してくる。
「夜に叔父さんたちが来て、男二人、箱を開けるのにどれだけ時間をかけた事か…」
「そっち?」
「直美たちは、お返しどうしようか、って程度よ。面倒だから皆で送る事にしたけど、あんた何か送っておいて」
「わかった」
相変わらず、弟遣いが荒い姉からは、予算がどうとかいう発言はなく、頼彦君たちの名前も書いておくのよ、という指示が来る。
全く、あの男は碌な事しないわ。と理香は文句を言うけれど、その声は楽しそうで、理香が侘助の姉の気持ちで心配していることが見えるようで、理一はほっとする。
あの夏の騒動から、結局侘助は皆とゆっくり過ごす時間もなく、この正月も戻れそうにないと言っていたから、心配をしていたのは理一も同じ事だ。
あの時のあの場の雰囲気のまま、少しでも落ち着いて話ができていたら、侘助の気も楽になったろうけれど、結局時間が空いてしまって、また元通りになっていたらどうしようかと、あの男は考えているに違いない。
「やっぱり、叔父さんたちの方が、戸惑いは大きいってことかな」
「自分たちは当然何もしてないだろうからね。多分、お歳暮だってことすら、すぐには気付かなかったんじゃない?」
と言ってまさか、爆発物を送ってくるとは思わなかったろうから、どうしていいのかわからず、電話を取った息子や娘たちとは違い、その足で家まで来たという事か。
「母さんも呆れてたけど、母さんは母さんで、一言の手紙もないって怒り出すんだもの。」
その場でお小言の電話よ、と理香は笑い、結局、すぐさま電話を取れるのは、とりあえずは家族として過ごした事のある人間だけか、と理一は苦笑を浮かべる。
すぐに侘助が馴染めるわけがないのはわかる。何より側にいない人間には歩み寄りようがない。
だから、早く帰って来ればいいのに。と理一はあの日見送った背中を思う。
「お正月には帰って来るのかしらね。」
「無理そうだって言ってたけど。」
1年は早いとは言わないと思うけれど、10年いなかった人間にしてみれば、1年なんてすぐかもしれない。
「ふぅん…」
「早く帰るって言ってたんだけどね」
ぽろりとこぼれた言葉に、電話の向こうで理香が黙り込むのに気付き、これは失言だ、と理一は思う。だけど、出た言葉はもう飲み込めない。
「……ふぅん…」
惑うように、それでも理香はそう返して、じゃぁね、と電話を切った。
これでまた、姉の婚期が伸びたらどうしようか、と理一はぼんやり思った。
侘助、お歳暮を贈る
侘助にとって、たとえ親類でも、人間と付き合うのはまだまだ勇気のいる事のような気がします。
誰かと仲良くしたいけど、誰かからの働きかけを待っている侘助と、それを知っているから、何とかしてあげようかなと思う理一。
侘助の形成する人間関係の内、第3世代内の足掛りは理一と理香。第4世代は夏希。そんなイメージです。
これでも、侘理だと言い張る心意気です。
(2010.1.5)