夜の9時を回って、アルバイト先のコンビニを出た城之内は、家に向かって歩いていく先に、見慣れた車が止まっている事に気付いた。
童実野町で一番偉そうな人間の持ち物。
あれで細い路地が走れるのかなぁと、常々疑問を抱かされる車だ。
今日あれに乗っているのはどちらだろうと思いつつ、足早にそれに近付くと、助手席のドアが開いて、城之内が既に見慣れた、黒服の男が降り立った。
「こんばんは。」
「お待ち致しておりました。」
彼はそう言って城之内の為に、車の後部座席のドアを開け、城之内は軽く礼を言って、車に乗り込んだ。
「モクバ、今日は、何処行ってたんだ?」
車の中で、本を読んでいたらしいモクバに声を掛けて、城之内はその手元の本を覗き込んだ。
「今日は、取引先との会食。トラブルがあったみたいで、兄サマが行けなくなっちゃったから。」
モクバが仕事をするのは、午後6時まで、というのが、兄の決めた決まり事だった。
小学生が、遅くまで働いてはいけないのは規則だが、副社長であるモクバがそうも言っていられないのは、確かだ。
それでも彼は、弟を仕事に縛り付けるのを嫌い、時間になれば、問答無用で家へ送り返すのだと、城之内は聞いていた。
但し、今時の小学生は、午後の6時という時間に、遊び呆けてはいない。家に帰っても、遊ぶ相手のいないモクバは、親しくなった、城之内を家に招くようになっていた。
「そっか……大変だったな。」
それじゃ、今日は、夕食はなしだなぁ、と思った城之内の表情を読んで、モクバは思わず吹き出した。
「腹減ってんのかよ、城之内ぃ?」
「あ〜? 減ってる、減ってる。倒れそう。」
城之内は笑ってそう答え、モクバは城之内の腕をポコリと叩いて、倒れ込んでくる城之内を押し返す。
「ちゃんと、飯作ってもらうように言ってあるぜぃ。俺も、あんまり食べてないしさ。」
モクバ笑ってそう言い、城之内はほっとしてモクバの頭をわしわしとかき回した。
帰りついた海馬邸で用意されていたのは、二人で食事をする時にしか用意されない、ケチャップ味のオムライスだった。
以前に、城之内が食べたいと言って作ってもらった品であるが為に、ふわふわ卵のオムレツを上に乗せたような、高級感溢れる品ではなく、薄焼き卵に、ケチャップ味のチキンライスが包まれた、ごくごく庶民的なオムライスだ。
城之内は、最初この家で出された、デミグラスソースのかかったオムライスを見た時、『これじゃない』とはっきり主張し、せっかく、リクエストに応えてそれを用意した海馬邸のシェフは、唇を噛み締めて涙をのんだという逸話まで残されている。
城之内克也にとって、家で食べるオムライスというのは、母親の作ってくれたオムライスに限るのである。
お互いの前に運ばれたオムライスに、ケチャップで名前を書くという、お決まりの儀式を済ませて、行儀よく手を合わせて、二人は食事を始めた。
城之内の為に用意された、大きめのオムライスとほぼ同じ大きさのオムライスを、ぱくぱくと勢いよく口に運ぶモクバを見て、城之内は首を傾げた。
「お前、飯食いに行ってきたんじゃなかったのかよ。」
会社役員の会食なんて、さぞやいい物食べたんだろうと思っていた城之内は、モクバの行動に首を傾げた。
「そうだけど、本当は兄サマが行く予定だったからさ。俺が行ってもあんまり…」
「……酒の席、ってやつ?」
小学生に酒は勧められないし、勧められたって飲むわけにもいかない。高校生にも、勧めちゃいけないけれど、酒を飲んだ事のない高校生は、多分かなり珍しいと思われる。
だったら、他の誰かを送ればいいのだろうけど、社長の代わりに副社長飛ばしてその下送るわけにもいかないんだろう。
「……じゃなくて………見合い、かな?」
困ったような顔をしたモクバに、城之内は驚いて目を見開いた。
「見合いって、あの見合い?」
他にどんな見合いがあるのかと言われたら、ガンくれ合うのも見合いかな、などとわけのわからない事を考えつつ、城之内は、そんなじゃない見合いを思い浮かべる。
17歳、高校生社長の海馬瀬人。
海馬コーポレーションの副社長は弟のモクバ。
ならば、嫁の親だって、要職に就けるかもしれない。
そういう考えもあるんだろうと、それなりに職場内の人間関係というものを知っている城之内は、簡単に想像する事ができた。
「そうとは聞いてなかったんだけど、着飾った娘がついてきたら、そういう事だよな?」
流石のモクバも、その手の話には詳しくないのか、城之内に確認するように問い掛け、城之内はとりあえず頷いた。
「でも、そういうのって、見合いとして成立するのか?」
どちらかと言うと、顔を売りに来たという感じではないだろうか。
うちには、こんな器量良しの娘がおりますよ。って感じだろう。
パーティーで馬鹿みたいな数の人間に会わされる時に、面通しするよりも、限られた人間しかいない場所で会った方が、印象はつき易いだろうとか、そういうものではないだろうか。
「……しないと思うけど……でも、そんなだったからさ、相手の落胆もわかるし、それならって、兄サマの話を聞き出そうとして必死だし。」
出された食事は綺麗で、美味しかったんだと思うけれど、さっぱり何を食べているかわからない状況だったモクバである。
「兄サマの好みの女性がどんなか、なんて、俺にわかると思う?」
問われた城之内も揃って首を傾げる。
好みの人間、という質問であったなら、多分、『強い人』だと思うのだが、女性となると、興味があるのかどうかすらわからない。
「でもさ、兄サマは、女性に興味なんてありません。なんて言えないだろ? だって、兄サマの結婚相手って、絶対、いい餌なんだよ!」
お前には、兄すら商売のタネか? と、一瞬、モクバの言葉に驚いた城之内は、それでもきっと、当人もそう思ってるのだろうな、と思って口を噤んだ。
「で、なんて答えたんだよ?」
それにはちょっと興味があって、城之内はモクバに問い掛けた。
「顔の美醜には、あまり興味がないみたいだ。って。」
そりゃまぁ、そうだろう。あんなに可愛い静香を見たって、ちっとも興味を持ったりしないんだからな。と、城之内は思い、深く頷く。
「でも、城之内が女じゃなくてよかったぜぃ。そしたら、こんな風に、車で迎えに来たりできないもんな。流石に、男の恋人がいますなんて知れたら、色々面倒になるだろうし。」
学校の友達を車に乗せてやって、家まで招待するのが、身辺を探っている人々に訝しまれる事はないだろうし、本当によかった、と、モクバはしみじみとした口調で言い、城之内は、小さくため息をついた。
「つーか、男が恋人でいいの? お前は。」
城之内は、そんな話をした事はなかったのだが、海馬が言ったのだろうかと、城之内は戸惑いつつもそう問い掛けた。
反対されないのは有り難いけれど、モクバがそれをどう思っているのかというのは、ちょっと気になる。
「城之内ならいい。」
モクバはあっさりとそう言い、城之内は気楽なものだな、と、驚いた。
「顔だって悪くないし、性格もいいし、口と頭は悪いかもしれないけど、全体で見たら、城之内はかなりいいと思うぜぃ。」
にっ、と笑ってモクバは言い、誉められたのか貶されたのかよくわからず、城之内は小さく頷いた。
「城之内こそ、兄サマでいいのかよ。」
あんな性格だし、あんな立場にいる人だし、今日みたいに、見合いだとかなんだとかで、女が絡んでくる事だってあるだろうし、と、モクバの言い分を想像した城之内は、それでも、それが彼なんだと思う。
「お子様には、わかるまい。」
ふふん…と笑った城之内を見て、モクバはちょっとだけ、城之内は凄い奴かもしれないと思った。