応接室に置かれたガラス扉の棚の中に、綺麗な赤いグラスがあるのに気付いて、それを覗き込んでいたら、後から入ってきた海馬は、不思議そうな顔をして俺を見た。
「何か、お前の気を引くようなものでもあったか?」
多分、こいつは、この家にあるもので、自分で買ったものでないものは、少しも気に掛けちゃいないんだろう。あんまりにもあっさり想像できたから、その赤いグラスを指差したら、海馬は少し驚いたように俺を見た。
「金にうるさいお前らしい。」
何を言ってるのかわからずに首を傾げると、海馬は怪訝そうに俺を見た。
「高そうだと思ったんじゃないのか?」
「綺麗な赤だな、って思って。」
レッドアイズの目って、こんな色かなぁなんて思ったんだけど、まぁ、その辺は言わなくたって想像つくだろう。
今や、俺のデッキの中で一番大事なレッドアイズは、俺に赤とか黒を意識させるようになった。
白とか青とか見ると、海馬を思い出すのは、ブルーアイズのせいだけど、そのまま、青い海馬の目を思い出すと、ちょっと自分でも照れる。
まぁ、そんな事はどうでもいいけど。
「高いのか?」
この家に飾ってあるもので、更に、海馬の興味が向いてないもので、高くないものはないと思うけど、一応確認してみると、海馬は黙って頷いた。
「お前でも、ベネチアングラスという名前くらい聞いた事はあるだろう?」
名前は知ってる。でも、それがどういう物を言うのかは知らなくて、曖昧に頷くと、海馬はちょっと呆れたような顔をして、それについて説明をくれた。
イタリアのベネツィアで作られたガラス細工を『ベネチアングラス』と呼ぶ。
観光客がベネツィアに行って、観光でガラス工房を訪れたら、見せられるのは、透明ガラスで作る『馬』の細工が一番多いだろうが、売り物の中で強くすすめられるのは、一番高級な『赤』のグラスであろう。
ベネツィアングラスは、その色を出す為に、鉱物等を混ぜるのだが、『赤』は、『金』を使って色を作る。材料が高いから、出来上がりも高い。更に、それに金装飾を付ければ、更に値も上がる。
そもそも、ベネツィアで作られるガラスが高く評価されるのは、ガラス自体が高級品であったところから派生する。
嘗て、ベネツィアでは、ガラス職人を一つの島に閉じ込め、そこから出る事を禁じる事で、その技術を外へ出さないようにした事もある程、ガラスで作られるグラスや皿などは、重要な産業だったのだ。
ベネツィアという国は、大小様々な島の群れでなっており、技術を外へ漏らさないという事には、かなりの効果があったとも言えるだろう。
時代が移り、ガラス加工の技術は世界中に広まり、今や、それは珍しいものではなくなったが、それでも、ベネツィアの売りは『ガラス』と思う者は多いはずだ。
細いガラスの棒を使って、花などの模様を作ったガラス細工を、ペンダントトップや腕時計の枠などとした品を買い求める日本人観光客は多い。
もちろん、高級品として鎮座する、件の赤いベネチアングラスを購入する者もないわけではないだろう。
「………で、金にうるさい。ってことになるわけか。」
貧乏人の評価は当然として受け止める。でも、別に金にうるさいわけじゃない。目の色変わる時もあるけど、それはそれなりの理由があるからで、年中ずっと、金を探して歩いているわけでもないのだ。
「でも、色は綺麗だけど、見てくれはイマイチだよな。」
高いガラスと言われて頭に浮かぶのは、透明の綺麗なカットの入ったグラスだ。名前で言うなら、『バカラ』か?
なんにしても、この赤いグラスセットは浮かんでこない。
「俺には、趣味が悪いとしか思えん。」
坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い。ってあれじゃねぇかと思うんだけど、海馬の表情は見事に不愉快を示していて、俺はちょっと、作った人が不憫だと思った。
イタリア人は、これに高い評価をしてるって事じゃねぇのか? 日本人には、うけが悪いかもしれねぇけど。
「赤のイメージって、あんまりよくねぇもんな。」
『4』と『9』の数字に、『死』と『苦』の文字をイメージする日本人は、『赤』に『血』をイメージする事が多いから、余計に評価が落ちるんじゃないかと思う。
レッドアイズの目が赤いのも、そういう悪いイメージから来てるんだろう。ブルーアイズの白と青なんて、綺麗な物の代表格、神様の色だもんな。色塗ったペガサスは日本人じゃないけどさ。
「大体、この金装飾が成金的だ。」
海馬剛三郎は成り上がりものかもしれないが、それを言ったら、お前だってそうじゃんって思うんだけど。
それとも、成金の自覚があるから、見るからにそれっぽい物が嫌なのかな。
「もっと、誰が見ても、いいと思える物を買えばよいものを、こんなものを作らせる気が知れん。」
作らせたのね…って、思ったら、海馬の言い分もわかるような気がしてきた。
きっと、作った人も、不本意だったろうなぁ…って、思えてくるんだ。これが。
「確かに、金装飾がくどい。」
パッと見た時は、赤い色だけが印象的だったから、そこまで目に入ってなかったんだけど、せっかくスマートな形で作られてる物に、ごてごてと金が巻かれているのは、確かに成金的。
以前に見せられた海馬剛三郎の写真、ごてごてした指輪が気になってたんだけど、それと近いものがある。
「でも、飾っとくのな。」
「こんな物でも、いいと言う人間もいるからな。」
応接室に置かれてる物は、客を圧倒させる為にあるのだと、以前に聞かされたから、使い方としては正しいんだろうな。
しげしげと眺めていたら、海馬はふと気付いたように俺の腕を掴んだ。
「そんなことはどうでもいい。俺はお前とこんな話をする為に追い掛けてきたわけではない。」
「……?」
何か、話さなくちゃならない事でもあっただろうか、と俺は腕を掴む海馬を見上げて、ここへ来る前の事を考えた。
「忘れているようだから、思い出さなくていい。戻るぞ。」
思案する俺を止めて、海馬はさっさと俺の腕を引いて歩き始め、俺はそれに従いながら、ここへ来た理由を思い出した。
あまりに馬鹿馬鹿しくて、よくもまぁ、呆れず俺を追い掛けてきたもんだと思う。つーか、追い掛けてきたのが驚きだ。
最後の一個のチョコレート食われた。
でも、その最後の一個が、海馬が食べた最初の一個で、海馬はそれに気付いてなかったんだけどさ。