お金のお話



「金、貸してほしいんだけど」
 食事の最中に、そう持ちかけた侘助を、理一は動きを止めて見返した。
「幾ら?」
 何故か、ではなく、金額を聞いてきた理一に、侘助は返事を迷い、過日の会話を思い出した。



 夏の騒動から1年近く経って、やっと実家に戻った侘助は、その家が綺麗に整えられて元に戻っている事にほっと息をついた。
 自分が悪いと認めるのは今でも釈然としないのだが、自分も悪かったとはなんとか認める事はできるようになった。
 だからこそ、この家が元通りになっている事には、何より安心した。
 戻って来るまで、まるで違う場所になっていたらどうしようかと思っていたのは事実だからだ。
「家、直ったんだな」
 働きに出ている理香は昼間は家にいないから、昼食を共にするのは万理子と侘助の二人だ。
 おばさんと呼びかけながら、母の役目を果たしてもらい、戸籍上は姉である人は、帰ってきた侘助に文句の一つも言わなかった。
 ただ、お帰りと言って迎えてくれた時、侘助はこの場で土下座するべきなのかと考えた自分に驚いた。
「意外に早かったのよ」
 全部元通りというわけではなく、使い難かった場所はついでに使い勝手を良くする事などもしたらしく、風呂と台所が新しくなったのは、流石暮らすのが女二人というところかと、侘助に思わせた。
 実際、歴史あると言えば聞こえはいいが、そういった部分は時が経つに連れて使い難くさが顕著になるものだから、いい機会だったというところだろう。
「金はどうしたんだ?」
 侘助はアメリカに戻っている間には一度もそんな請求は受けなかったが、この家に多くの金があるとは思えない。
 どこかから借りたのか、誰かが払ったのか、借りているのならば、返済に協力する必要があるだろうと思う。
「万作と万助と理一が払ってくれたわ」
 自分の兄弟とその代理と思われるメンバーを聞くと、本来は理一ではなく自分のところへ来るべき請求だったのではないかと侘助は思う。
「お金を借りようかと思ったけれど、返すあてもないでしょう」
 万理子には収入がなく、売れるものは侘助が売ってしまったから、この家にはもうこの家と土地しかないのだが、それを担保に借金をしたところで、返せず取り上げられたら元も子もない。
「……ああ」
 やっぱりあれは売ってはいけないものだったのだ、と暗に責められているのではないかと思って俯いた侘助に、万理子がくすりと笑いをもらす。
「あの山の事は、気にする事はないのよ」
「でも」
「残っていれば、今頃もう売ってしまっていたから、どちらにしてもなくなるものだったのよ」
 けれど、あれを侘助が売っていなかったら、侘助は金を手に入れられず、ラブマシーンを作る事はできなかったかもしれない。そうなれば、この家が壊れる理由もない。
「あの山はね、うちが借金をする時に、担保に使っていた土地なの」
 落ち込む侘助に、万理子は苦笑を浮かべてそう話かける。
「万助も万作も、あの山でお金を借りて、船を買って、開院して、それでお金を返してきたの」
 そんな話は初耳だと、侘助は顔を上げて万理子を見返す。
「そんな話は誰もしなかったから、お前は知らなくて当然ね」
 それは結局、二人が共に自分の母に借金を申し込んだという事であり、それに母親が応えたという事だ。
 その行動は、そこまでならば、侘助がした事と何一つ変わらない。
「じゃぁ…」
 あの時、祖母が侘助に差し出した物は、それで金を借りて自力で返せという意味だったという事だ。
 侘助は、それを祖母から分け与えられた物だと思い、売り払って金を得たのだけれど、何か話していたような気がしないでもない。
「お前が、お母さんにお金を貸してくれと言いに行ったのは、誰もおかしな事とは思ってないのよ。だって、親っていうのはそういうものでしょう?」
 子供を立派に育てて、ちゃんとした人間にするのが親の務めだと彼女も常々言っていた。
 今は銀行などから金を借りるのが一般的になりつつあるかもしれないけれど、昔は親兄弟に頼むのが一番ありふれた方法だった。
 侘助がそうした事を、養子の身分で図々しいなんて思う事は、少なくとも親から借金の手助けを受けた二人の兄弟には言えないし、それを知っていた万理子にだって、そんな気はない。
「俺は、あれはくれたものだと…」
「お母さんの説明がなかったのか、お前が聞いていなかったのかはわからないけれど、方法はどうあれ、お前があれを返そうとしていたのなら、気持ちは万作たちとまるで違っていたとは言えないんじゃないかしらね」
 結局、あれを元手に更に多くを返そうと思っていたのならば、した事もその結果もお粗末だとしか言い様はないけれど、性根が腐っているなんて言い切る事もできないのではないかと万理子は思う。
 昔から、侘助は母が大好きな子供だったから、侘助があの山を売ったと聞いた時、周りの意見はどうであれ、万理子は侘助がそれを盗んだなんて事は僅かも思わなかった。ただ、納得し難い部分があったのも事実で、侘助が家を離れている間に、自分の知らない人間に変わってしまったのかもしれないと思うようにはなった。
 そういう部分で、侘助と一族の間には溝があり続けていたのだと、今ではそれをとても残念なことだと思う。
 けれどそれは、こうしてきちんと向き合って話せば、解決できない事ではないのかもしれないと、毎日向かい合って食事をしながら、万理子は思うのだ。
 少なくとも、帰ってきた侘助は、万理子にも理香にもきちんと向き合っていて、何で働いているのかは明かさないものの、後ろ暗い事をしていることはないと明言もした。
 侘助が、そんな風に自分の事を話すのは初めてだったから、その夜は理香と共にあの子も変わったものだとしみじみ語り合った上に、理一に報告までしてしまった程だ。
「でも、それじゃ、俺が払うべきだったんじゃないのか?」
 費用をどのように分割して受け持ったのかはわからないが、理一が受け持ったのは本来は万理子が払うべき部分だったのだろうと予測が立つ。
「理一の分担はほんの少しよ。その辺は、叔父のプライドってものがあるみたいね」
 にこりと笑う万理子に、侘助は首を傾げる。
「最初は、理一が全部払う気でいたみたいなんだけど、それを聞いてあの二人がね」
 おかしそうに笑う万理子に、侘助は叔父の事より、甥である理一の懐具合に驚きを隠せなかった。
「あいつ、そんなに金持ってるのか?」
 侘助は祖母に資金援助を申し込んだ程度には、金のかかる仕事をしている。未だ、大きく取り戻したとは言い切れないところだ。金がないとは言わないが、あるとも言い切れない。
「大学生の頃からお金を貰っている子だもの。大きなお金のかかる趣味もないでしょう」
 理一の趣味はそのまま仕事にスライドしているから、理一の金食い虫は車とバイクくらいだ。あれは多分女に貢ぐタイプでもないと侘助は思う。
「まぁ、そうか…」
「今度、お金が必要になったら、あの子に頼むのがいいんじゃないかしら」
 10年前だって、侘助が理一に頼る勇気さえあれば、ある程度の額は借りられたのかもしれず、そうなれば、侘助にとってこの家はあれほど敷居の高いものではなくなっていたかもしれない。
 そうは言っても、侘助が理一に金を貸してくれと言うなんて事は、無理な話だ。
 仲のいい兄弟だった自覚はある。頼めば断られないだろうという確信もある。けれど、金の貸し借りは立場に上下関係を作りやすい。侘助にとって、理一の下に立つのは考えたくない事だ。上に立っていなくてはと思う事はない。けれど、対等でいたい。できれば上でいたい。意味のないものだと思われたくはないから。
「なんとなく、負けた感じがするだろう」
「理一はそんなこと気にしないわよ」
 おかしそうに笑う万理子を見ると、確かに理一は普通と少し反応が違うから、気にしないかもしれないと納得しそうになるが、こういうのは相手の態度よりも自分の気持ちだと侘助は思う。
 要するに、理一がどう思っているのであれ、理一から金を借りた自分が、理一に強く出る事ができなる事が嫌なのだ。だから、理一には頼み事をしたくない。ただそれだけだ。
「お前は気にするでしょうけど」
 言い当てられて、侘助はぐっと言葉に詰まる。
「身内なんだから、上も下もないのに」
 男っていうのは、いつまでも子供ね。と笑う万理子の言い分の中には、理一に金を引っ込めさせた自分の弟たちの事も含まれているのだろうけれど、この人にも、自分は敵わないのだなと、侘助は思うのだ。
「理一は気にしないだろうけどさ」
 あれは、陣内の異端児だからだ。と侘助は心の中で呟いた。




「幾ら?」
 黙る侘助に、理一は重ねて問いかける。
「………1000万」
 できる限り法外な値段を口にすれば、理一は少し思案するように首を傾げる。
「返済期限は?」
 拒否が返らなかった事に戸惑いつつ、現実味を帯びた問いかけに侘助も実現可能な時間を思案する。
「20年」
「利息1割なら」
 20年で100万色をつけて返すなら貸してやる。という法外なのかそうでないのか微妙な利息請求と、今すぐその額が用意できそうな返答に、侘助は目の前の理一を見返す。
「……マジで?」
「5分じゃ俺の割に合わないじゃないか」
 そうじゃなくて、お前は1000万なんて金をポンと貸せるような稼ぎがあるのですか、という事なのだが、考えれば預貯金がその程度あるのは間違いない勤続年数ではある。
「すぐに全額っていうなら無理だけど」
「いやいや、ものの例えの話だから」
 金ならあります。と返せば、理一はなんだ、と少し残念そうに呟く。
「恩を売るチャンスかと思ったのに」
 残念だな。と言いながら、その表情は楽しそうに笑っているから、そんな気はさらさらないのはわかるけれど、その反応で、あの時の万理子の言い分は正しかったのだろうと理解できた。
「ホントに困ったら、是非お願いします」
「おかしな事に巻き込まれるくらいなら、是非どうぞ」
 にこりと笑う理一に、それでもきっと、頼る事はないんだろうけど、と侘助は思うのだ。




作中で最も気になっている部分を、なんとか辻褄合わせてみようぜ…ということで。
侘助がおばあちゃんから『貰った』と思い込める状況でありながら、他の身内から見ると『勝手に売った』になり得る状況とは是如何に。
陣内のお家が、戦後しばらくすると、すっかり資産がなくなっちゃった、というのなら、万作さんも万助さんも、開業資金はどうしたんだろ?
船を買うのも医者を始めるのも、かなりお金がいることなのは間違いない。かと言って、お金くれる余裕は親にない。
家の資産を使ってお金借りたに違いない! 今は担保なくてもお金貸してくれるみたいですが、でかい金はやはり担保がいるんじゃないの?と思って。 実際どうなのかわからないんですけど。
ホントにおばあちゃんから受け取ったんだと思います。でも、おばあちゃんの言う事聞いてなかったんだと思います。
『何年掛かってもいいから、ちゃんと自分で返すんだよ』とか言われてるはずだと思います。全く耳に入ってないと思いますが。

(2010.2.24)




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