デルタ



「昼飯、庭で食おうぜ!」
 突然の提案に、モクバは首を傾げて城之内を見やった。
 今日は、仕事に来たのではなく、単に遊びに来ただけの城之内は、モクバを相手にテレビゲームで遊び、ちょっとだけM&Wの相手をしたところだった。
 モクバが真剣にM&Wを始めたのはつい最近の事で、兄に挑む程の腕はないが、城之内を相手にするならば、なかなか勝てるものでもないが、あっさり負ける事もない。城之内にしても、遊戯に相手を頼んでばかりいるわけにもいかず、新たな相手が見つかって嬉しいという気持ちもあった。
 モクバは、カプモンのプレイスタイルとよく似て、兄と同じ系統の、力技に近い戦法を好んでいたが、最近では、なかなか狡猾な手も使うようになって、城之内は時々驚かされたりしていた。そして、彼の兄ももう少し小狡くなったら、向かうところ敵なしの状態になるんだろうな…と、思ったりしていた。
 彼の人は、何のかのと言って、真直ぐに突っ込んでくるタイプだ。力押しするから、片身を引かれると転ぶタイプで、城之内のような人の足下を掬うようなタイプとは、かなり性質が違う。以前はあっさり負けたが、今なら、ああまで簡単には負けないのにな、と思う事もあった。
 それでも、小狡い海馬瀬人は見たくはないし、あれはあれでいいんだろうとも思った。当人に語らせるのならば、『この俺が何故、コソコソと動き回らねばならんと言うのだ!!』という感じだろうか。彼の人は、足下を掬われる事など考えもせずに、ガッツンと闘ってもらいたいものだと、城之内は思っていた。
「庭にテーブル出すのか?」
「んなのいらねぇって。」
 城之内は軽くそう答えて、ぽん、と立ち上がった。
「お前、料理した事ある?」
 つられて立ち上がったモクバに、城之内は問い掛け、モクバは首を傾げた。
「調理実習ならした事あるけど。」
「じゃ、大丈夫だな。行くぞ。」
 モクバの返事に機嫌良くそう言うと、城之内はモクバの手を引いて部屋を出た。
「城之内?」
「たまには、普段しない事もやってみないとな。」
 わけもわからず、それでも上機嫌の城之内を振り払うわけにもいかず、モクバはおとなしくその後に従った。
 城之内がこの家に来るようになって暫くたつが、彼がしようと提案した事は、モクバにとって意外に楽しい事が多かった。この家でこれまでにする事のなかった事が殆どだったから、珍しいと言うのもあるが、それでも楽しいと思える事だった。
「どこ行くんだよ。」
 階段を下って、普段は足を向けない方へ連れていかれると、モクバも少し戸惑わずにはいられなかった。モクバの記憶違いでなければ、その先にあるのは厨房だ。モクバはこれまでに一度もそこへ足を運んだ事はなかった。
「台所。」
 あっさり返った答えは、モクバの記憶が間違っていない事を証明してくれたが、その言葉に、違和感を感じずにはいられなかった。
「なんで。」
「昼飯作るに決まってるだろ?」
 料理をした事があるかと聞かれて、厨房へ向かうなら、確かにその通りだ。城之内ならば、厨房にいって注文をつけるような事はしないだろうとモクバは思う。
「なんでだよ。」
 料理ならシェフにさせればいい。それが彼等の仕事で、外で食事をしたいといえば、それなりのものを作ってくるに違いないのだ。何も、自分で作る必要なんてない。
「その方が、絶対楽しいって。」
 外で食事を楽しむ為には、そんな事までしなくてはならないものなのだろうかと、モクバは城之内の機嫌の良さを不思議に思うと同時に、少し、それが楽しみにもなってきた。
 この家に来てから、天気がいいからといって外で食事をする事なんてなかったし、厨房に足を入れる事なんて、もってのほかだと教育されてもきた。それを、城之内は壊してくれる。
 もし、モクバが一人でそこを訪れたとしても、彼等はきっと丁寧にそれを拒否してくれるだろう。でもきっと、城之内なら、それを何とかしてしまうだろうし、一度そんな例外が起きたら、次も許してくれるかも知れない。
「何作るんだ?」
「お前は、何が食べたい?」
 問い掛けに問い掛けが返り、モクバは少し考えてから、手を引いてくれる城之内を見上げた。
「………おにぎり。」
 モクバのその返事を聞いて、城之内は少し驚いたような顔をしたが、すぐにぱっと明るく笑って、大きく頷いた。
「でっかいの作ろうな。一個で腹一杯になるようなの。」
「おう!」
 海馬を名乗るようになってから、普段の食事はもちろんの事、小学校の遠足の弁当でも、モクバはおにぎりを口にした事がない。誰かの手が握ったそれを、学校の友達が食べているのを、少し羨ましく思った事もあったのだ。
「具は、何がいいかなぁ。」
 そんな事を言いながら、城之内は厨房のドアを開けてそこへ足を踏み入れた。
「モクバ様、如何なさいましたか?」
 厨房を片付けているらしき姿のシェフは、二人の姿を見て、驚いたようにそう声をかけた。
「あの…」
「ちょっと、ここ貸してくれねぇ?昼飯作るから。」
 モクバが説明するより先に、一直線に城之内はそう持ちかけ、シェフはモクバの様子を伺った。
「今日は、外で食べようと思って……。いい天気だし。」
 モクバがそう答えると、シェフは更に首を傾げた。
「城之内様が、お作りになるのですか?」
「モクバとな。」
 からっと笑った城之内に、モクバも頷いた。
「ダメかな?」
 モクバが頭ごなしに命令してもいいのだが、何となく、そういう事はしたくなくて、城之内のお伺いに戸惑っているシェフに目をやって、一緒にお願いをしてみた。
「ちゃんと、綺麗に片付けるから。」
「………私がここにいてもよろしいですか?お怪我をされては大変ですから。」
 結局折れてくれたシェフに頷いて、城之内と目を合わせてにこりと笑う。
「ありがと。」
 ちゃんとお礼も言って、厨房の中を見回した。
「ご飯って、炊いてある?」
「はい。そちらに。」
「冷蔵庫は?」
「あちらです。」
 軽く厨房内の説明を受けてから、城之内はすたすたと奥へ足を進め、冷蔵庫を開けた。
「モクバ、卵焼き好きか?」
「うん。」
「鮭とたらこは?」
「好きだぜぃ。」
 答える毎に、ひょいひょい、と冷蔵庫の中からものを取り出す城之内からそれを受け取り、モクバは一体どんなおにぎりができるんだろうと、楽しみになってきた。
「しかし、さすがお屋敷の冷蔵庫は中身が違うなぁ……」
 自分の家の冷蔵庫に、ここまで色々な物が入っている事は殆どない。普段出される食事やこの家で働く人々の数を考えれば、その量は妥当だとも思うのだが、それでも恐れ入るというものだ。
「城之内の家は、違うのか?」
「俺んちなんて、奥の壁が余裕で見えるくらいしか物入ってないぜ。」
 品物の隙間から見えるのではなく、しっかり見えている状況だ。特に週末など、ほぼ空に近い状況になる。
 城之内は答えながら足をコンロの方へ向け、魚焼きの網やフライパンをそこへ乗せる。
「モクバ、卵割れるか?」
「まかしとけぃ!」
 持っていたものを調理台に下ろし、渡されたボウルを受け取ると、モクバはそこへ卵を割り入れた。
「薄焼き卵焼けるか?」
「………頑張る。」
「ぅっし。」
 卵をほぐすモクバの横で、城之内は鮭の切り身とたらこを焼きはじめ、モクバはそれを見ながら、ちょっと高いコンロの前に足場を探した。
「ちょっと待てよ。」
 城之内は言って、フライパンに油を引いて、その上に手をかざす。
「見本見せてやろうか?」
「うん。」
 作り方の想像がつかないモクバは、城之内の言葉に頷いて、その横に立って城之内が手早く卵を焼くのを眺めた。
「すごいぜ、城之内。」
 あっという間に、綺麗に一枚焼けてしまったのを見て、モクバは感心して声をあげた。
 フライパンをクルクル回しているだけに見えたのに、綺麗に卵が広がって、焦げ目もない黄色の薄焼き卵が出来上がっていた。
「だろう〜。次は、モクバな。」
 得意げな城之内に大きく頷き、モクバは見つけた足場を持ってきて、フライパンの前に立った。
「油ちゃんとひいとけよ。くっつくからな。」
「うん。」
 城之内のしたようにならってモクバは必死にフライパンを回し、所々穴の開いた卵を焼き上げた。
「………うまくいかないぜぃ……」
「ま、初めてにしちゃ上出来じゃねぇの?」
 落ち込むモクバに城之内はそう言い、焼き上がった切り身とたらこを二つに切り分けた。
「んじゃ、握りますか。」
 まな板の上には鮭の切り身とたらこと薄焼き卵が2枚。海苔とごはんと梅干しと昆布の佃煮。どう見ても、海馬邸の昼食には見えないものがそこには並んでいた。
「城之内ぃ、一つじゃなかったのかよ。」
 具は4つ。どう見ても、一つにはならないと、モクバは思った。それなのに、海苔は2枚しかない。
「一つだぜ?」
 笑って答えて、城之内はきょろきょろと辺りを見回して、ラップを手に取った。
「海苔が乗るくらいに切れよ。」
 自分の手元に大きめにラップを切り取って、城之内はそれをモクバに渡した。モクバはそれを受け取り、城之内のものに合わせる大きさで切り取り、それを脇に置くと、海苔を一枚その上に置いた。
「薄焼き卵をその上に乗せて、その上にご飯を乗せる。」
 言われた通りに自分の焼いた卵を海苔の上に乗せ、その上にご飯を乗せる。
「それから、具を乗せる。間、ちょっと開けろよ。」
 言われた通りに4つの具をご飯の上に置き、更にその上に少しずつご飯を乗せる。
「で、丸める!」
 えいやっと、思い切ってそれを丸くした城之内の技に驚きつつ、モクバも四つの端を持ち上げるようにしてそれを丸く納めた。
「しっかり固めないと、ぼろぼろになるからな。」
 ぱしぱしとその大きなおにぎりを叩いている城之内に倣って、モクバもそれをぱしぱし叩いた。なんだかそれが楽しくて、二人してぱしぱし、ぱしぱしと黒いおにぎりを丸く丸くしていく。
「普通のおにぎりは、固く握らねぇ方がうまいんだけど、これは、例外な。」
「そうなのか?」
「口に入れて、ポロッと崩れるくらいがいいって言うんだよな。俺は、どうしてもぎゅうぎゅう握っちまうんだけど。」
 城之内はそう答え、よし、と声をかけて、黒くて真ん丸のおにぎりを眺めた。
「じゃぁ、後片付けして、飯にしようぜ。」
 使った諸々の品を洗って元の位置に戻し、二人で揃っておにぎりを抱えて、二人の様子を伺っていたシェフの元へ足を向ける。
「おじゃましました。」
「ありがとな。」
「楽しかったですか?モクバ様。」
 問いかけられて、モクバは城之内を見上げ、それから大きく頷いた。
「また、来てもいいかな。」
「こっそりですよ。瀬人さまに怒られてしまうかも知れませんから。」
 笑って答えてくれたシェフに頷いて、二人は揃ってそこを後にした。
「庭のどの辺がいいかなぁ。」
「俺、いいところ知ってるぜぃ。」
 モクバは言って、ここまで来るのとは反対に、城之内の手を引いて駆け出すように庭へ向かう。
「木陰で、すっごく居心地がいいんだ。」
 モクバの速度に合わせて小走りになりながら、城之内は手を引くモクバが笑っているのに安心する。
 今日は、せっかくの日曜日なのに、海馬は仕事に出掛けているらしい。せっかくの休みで兄と過ごしたかったろうと思うのに、モクバはそんな事を口にはしない。それでも、どこか寂しそうに見えるから、城之内はそれが気になっていたのだ。
「俺の特等席なんだ。」
 特別に、城之内にも教えてやる。と笑うモクバを見て、彼の兄は、その場所の存在を知っているのだろうかと心配にもなる。彼が弟を大事にしているのはわかる。でも、もう少しだけ、傍にいてやればいいのにとも思ってしまうのも確かだ。他人の自分にこんなに懐いているのだから、彼が傍にいてやれば、もっと嬉しいと思うに違いないのに。
 モクバに手を引かれて辿り着いた木陰は、特等席と言うだけあって、微かな木漏れ日と風の吹いてくる、それは心地よい場所だった。
「じゃ、交換な。」
 そこに腰を下ろして、城之内はモクバが抱えているおにぎりを取り上げ、自分の持ってきたおにぎりをその手に渡す。
「城之内?」
「やっぱ、誰かの作ったおにぎりのがうまいからな。」
 笑ってそう言った城之内に、少し驚きつつ、モクバはこっくりと頷いた。
 遠足で、友達が食べているおにぎりが美味しそうに見えたのは、それを握ってくれた人がいるからだと、モクバもわかっていた。施設にいた時に作ってもらったそれを思い出して、少し羨ましくなったのだ。
「いただきます。」
 ラップを剥がして、大きなおにぎりにかじり付く。風は気持ち良くて、おにぎりは塩味が丁度良くて、城之内の持ち込んでくるものは、やっぱり楽しい事の方が多いと、モクバは思った。
「やっぱ、外で食べるのは、おにぎりじゃなくちゃな〜。」
 呑気にそんな事を言う城之内に頷いて、モクバは会社で食事もしていないだろう兄に、少し申し訳ないような気持ちになった。





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